17話「外せば当たる魔法」
爆風が収まったあとも、誰もすぐに声を出せなかった。灰が薄い雪のように舞い、視界がくすんだ色に染まっている。耳の奥がまだジンジンと震えていて、音が遠い。
「……は?」
自分でも、何を言ったのかよく分からなかった。ただ、脳が現状の理解を拒否しているのは分かった。
「いやいや……ちょっと待って。なんで、真逆? 今の魔法真逆に飛んでったよな?」
震えた声で、回答を求めるように後ろを振り返る。アテナは、焦げた葉と土まみれになりながら口を開けていた。
「ど、どういうこと……? なんで……敵じゃなくて森が消し飛んでるの?」
ジャンヌは盾を握ったまま放心している。神聖な光がまだ残っている盾の上に、灰が降り積もっていた。そして当の本人、ヴィヴィアナは恍惚の微笑みを崩さない。
「悪くないでしょ? 狙った場所じゃないところに落ちるっていう美しさ。カジノのスロットが、絶妙に外れた瞬間みたい」
「そんな例えで納得できるかあああああ!!」
俺の叫びは爆発に負けない勢いだった。胃が痛いとかそういう次元ではない。この女をパーティに入れたことそのものが、人類史上最大のギャンブルだったのではないかと確信しつつある。
「ヴィヴィアナ! お前の魔法、照準ミスったんじゃなくて……最初から当てる気なかったってことなのか!?」
問い詰めるように叫ぶと、彼女は楽しそうに肩をすくめた。
「私の偏差魔法はね、一般の魔術師が嫌う魔力の乱れが、魔法の出力と深く関係してるのよ。狙って当てる魔法ほど、弱くなる。外したときがいちばん威力が出るのよ。まあ、世界で偏差魔法を使えるのは私一人だけだから、知らないのも無理ないわね」
「お前のオリジナルかよ!! 何だよ、その頭おかしい魔法体系! 要するにギャンブル魔法じゃねえか!!」
俺は戦慄した。つまりヴィヴィアナの偏差魔法は、「必中を目指すと弱い」が「外すほど強い」という狂気のギャンブル仕様。アテナも割って入る。
「ちょ、ちょっと待って。それじゃあ、偏差魔法って……外せば外すほど最終威力が上がるの? 何よその倫理観と安全性を投げ捨てた欠陥設計!」
「欠陥? 違うわ。最高の芸術よ。95%の当たりよりも5%の当たりを引く方が面白いじゃない?」
完全に生存よりも快感を優先して生きている女だった。恐らく、脳内の報酬系が常人に比べてバグっているのだろう。
俺の脳内で警報が鳴り止まない。これは戦闘じゃなくて、狂人の趣味に命預けてるだけだ。だが、ツッコミと絶望の時間は終わりを告げた。
大地を揺らす振動。重く湿った低音。明確な殺意の足音。シェルバスターは生きていた。当たり前だろう、直撃はしていない、爆風で怯んだだけだ。それでも体表は火傷し、怒りで赤く染まっている。
巨体がゆっくりと立ち直り、こちらへ顔を向ける。尾が巻き上がり、ひと振りしただけで地面が波のように盛り上がった。破砕された大地の音が、骨に響いた。
「シ、シンジ……どうするの!? もう一回ヴィヴィアナに撃たせる!?」
「ムリだ! 無策で撃って、外したら森だけじゃなく俺たちまで蒸発するぞ!!」
「え? 撃たせないの?」とヴィヴィアナが小首を傾げた。
「当然だろ!! 俺たちの命は一回切りだ! ゲームを降りても戻ってこねえ!」
俺は顔を歪め、喉からしぼり出すように叫んだ。
「戦線立て直すぞ!! 再配置だ!!」
シェルバスターが距離を詰めてくる。怒りで完全に理性を失った怪物が、ただ破壊のために突進している。
「ジャンヌ、お前は一旦後ろに下がれ! アテナ、治癒を優先! ヴィヴィアナ、お前は今は撃つな!! 指示があるまで絶対撃つな!!!」
ジャンヌとアテナは即座に動いた。ヴィヴィアナだけが、唇の端をゆっくりと吊り上げる。
「撃つなって言われると、撃ちたくなるわよ?」
「やめろおおおおおおお!!!!」
チームワークが成立したと思ったら、その秩序はもう完全に崩壊しかけていた。だが戦いは止まらない。怒れる怪物が迫る。生存がかかった第二ラウンドが始まる。
シェルバスターが赤黒い瞳で獣じみた殺意を滾らせ、巨体を揺らして突進してくる。尾が風圧で草原を抉り、足音が地震のように大地を震わせた。
「ジャンヌ、もっと下がれ! アテナは回復優先!!」
何回も叫んだことによって俺の喉は砂漠のように枯れていた。限界寸前のジャンヌが盾を立て直し、アテナは震える手でジャンヌにポーションを使う。
ジャンヌが復帰するまで、俺一人。倒れたら終わりだ。守り切っても長くは保たない。状況は最悪。だというのに、俺はこの状況を切り抜ける策を頭の中で手さぐりに組み立てていた。
その最中、ヴィヴィアナが一歩前へ出た。銀の髪を炎のように揺らし、瞳には奇妙な熱と喜び。
「次こそは当てるわ。必中を目指すから、威力は下がるけど、当たり所が悪ければ致命傷になるはず」
「狙うな!!」
俺の怒声が戦場を切り裂いた。ヴィヴィアナの詠唱が止まり、視線が俺の方へと向く。その一瞬の静止の間にも、シェルバスターは距離を詰めてきている。
「狙ったら威力がさがるくせに外したら上がるんだろ? それが偏差魔法だ」
「そうよ。それこそが至高の芸術。理解が早くて助かるわ」
「だけど外すって言っても……どこに外すのかコントロールできるんじゃないか?」
ヴィヴィアナの瞳が細くなる。この状況でなお、楽しげに。
「もちろん。それはできる。外し方を調整できれば、火力のピークに導ける」
「なら、外す位置を計算しろ」
「計算?」
昔、ミリオタの友人が言っていた。戦艦の主砲は敵艦が「今いる位置」ではなく、「移動後に存在しているはずの未来位置」を予測して撃つ。つまりは狙ってズラす射法だ。ヴィヴィアナの「外すほど強い」偏差魔法とは相性がいいはずだ。
「ああ。敵のいる位置じゃなくて、動いた後の未来の位置を狙うんだ! 偏差射撃ってやつだ! 未来にズレた位置に弾を撃つ!!」
ヴィヴィアナの表情が変わった。最初は快感から理解へ、そして興奮へ。
「未来の外れ位置……命中を目指すんじゃなく、“最大火力になるズレ”を計算で導く……なるほど、土壇場でそんな賭けを思いつくなんて、あなた最高に狂ってるわ」
「狂ってねえ! おまえと違って俺はまともだ!」
「正気と狂気は紙一重よ、シンジ」
ヴィヴィアナの魔法陣が展開される。今までの恍惚とは違う、研ぎ澄まされた集中が乗っている。
「シェルバスターは、突進の直後、反動で必ず軸足が斜め後ろに流れる!! 次の尾撃の体勢に入る瞬間、左後方へ大きくブレる!! そこが未来の外れ位置だ!!」
叫びながら俺は走り、シェルバスターの突進ルートを誘導する。視界が揺れ、土が裂け、息の熱が喉を焼く。生き延びるため、勝つため、仲間の力を最大に引き出すため。
「今だッ!! ヴィヴィアナ!! 外せ!!」
「あなたの正気と私の狂気、最高のコラボレーションね」
詠唱が完了した。偏差魔法 空間が裂け、十本の雷撃の矢が四方へ散る。バラバラに、無秩序に、狙いを持たず飛び散ったように見えた。
ちょうどシェルバスターが尾撃の反動で左後方へブレる瞬間に、一本の雷撃が足元に吸い込まれるように走った。雷光がシェルバスターの足を貫き、筋肉が痙攣し、電流が全身を駆け巡る。
怒りに満ちた獣の瞳が、初めて恐怖に変わった。次の瞬間、シェルバスターは悲鳴をあげ、倒れた。大地が揺れ、砂が舞い、風が静まる。
ジャンヌがへたり込み、アテナが呆然と口を押さえ、俺は膝に手をつく。勝った。今度こそ、奇跡じゃなくて勝った。
「……終わったのか」
安堵が喉の奥でほどけかけた瞬間、背後から軽い足音が近づく。砂に触れる靴底の音が、妙にリズムを持って迫ってくる。そして、肩にそっと触れる指。細いはずなのに、驚くほど熱を帯びていた。
「シンジ」
振り返る前から、声で誰だかわかった。ヴィヴィアナだった。額には戦闘の余韻で汗が浮かんでいるのに、瞳はどこか冴えていた。戦いで疲弊するどころか、むしろ何かを掴んだ人間の目だ。
「決めたわ。あなた、私が求めていた理想のパートナーよ。私と一緒に偏差魔法を極めましょう」
唐突すぎる申し出に、間抜けな声しか出なかった。だがヴィヴィアナは気にする様子もなく、どこか誇らしげに笑った。
「今日の戦いでね……欠陥って呼ばれてきた私の魔法が、初めて誰かの中に居場所を得た気がしたの」
その言葉は軽く聞こえたが、抑え込まれた年月が滲むような響きがあった。
「アカデミーでは、私はハズレ魔術師と呼ばれてたの。授業のたびに叱られて、実験のたびに笑われて……でもね、諦めるのだけはどうしても嫌だった。外れるなら、外れるまま強くなればいい。そんな道を探して、ずっと一人で研究してきたの」
彼女の声は静かだった。だが派手な魔法よりもよほど胸に刺さる言葉だった。
「だから今日、あなたが外れる前提で撃てと言ったとき……嬉しかった。救われた、って言っても大げさじゃない」
砂埃の中で、彼女の銀髪がかすかに揺れる。俺は、しばらく返す言葉を探せなかった。ようやく出てきたのは、冗談めかした反論だった。
「……いや、お前の魔法は命がいくつあっても足りねえよ。それに仲間の強味を生かすのはリーダーの役目だ。俺はただ給料分の仕事をしただけだ」
するとヴィヴィアナは、何かを理解したように微笑んだ。その微笑みは、普段の狂気じみた笑顔とは違っていた。年相応の、初めて見る表情だった。
「そういう言い方、嫌いじゃないわ」
ふと横を見ると、ジャンヌが落ち着いた表情で二人を見守っていた。戦場の荒れた空気の中で、彼女だけがまるで別の時空の住人のように穏やかだった。
「ご主人様……お嬢様……」
ジャンヌは胸の前で両手を重ね、柔らかく微笑んだ。
「本日のお二人の連携は、わたくしにはとても眩しく映りました。魔法にも、剣にも、想いが通う瞬間というものがあるのですね」
その言葉には一切の誇張がなく、ただ、見たままを誠実に伝えようとする優しさがあった。
俺が照れ隠しに視線を逸らしたその時、背後からひときわ明るい声が響いた。
「はーい! ちょっといいかしら、みんな!」
アテナだ。戦い終わった直後とは思えないほど軽やかな足取りで歩み寄ってくる。
「クエスト報酬金もらったら、今日は豪華にいきましょ。ステーキよ、ステーキ! あと甘いものも食べるの! もちろん経費で!」
「……その経費ってのはもしかして俺の財布のことか?」
「もちろん、そうよ?」
悪びれもせず返すアテナに、俺は思わず額を押さえた。ヴィヴィアナはくすっと笑った。
ジャンヌはほほえみ、アテナはすでに帰り支度をしている。
砂煙の向こうに沈む怪物の亡骸を背に、妙に穏やかな空気が残っていた。戦いは終わったばかりだというのに、俺たちの間には、それぞれの弱さが少しだけ見えたことで生まれた不思議な連帯感があった。
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