第三話「帰ってきた男」
深夜だった。
健吾が寝静まった頃、裏門を叩く音がした。表門ではなく裏門。堂島は体が先に動いた。こういう時間に裏から来る人間の種類を、身体が覚えていた。
石畳に男が倒れていた。
◆
五十がらみ。がっしりした体格だが、今は力なく横たわっている。腹を押さえた手の間から、黒く濡れたものが滲んでいた。
堂島は男の顔を見た。
矢島だった。
十五年前、堂島の配下にいた仲間——その弟分だった男。三東会の中では「矢島の健」と呼ばれていた。若い頃は目つきが鋭くて、よく喧嘩をしていた。今はその目が虚ろに堂島を見上げていた。
「兄貴」
かすれた声だった。
「生きてたんですね」
◆
堂島は男を庫裏に運び込んだ。傷を確かめる。深いが、急所は外れている。
消毒して、縫って、晒で巻いた。矢島は痛みに歯を食いしばりながら、声を上げなかった。その我慢強さだけは昔と変わっていなかった。
「病院は」
「行けません」
「追われてるのか」
矢島が目を閉じたまま頷く。
「三東会を破門になりました。二年前。その後、別の組の仕事を請け負って——しくじりました」
「どこの組だ」
「言えません」
堂島は何も言わなかった。聞いても仕方のないことがある。
「朝まではいていい」
矢島が目を開けた。
「いいんですか。俺みたいな人間を」
「裏門から来た人間を追い返したことはない」
◆
三日、矢島は流魂寺にいた。
傷が塞がるにつれ、言葉が増えた。堂島は聞き役に回った。矢島が話したいことを話すまで、待った。
四日目の夜、矢島がぽつりと言った。
「木村さん、覚えてますか」
覚えていた。堂島の一番の仲間だった男。矢島の兄貴分でもあった。堂島が組を抜けようとした夜、巻き添えにして死なせた。
「あの人、兄貴のことを最後まで庇ってましたよ」
堂島は黙っていた。
「兄貴が組を抜けようとしてるって上にバレたとき、木村さんが間に入った。兄貴には関係ない、俺が止めなかったのが悪いって」
火鉢の炭が小さく爆ぜた。
「それで木村さんが——」
「わかってる」
堂島の声は静かだった。静かすぎた。
矢島が続ける。
「兄貴がいてくれたら、あの人は死ななかった」
責めているのではないかもしれない。ただ言わずにいられなかっただけかもしれない。それでも言葉は刺さった。刺さったまま、抜けなかった。
「そうだ」
堂島は否定しなかった。
「俺がいれば、木村は死ななかった。佐江も、渉も」
矢島が息を呑む。
「それを背負って、ここにいる」
◆
五日目の朝、矢島はいなくなっていた。
布団は畳んであった。枕元に、折りたたんだ一万円札が一枚置いてあった。
堂島はその金を賽銭箱に入れた。
本堂に入り、木村の名を心の中で呼んだ。位牌はない。戒名もない。それでも手を合わせる。
線香の煙が、ゆっくりと天井へ消えていった。
どこかで雀が鳴いていた。朝の新宿は、まだ静かだった。
第三話 了




