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無縁仏に花を  作者: 八雲 海
第一集 無縁仏に花を

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13/13

最終話「無縁仏」

沖田が来たのは、五月の終わりだった。


 朝の読経が終わって、堂島が境内を掃いていた頃だった。表門の前に車が止まった。黒い車だった。運転手が降りて、後部座席のドアを開けた。


 老いた男が出てきた。



 七十を超えているだろう。白髪を短く刈っていた。背は低かったが、立ち方に重さがあった。高級な着物を着ていたが、華やかさはなかった。長い年月を生きてきた人間の、静かな重さだった。


 男は堂島を見た。堂島は箒を持ったまま、動かなかった。


 互いに何者かはわかった。言葉は要らなかった。


「堂島剛道か」


「そうだ」


「沖田だ。三東会の」


 堂島は箒を置いた。


「上がれ」



 庫裏で向かい合った。


 健吾は学校に行っていた。流魂寺には堂島と沖田だけだった。


 茶を出した。沖田は受け取った。一口飲んで、置いた。


「お前に話しておかなければならないことがある」


「聞く」


 沖田が堂島を見た。老いた目だったが、逃げていなかった。


「佐江さんと渉くんのことだ」



 堂島は動かなかった。


 沖田が続けた。


「お前が組を抜けようとしたとき、上層部は制裁を決めた。命令を出したのは当時の若頭だった。もう死んでいる。三年前に病気で逝った」


「知っている」


「知っていたか」


「薄々は」


 沖田が頷いた。


「俺はあの夜、知っていた。止めようとした。間に合わなかった」


 堂島は沖田を見た。沖田は目を逸らさなかった。


「詫びに来たわけじゃない。詫びて済む話じゃないことはわかっている」


「ならなぜ来た」


「お前が知らないまま死ぬのは違うと思った。それだけだ」



 沈黙があった。


 長い沈黙だった。


 堂島は怒らなかった。怒鳴らなかった。拳を握らなかった。


 ただ座っていた。


 沖田が続けた。


「渉くんは、最後まで泣かなかったそうだ。佐江さんが庇っていたから、怖くなかったのかもしれない」


 堂島の喉が動いた。それだけだった。


「佐江さんは、お前の名前を呼んだそうだ」


 堂島は目を閉じた。


 長い間、閉じていた。



 沖田が立ち上がった。


「俺にできることは何もない。ただ、伝えに来た」


 堂島は目を開けた。


「一つだけ聞く」


「何だ」


「佐江と渉は、苦しまなかったか」


 沖田が少し間を置いた。


「早かったそうだ」


 堂島は頷いた。


「そうか」



 沖田を門まで送った。


 車に乗り込む前に、沖田が振り返った。


「お前が坊主になったと聞いたとき、らしくないと思った」


「そうか」


「今は、らしいと思う」


 沖田が車に乗った。黒い車が路地を走っていった。角を曲がって、消えた。


 堂島はしばらく門のところに立っていた。



 本堂に入った。


 佐江の位牌。渉の位牌。キヨの位牌。


 三つ並んでいた。


 堂島は位牌の前に座った。正座した。背筋を伸ばした。


 線香を三本取った。火をつけた。


 煙が三筋、静かに上がり始めた。


 手を合わせた。



 どのくらいそうしていただろうか。


 気配がした。


 障子が静かに開いた。健吾だった。学校から帰ってきたのだろう。堂島の背中を見て、何も言わずに隣に座った。手を合わせた。


 しばらくして、また気配がした。


 さくらだった。今日は祖父母に連れられて来ていた。さくらだけが本堂に入ってきた。健吾の隣に座った。小さな手を合わせた。


 三人が並んで座っていた。



 堂島が口を開いた。


 静かな声だった。位牌に向かって言った。


「遅くなった」


 それだけだった。


 それだけで、十分だった。



 線香の煙が三筋、真っ直ぐ上がっていた。


 風のない日だった。


 本堂の奥まで、五月の光が差し込んでいた。


 健吾が目を赤くしていた。さくらは目を閉じたまま手を合わせていた。


 堂島は動かなかった。


 ただそこにいた。



 どこかで鳥が鳴いた。


 境内の木が、風もないのに少し揺れた。


 煙が揺れた。三筋の煙が、一瞬だけ絡まって、また真っ直ぐになった。


 堂島がそれを見た。


 目を細めた。


 それだけだった。


 流魂寺は今日も静かだった。


 新宿の路地の奥、誰も気づかない場所で、今日も線香の煙が上がっていた。


 弔う者のいない死者のために。


 居場所のない生者のために。


 そして、自分自身のために。


 男はただ、手を合わせ続けた。


終話 了

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― 新着の感想 ―
 タイトルに込められた静かな圧と貫禄に惹かれて、読ませて頂きました。  ただ、静かで、強くて、それでいて、儚くて。  心の奥にじんわりと来るような作品でした。
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