18話「手取り1割」
シェルバスターとの死闘を終え、全身の疲労が骨の髄にまで沈み込むような足取りで、俺たちはギルドの扉を押し開けた。
夕暮れ時のギルド内部は、冒険者たちのざわめきに満ちていた。木製の梁に反響する笑い声、酒場の方から漂う肉の匂い、そのすべてが日常を告げている。だが俺たちの胸中には、まださっきまでの咆哮と地響きの余韻が残っていた。
「よくぞお戻りで! ……まさか、あの怪物を本当に倒したのですか?」
受付嬢の目が丸くなる。俺たち四人は、どこか誇らしい気分で一瞬だけ胸を張った。
「ああ。証拠の尻尾はここにある」
俺が布袋を置くと、中から巨大な骨片が鈍い音を立てた。受付嬢は震える手で確認した。
「シェルバスター撃破、正式に確認されました! Aランククエスト報奨金の受領手続きをいたします! 皆さんの功績はこの街にとって計り知れないものです。本当にありがとうございます!」
受付嬢は心からの笑顔で礼を述べる。周囲から拍手が起き、ギルドが一時的に祝宴の空気に包まれた。アテナは満足げに胸を張り、ジャンヌは誇らしい顔で俺たちを見つめ、ヴィヴィアナはまるで他人事のようにカウンターの上の骨片を見つめていた。
「とにかく報酬よ! Aランクよ、Aランク! これで一気に資金難から脱出できるわ!」
アテナが両拳を握りしめ、まるで運命の扉を叩くような表情で受付嬢を見つめる。
「では、討伐報酬金の計算を――」
受付嬢がそろばんを弾き、書類をめくる。
「シェルバスター討伐……Aランク……基礎報酬金は――」
息を呑む俺たち。
「……銀貨10枚」
「10枚! 銀貨10枚!? やったあああ!」
アテナが小躍りする。
「ただし」
受付嬢は申し訳なさそうに目を伏せた。
「この街の所得税、それからオーク駐留軍維持費、施設利用料、あと、高額報酬受領者特別税……合わせまして、ええと……」
紙に連なる文字列を読みあげ、最後にぽつりと言った。
「銀貨9枚が控除となります」
「ち、ちょっと待ってください」
俺の声が情けないほどに上ずった。計算するまでもない。残る手取りは、わずか銀貨1枚。そこからクエストに使った経費を差し引くと実質儲けはゼロ。豪遊どころか、借金返済すらままならない
「……あの、桁を間違えてませんか?」
「間違えておりません……」
「あの怪物を倒して、たったの銀貨1枚……?」
俺の背中の力が抜けていく。こめかみがズキズキと痛んだ。ヴィヴィアナがクールに言った。
「胴元の取り分って、だいたいそんなものよね。ギャンブルも税金も」
受付嬢は唇を噛みしめた。
「その……ルールなんです。税率も、名目もすべて規定通りです……私には、どうしようも」
ギルドの空気が重く沈む。報奨金明細の紙を前に、アテナはカウンターへ身を乗り出した。
「納得できないわ。税率が異常よ! 9割も取られるなんて不当な搾取だわ!」
声は鋭く、正しさに満ちていた。だがアテナの視線が受付の奥に飾られた高級美容薬広告のポスターへ吸い寄せられていたのを俺は見逃さなかった。
「冒険者が命を懸けて街を守ったのよ! このギルドの評価だって上がるわ。なのに、こんな汗水垂らして働いた人を馬鹿にするような仕打ち、許されないわ!」
正論だ。誰の耳にもそう響く。でも怒りの強さは制度の理不尽を語った瞬間より、金額の減少を知った瞬間のほうが大きかったように見えた。
「わたしはね、別にお金だけにこだわってるわけじゃないの。冒険者としての尊厳の話をしているの。税金をゼロにしろとは言ってない。ただ、正当な働きに対して正当な対価が欲しいのよ」
そう言ってる最中も、アテナの指は控除欄をなぞる動きを何度も繰り返していた。冒険者としての尊厳より、引かれた金額の多さを気にしているような手つきだった。
受付嬢が肩をすくめる。
「オーク達が決めた税率なんです。私達には変えられません……」
「決まりなら変えればいいのよ! わたしたちに真に必要なのは行動だわ!」
アテナは堂々と言い切る。圧倒的な迫力だ。
「街の未来を考えているのなら、この不当な制度を改めるべきよ! 冒険者が搾取され続けていいはずがないわ!」
アテナの声がギルド全体に響く。冒険者たちがざわつく。
「確かに、税は高すぎる、俺たちも不満はあるさ……」
「でもオーク達に逆らったらどうなるか……」
怒りではなく恐怖が群衆を縛っている沈黙。アテナ一人だけが前に進もうとする。
「沈黙は悪よ! 変えるためには声を上げるしかないの! どうしてみんな戦わないの? この街の未来のためよ!」
その言葉が空間の中心に刺さった瞬間だった。隣のジャンヌが、遠慮がちにアテナへ身を寄せて小声で囁く。
「……奥様、申し上げにくいのですが、今回の収入では、例の美容サロンのプレミアムプランへの加入は難しいかと……」
アテナの眉が街の未来を語っていた時より何倍も鋭く吊り上がった。その一瞬の変化は、義憤から湧き出た改革への熱ではない。贅沢を失うことへの怒りだった。
ジャンヌはすぐ下を向き、何も言わなくなる。でも一度上がった眉の角度は戻らない。アテナの怒りは、そこからさらに強く燃え上がった。
「だからこそ、声を上げるのよ! 上げなきゃいけないのよ! この狂った税制は変えなきゃいけないの! この街の未来を守るために!!」
ギルドに響く叫びは一見正義の形をしている。でも、その燃料がどこから湧いているのか、俺は、もう分かってしまっていた。冒険者たちは沈黙したまま。共感しながらも、誰も動かない。動けない。受付嬢が、小さく、震える声で漏らした。
「皆さんはまだ知らないんですよ……声を上げた人が……どうなるか」
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