第二話「刃の重さ」
昼過ぎに女が来た。
四十代だろうか。地味なワンピースに小さなハンドバッグ。化粧は薄く、髪をきっちりまとめている。どこにでもいる中年女性に見えた。ただ首に、古い傷があった。引きつれた皮膚が、襟元からわずかに覗いている。
健吾が掃除をしていた境内で、女は立ち止まった。
「住職さんはいますか」
◆
堂島が庫裏で向かい合うと、女は名前を名乗らなかった。
「葬式を出してほしい男がいます」
「身内ですか」
「違います」
女が少し間を置く。
「私を刺した男です」
堂島は表情を変えなかった。
「その男は今」
「死にました。先月、別の事件に巻き込まれて」
女の声は静かだった。怒りでも悲しみでもない。何かを全部終わらせようとしている人間の声だった。
「葬儀社には断られました。身寄りがないし、素性も良くないからって。でも、誰かに弔ってほしかった」
「なぜ」
女が初めて視線を落とした。
「わかりません。ただ、誰にも弔われないのは、嫌だと思って」
◆
堂島は引き受けた。
女が封筒を出した。「これだけしか用意できませんでしたが」
中を確かめもせず、堂島は受け取った。
読経は短く、しかし丁寧だった。本堂に女と堂島の二人だけ。位牌もない。遺影もない。骨壺すらない。ただ線香の煙だけがあった。
読経が終わった後、女はしばらく動かなかった。
◆
縁側に並んで座った。堂島が茶を出した。
女が口を開いた。
「十三年、一緒にいました」
堂島は何も言わない。
「最初はそんな人じゃなかった。でも、いつの間にか。逃げられなくて、気づいたら首を絞められていて」
指が茶碗をゆっくり撫でる。
「刺されたのは五年前です。それで踏ん切りがついて、逃げました」
「その後は」
「なんとかやっています」
少し間があった。
「なんで憎い男を弔えるんですか」
女が堂島を見た。純粋な疑問だった。
堂島は袈裟の袖をわずかにまくった。腕の内側、彫り物の端が見える。牡丹の花びらが一枚、手首のあたりまで伸びていた。
女が息を呑む。
「俺が死なせた奴の中にも、弔われなかった奴がいる」
堂島は袖を戻した。
「だから俺がやる。それだけだ」
◆
女が帰り際に言った。
「あの男を、恨んでいます。今でも」
「そうですか」
「それでも、弔ってもらえましたか」
堂島は頷いた。
「恨んでいても、手は合わせられる。そういうもんだ」
女は少し考えてから、また聞いた。
「楽になれますか、いつか」
堂島は答えなかった。すぐには。
境内の木が風に揺れた。空が高かった。
「わからん。ただ、今日あんたはここに来た。それでいい」
女は頷いた。深くではなく、ただ小さく。
門を出る前に一度だけ振り返った。流魂寺の古い屋根を見上げて、それから歩いていった。
◆
堂島は本堂に戻り、線香を一本立てた。
名前も知らない男のために。
弔われるべき命かどうか、堂島には関係なかった。ここに来た者は、弔う。それだけだった。
煙が揺れもせず、真っ直ぐ上がっていった。
第二話 了




