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無縁仏に花を  作者: 八雲 海
第一集 無縁仏に花を

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3/13

第三話「帰ってきた男」

深夜だった。


 健吾が寝静まった頃、裏門を叩く音がした。表門ではなく裏門。堂島は体が先に動いた。こういう時間に裏から来る人間の種類を、身体が覚えていた。


 石畳に男が倒れていた。



 五十がらみ。がっしりした体格だが、今は力なく横たわっている。腹を押さえた手の間から、黒く濡れたものが滲んでいた。


 堂島は男の顔を見た。


 矢島だった。


 十五年前、堂島の配下にいた仲間——その弟分だった男。三東会の中では「矢島の健」と呼ばれていた。若い頃は目つきが鋭くて、よく喧嘩をしていた。今はその目が虚ろに堂島を見上げていた。


「兄貴」


 かすれた声だった。


「生きてたんですね」



 堂島は男を庫裏に運び込んだ。傷を確かめる。深いが、急所は外れている。


 消毒して、縫って、晒で巻いた。矢島は痛みに歯を食いしばりながら、声を上げなかった。その我慢強さだけは昔と変わっていなかった。


「病院は」


「行けません」


「追われてるのか」


 矢島が目を閉じたまま頷く。


「三東会を破門になりました。二年前。その後、別の組の仕事を請け負って——しくじりました」


「どこの組だ」


「言えません」


 堂島は何も言わなかった。聞いても仕方のないことがある。


「朝まではいていい」


 矢島が目を開けた。


「いいんですか。俺みたいな人間を」


「裏門から来た人間を追い返したことはない」



 三日、矢島は流魂寺にいた。


 傷が塞がるにつれ、言葉が増えた。堂島は聞き役に回った。矢島が話したいことを話すまで、待った。


 四日目の夜、矢島がぽつりと言った。


「木村さん、覚えてますか」


 覚えていた。堂島の一番の仲間だった男。矢島の兄貴分でもあった。堂島が組を抜けようとした夜、巻き添えにして死なせた。


「あの人、兄貴のことを最後まで庇ってましたよ」


 堂島は黙っていた。


「兄貴が組を抜けようとしてるって上にバレたとき、木村さんが間に入った。兄貴には関係ない、俺が止めなかったのが悪いって」


 火鉢の炭が小さく爆ぜた。


「それで木村さんが——」


「わかってる」


 堂島の声は静かだった。静かすぎた。


 矢島が続ける。


「兄貴がいてくれたら、あの人は死ななかった」


 責めているのではないかもしれない。ただ言わずにいられなかっただけかもしれない。それでも言葉は刺さった。刺さったまま、抜けなかった。


「そうだ」


 堂島は否定しなかった。


「俺がいれば、木村は死ななかった。佐江も、渉も」


 矢島が息を呑む。


「それを背負って、ここにいる」



 五日目の朝、矢島はいなくなっていた。


 布団は畳んであった。枕元に、折りたたんだ一万円札が一枚置いてあった。


 堂島はその金を賽銭箱に入れた。


 本堂に入り、木村の名を心の中で呼んだ。位牌はない。戒名もない。それでも手を合わせる。


 線香の煙が、ゆっくりと天井へ消えていった。


 どこかで雀が鳴いていた。朝の新宿は、まだ静かだった。


第三話 了

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