第五話「境内の子」
健吾が来たのは、十月の終わりだった。
夕方、境内の隅に少年が座っていた。中学生くらいだろうか。学校の鞄と、着替えが入っているらしい紙袋を足元に置いて、膝を抱えていた。堂島が声をかけると、少年は逃げなかった。ただ顔を上げて、まっすぐ見てきた。
「泊まっていいですか」
臆した様子がなかった。覚悟を決めた目だった。
◆
名前を聞くと、健吾と答えた。中学二年。新宿区内の学校に通っているという。
「家は」
「あります」
「帰れないのか」
健吾は少し間を置いた。
「帰りたくないんです」
それ以上は言わなかった。堂島も聞かなかった。
「飯は食ったか」
「昼から食ってません」
「上がれ」
◆
庫裏で飯を食わせた。冷や飯に味噌汁、漬物だけの質素なものだったが、健吾は黙って全部平らげた。食べ方が綺麗だった。どんな家でも、それだけはきちんとしつけられていたのかもしれない。
「一晩だけだ」
堂島が言うと、健吾は頷いた。
翌朝、健吾はいなかった。
布団は畳んであった。
◆
三日後、また来た。
今度は夕方ではなく、昼過ぎだった。学校を抜けてきたらしく、制服のままだった。
「また来ました」
「見ればわかる」
「泊まっていいですか」
堂島は少し健吾を見た。目の下に薄く隈がある。三日間、どこかをうろついていたのかもしれない。
「境内の掃き掃除をしろ。箒はそこにある」
健吾は黙って箒を取った。
◆
それから健吾は毎日来るようになった。
掃除、水やり、買い出し。堂島が黙って示すと、健吾は黙ってこなした。不器用だったが、手を抜かなかった。文句も言わなかった。
一週間が過ぎた頃、堂島は健吾の部屋を決めた。本堂の隣の小さな部屋。荷物を置いていいと言うと、健吾は少し目を見開いてから、静かに頷いた。
家のことを聞いたのは、それからさらに三日後だった。
「父親がいるのか」
健吾が箒を止めた。
「います」
「母親は」
「いません。小さい頃に出て行きました」
「父親と住んでいるのか」
「一応」
その「一応」の重さが、堂島にはわかった。
「父親は何をしている」
健吾が少し躊躇った。それから言った。
「組の人間です」
堂島は表情を変えなかった。
「三東会か」
健吾が顔を上げた。驚いた目をしていた。
「なんでわかるんですか」
「勘だ」
◆
健吾が来て二週間が経った頃、男が流魂寺に現れた。
四十がらみ。短く刈った頭、首に入れ墨。目つきが鋭い。三東会の末端組員の顔をしていた。
「息子がいるだろう」
堂島が門のところで向かい合った。
男は堂島を見て、一瞬だけ何かを察したような顔をした。袈裟の下に何があるか、同じ世界にいた人間にはわかる。
「返してもらおうか」
「健吾はここで働いています」
「親の俺が迎えに来てるんだ」
堂島は動かなかった。
「あんたの息子は、ここで飯を食って、ここで寝ています。毎日掃除をして、買い出しをして、真面目にやっています」
「だから何だ」
「帰したくない」
男の目が細くなった。
「お前、何者だ」
「流魂寺の住職です」
男がじっと堂島を見た。堂島は目を逸らさなかった。
長い沈黙があった。
「この子は俺が預かる。文句があるなら本山に言え」
男は舌打ちをした。それから踵を返した。門を出る前に一度だけ振り返る。
「好きにしろ」
それだけ言って、男は路地の向こうへ消えた。
◆
健吾が縁側から一部始終を見ていた。
堂島が戻ると、健吾は何も言わなかった。ただ目が少し赤くなっていた。
「飯にするか」
堂島が言うと、健吾は頷いた。
その夜、二人で並んで飯を食った。おかずは豆腐の煮付けだけだった。健吾は黙って食べた。堂島も黙って食べた。
箸を置いた後、健吾がぽつりと言った。
「ありがとうございます」
堂島は答えなかった。
それでよかった。
第五話 了




