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無縁仏に花を  作者: 八雲 海
第一集 無縁仏に花を

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12/13

第十二話「キヨの春」

母から電話が来なくなったのは、二月の終わりからだった。


 それまでは月に二、三度、他愛もない電話があった。テレビドラマの話、近所のスーパーの話、昔の話。キヨは話すことが好きだった。黙っていられない性分だった。


 それが急に途絶えた。


 堂島が電話をかけると、出た。声は穏やかだった。ただ話が続かなかった。少し話すと、黙ってしまった。


「どうした」


「なんでもないよ」


 それだけ言って、切れた。



 三月の初めに会いに行った。


 キヨは新宿区内の古いアパートに一人で住んでいた。堂島が組にいた頃も、坊主になってからも、ずっとそこにいた。引っ越しを勧めても首を振った。「ここが好きだから」と言っていた。


 インターホンを押した。返事がなかった。もう一度押した。しばらくして、鍵が開く音がした。


 キヨが立っていた。


 小さくなっていた。以前から小柄だったが、さらに縮んだように見えた。髪が白くなっていた。目が堂島を見て、少し間があってから、笑った。


「剛か。どうした、突然」


「様子を見に来た」


「大げさだね」



 部屋に上がった。


 片付いていた。キヨは昔から綺麗好きだった。ただ台所に、使いかけの薬が並んでいた。種類が多かった。


「どこか悪いのか」


「年寄りはみんなこんなもんだよ」


 キヨが笑って、茶を入れた。手が少し震えていた。


 二人で向かい合って座った。


「飯は食えてるか」


「食べてるよ。最近は少ししか入らないけど」


「医者には行ってるか」


「行ってる行ってる」


 キヨが堂島を見た。


「心配性になったね、あんた」


「そうか」


「坊主になってから変わった。昔はそんな顔しなかった」



 帰り際、堂島は週に一度顔を出すと言った。


 キヨが首を振った。


「忙しいだろう。来なくていい」


「来る」


 キヨが堂島を見た。何か言おうとして、やめた。


「じゃあ、来るときは電話しなさい。片付けるから」


「片付けなくていい」


 キヨが笑った。


「あんたに散らかった部屋は見せられないよ」



 それから堂島は週に一度、キヨのアパートに通った。


 健吾とさくらのことを話した。梶本のことを話した。村上のことを話した。キヨは目を細めて聞いていた。


「賑やかになったんだね、お寺」


「そうだな」


「良かった」


 キヨが窓の外を見た。春が近づいていた。


「剛、あんた幸せか」


 突然の問いだった。


 堂島は少し考えた。


「わからん」


「正直だね」


「ただ、毎日やることはある」


 キヨが頷いた。


「それで十分だよ」



 三月の最後の週、キヨから電話があった。


「剛、明日来られるか」


「行く。どうした」


「なんでもない。顔が見たくなっただけ」


 翌朝、堂島はアパートに行った。


 キヨは布団に横になっていた。起き上がれなくなっていた。顔色が悪かった。


「病院に行くぞ」


「いい」


「いいじゃない」


「いいんだよ」


 キヨが堂島を見た。目が静かだった。


「剛、そこに座りなさい」


 堂島は布団の横に座った。


「あんたが坊主になったって聞いたとき、最初は驚いたよ。でも、そうか、と思った」


「そうかとは」


「あんたらしいと思った。やると決めたら、やる子だったから」



 キヨが目を閉じた。


「佐江さんのこと、渉のこと、ずっと気になってたよ。何も言えなかったけど」


 堂島は黙っていた。


「あの子たちの分も、生きなさい」


「ああ」


「ちゃんと飯を食いなさい」


「食ってる」


「嘘おっしゃい。痩せてるじゃないか」


 キヨが薄く笑った。


 堂島の手を取った。小さな手だった。骨ばっていた。それでも温かかった。


「剛、ありがとうね」


「何がだ」


「産んで良かった」



 その夜、キヨは逝った。


 春の夜だった。風がなかった。


 堂島は朝まで隣に座っていた。



 葬儀は流魂寺でした。


 参列者は堂島と健吾とさくらだけだった。さくらは祖父母の家から健吾が連絡して呼んだ。さくらは黄色いワンピースを着てきた。キヨが好きな色だと健吾が言ったからだった。


 読経を始めた。


 堂島の声が途中で乱れた。一度だけ。


 間があった。


 健吾が堂島の隣で手を合わせていた。さくらも手を合わせていた。


 堂島は息を整えた。読経を続けた。



 位牌を本堂に安置した。


 佐江の位牌の隣に、渉の位牌。その隣に、キヨの位牌。


 三つ並んだ。


 堂島は三本の線香を立てた。煙が三筋、静かに上がった。



 その夜、堂島は縁側に座った。


 珍しく酒を出した。小さな盃に、安い日本酒を注いだ。


 健吾が隣に来た。何も言わずに座った。


 しばらく二人で月を見た。春の月だった。丸くはなかったが、明るかった。


「住職」


 健吾が言った。


「お祖母さん、どんな人でしたか」


 堂島は少し考えた。


「うるさい人だった」


「うるさい?」


「よく喋った。よく笑った。よく怒った」


 盃を傾けた。


「強い人だった」


 健吾が月を見た。


「俺の母親も、強かったらしいです。会ったことないけど」


 堂島は答えなかった。


 風が吹いた。境内の木が揺れた。


 春の夜は静かだった。流魂寺は静かだった。


 それでも、どこか温かかった。


第十二話 了

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