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無縁仏に花を  作者: 八雲 海
第一集 無縁仏に花を

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第十話「残された靴」

電話が来たのは、木曜日の昼過ぎだった。


 区の福祉課の担当者からだった。若い男性の声で、少し困っている様子だった。


「住職さん、突然のお願いで申し訳ないんですが」



 話を聞いた。


 近くのアパートでシングルマザーが孤独死した。三十四歳。死後二日が経っていた。残された子供は七歳の女の子。名前はさくら。父親はいない。祖父母も遠方で、すぐに引き取れる状況にない。児童相談所に連絡したが、一時保護の手続きに時間がかかる。


「一晩だけでも、預かっていただけないでしょうか」


 堂島は少し間を置いた。


「連れてきなさい」



 夕方、担当者がさくらを連れてきた。


 小さな女の子だった。髪を二つに結んで、黄色いワンピースを着ていた。汚れていた。二日間、母親の傍にいたのかもしれない。


 手に、赤い靴を持っていた。子供用の小さな靴。片方だけだった。


「さくらちゃん、ここのおじさんがしばらく一緒にいてくれるよ」


 担当者が言った。さくらは頷かなかった。堂島を見なかった。靴を胸に抱いたまま、下を向いていた。


 担当者が帰った。



 堂島はさくらを庫裏に連れて行った。


 飯を作った。卵かけご飯と、味噌汁と、ほうれん草のおひたし。さくらは座ったまま動かなかった。


「食べるか」


 さくらは首を振らなかった。首を振る元気もないように見えた。


 健吾が学校から帰ってきた。玄関でさくらを見て、一瞬だけ堂島を見た。堂島は目で促した。


 健吾が靴を脱いで、さくらの隣に座った。


「俺、健吾。中二。君は」


 さくらが顔を上げた。健吾を見た。


「さくら」


「何年生」


「一年」


「そっか」


 健吾が茶碗を持った。


「飯、食おうぜ。腹減ってるだろ」


 さくらは少し考えてから、箸を持った。



 夜、布団を敷いた。健吾の部屋の隣の小さな部屋に、さくらの布団を並べた。


 さくらは靴を布団の横に置いた。脱がせようとしなかった。堂島はそのままにした。


「電気、消すぞ」


 さくらが靴に手を伸ばした。胸の上に乗せた。


 堂島が電気を消した。障子越しに廊下の灯りが差し込んでいた。


「おやすみ」


 さくらは答えなかった。



 真夜中に声がした。


 泣き声ではなかった。声にならない声だった。堂島が障子を開けると、さくらが布団の上に起き上がっていた。靴を胸に抱いたまま、目を開けていた。


 堂島は部屋に入って、さくらの隣に胡坐をかいた。


「眠れないか」


 さくらが頷いた。


「お母さんのところに帰りたい」


 小さな声だった。


 堂島は答えなかった。答えられなかった。


 ただそこに座った。さくらが靴を抱いたまま、少しずつ横になった。堂島はそのまま動かなかった。


 さくらの呼吸が少しずつ深くなった。やがて寝息になった。


 靴を抱いたまま眠っていた。



 翌朝、堂島はさくらの母親の葬儀の手配をした。


 名前は西田あかり。三十四歳。死因は病死だった。糖尿病の悪化による多臓器不全。かかりつけ医はいたが、最後は一人だった。


 葬儀は簡素なものになった。棺と花と、線香だけ。参列者は堂島と健吾とさくら、それから福祉課の担当者だけだった。


 読経の間、さくらはずっと堂島の隣に座っていた。泣かなかった。靴を膝の上に置いて、じっと棺を見ていた。


 読経が終わった後、さくらが立ち上がった。棺に近づいて、靴を棺の横に置いた。


 堂島が近づいた。


「入れてやるか」


 さくらが頷いた。


 靴を棺の中に入れた。あかりの足元に、そっと置いた。


 さくらが棺を見た。


「お母さん、寒くないかな」


 堂島は答えなかった。


 健吾がさくらの隣に来て、小さな手を握った。さくらは握り返した。



 葬儀が終わった後、さくらは流魂寺に残った。


 祖父母が来るまで、もう少し時間がかかるという連絡が入った。


 さくらは少しずつ流魂寺に慣れていった。健吾の後をついて歩いた。境内の掃除を手伝った。小さな箒で、不器用に落ち葉を集めた。


 ある夕方、さくらが堂島に聞いた。


「おじさん、お母さんはどこに行ったの」


 堂島は境内の空を見上げた。


「空の上だ」


「会えない?」


「会えない」


 さくらが空を見た。


「でも、見てる?」


 堂島は少し間を置いた。


「見てる」


 さくらが頷いた。それ以上は聞かなかった。



 十日後、さくらの祖父母が迎えに来た。


 さくらは荷物をまとめた。少ない荷物だった。


 堂島と健吾が門まで送った。


 祖母がさくらの手を引いた。さくらが振り返った。


「またくる」


 堂島が頷いた。


「待ってる」


 健吾が手を振った。さくらが小さく手を振り返した。


 祖父母とさくらが路地を歩いていった。角を曲がる前に、さくらが一度だけ振り返った。


 それから消えた。



 健吾が堂島の隣に立った。しばらく黙っていた。


「さくら、元気でいられますかね」


「さあな」


「でも、またくると思います」


 堂島は答えなかった。


 境内に夕暮れが差し込んでいた。落ち葉が風に舞った。さくらが不器用に集めた落ち葉が、また散らばっていた。


 堂島は箒を取った。


 一人で、黙って掃き始めた。


第十話 了

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