第十一話「追った男」
梶本が来たのは、十二月の初めだった。
午前中の静かな時間だった。健吾は学校に行っていた。堂島が本堂の掃除をしていると、表門から声がした。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか」
◆
六十代の男だった。背筋が真っ直ぐだった。定年退職したばかりの元刑事というのは、後から聞いた話だが、最初に見たときからそういう種類の人間だとわかった。立ち方が違った。長年、人を見てきた人間の目をしていた。
男は名刺を出した。すでに肩書きのない、名前だけの名刺だった。
「梶本といいます。突然お邪魔して申し訳ない」
「どうぞ」
◆
庫裏で向かい合った。
梶本は茶碗を両手で持ち、一口飲んでから言った。
「葬式をお願いしたい男がいます」
「身内ですか」
「違います」
梶本が茶碗を置いた。
「私が二十年追い続けた男です」
◆
話を聞いた。
男の名前は田所といった。連続窃盗犯だった。二十年で三十件以上の犯行。梶本が担当刑事として追い続け、十五年前にようやく逮捕した。懲役八年。出所後は更生しようとしたが、仕事も見つからず、身寄りもなく、二ヶ月前に都内のアパートで孤独死した。
「弔う者がいません。私が葬式を出そうと思って」
堂島が聞いた。
「なぜあなたが」
梶本が少し考えた。
「あいつの人生で、一番長く関わったのが私だからです」
堂島は何も言わなかった。
「おかしいですか」
「おかしくない」
◆
葬儀は翌日にした。
梶本が田所の遺骨を持ってきた。小さな骨壺だった。位牌もなかった。梶本が自分で用意した。田所の戒名は堂島がつけた。
本堂に梶本と堂島の二人だけ。線香の煙が静かに上がった。
読経の間、梶本はずっと手を合わせていた。目を閉じていた。どんな顔をしているかは、堂島には見えなかった。
◆
読経が終わった後、二人で縁側に座った。
梶本が空を見ながら言った。
「あいつが最初に捕まったのは十七のときでした。少年院を出て、また盗んで、また捕まって。そういう繰り返しでした」
堂島は聞いた。
「私が逮捕したとき、あいつは四十二でした。取調室で向かい合って、なぜ盗むのかと聞いたら、黙っていました。最後まで黙っていました」
「わからなかったのか」
「わかりたくなかったのかもしれません。理由がわかってしまったら、ただ可哀想な男になってしまうから」
梶本が茶碗を持った。
「あいつの育った環境を調べたとき、ああそうかと思いました。そうなるしかなかった男だと」
◆
しばらく沈黙があった。
梶本が口を開いた。
「住職さん、正義って何ですかね」
堂島は答えなかった。すぐには。
線香の煙が真っ直ぐ上がっていた。風のない日だった。
「私は三十八年、刑事をやりました。悪いことをした人間を捕まえるのが仕事でした。それが正義だと思っていました」
「今は違うか」
「わかりません」
梶本が空を見た。
「田所を捕まえたことは正しかった。でも、田所があそうなったことを誰も止めなかったことは、正しくなかった。どっちも本当のことです」
◆
堂島は少し間を置いてから言った。
「手を合わせることしか、俺にはわからん」
梶本が堂島を見た。
「正義かどうかは、俺には判断できない。ただここに来た人間には手を合わせる。それだけだ」
梶本が頷いた。
「それで十分かもしれませんね」
二人でしばらく黙って空を見た。
冬の空は高かった。雲一つなかった。
◆
梶本が帰り際に言った。
「田所は服役中、一度だけ手紙をよこしたことがあります」
「なんと書いてあった」
「すみませんでした、それだけです」
堂島は頷いた。
「誰に向けた言葉だったんでしょうね」
梶本が独り言のように言った。
「被害者か、私か、それとも自分自身か」
堂島は答えなかった。
梶本が深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
門を出て、真っ直ぐ歩いていった。振り返らなかった。元刑事の、真っ直ぐな背中だった。
◆
堂島は本堂に戻った。
田所の位牌の前に線香を一本立てた。
どんな人間だったかは知らない。何を盗んで、何を失って、どんな気持ちで死んでいったかも知らない。
それでも手を合わせる。
煙が真っ直ぐ上がっていった。
冬の光が本堂の奥まで差し込んでいた。静かな午後だった。
第十一話 了




