↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
第二章
PR
54/56

第54話  冒険初日

 早朝。城塞都市カルーエタウンの宿屋には、これまでとは違う、引き締まった空気が流れていた。


 五人は静かに朝食を済ませると、それぞれ荷物の最終点検に入った。


 グリナは背嚢(はいのう)を開き、小さな指先で一つひとつ中身を確認していく。


「水袋……干し肉……応急薬……火打石にナイフ……よし」

「グリナちゃん、それ本当に全部必要なの? かなり重そうだけど……」


 その几帳面(きちょうめん)な点検ぶりを見ながら、前川先輩が心配そうに尋(たず)ねる。


 グリナは背嚢の紐をきゅっと結び直し、真顔で振り返った。


「使わないで済むなら、それが一番なんだよ、前川先輩。備えを惜しんで死ぬのが、ポーター一番の恥だからね!」

「……う。そりゃそうね。愚問(ぐもん)だったわ」


 前川先輩は深く頷(うなず)いた。


 荷物の管理と配分を担うグリナの姿には、訓練の時とは違う、ポーターとしての責任感が滲(にじ)んででいる。


 宿の重い木枠の扉を開けて外へ出ると、朝のカルーエタウンは静かに動き始めていた。


 店先に商品を並べる商人。

 荷馬車が石畳を進む音。

 街中を行き交う兵士たち。


 昨日まで過ごしていた街が、今は明確な「出発地点」に変わっている。


 勇雄は歩きながら、無意識に街の様子を見回した。


 戦争の影響を受けた街。

 それでも、そこに暮らす人々の日常は続いている。


 長杖を抱えたミカが、ふと足を止めて静かな街並みを振り返った。


「行くぞ」


 勇雄が短く声をかける。


 ミカは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに柔らかく微笑んだ。


「うん」


 二人は再び歩調を揃(そろ)え、門へ向かった。


 ♢


 都市の重厚な大門へ到着すると、立派な長槍を携えた門番が五人の装備を一通り改めた。


「身なりを見るに、探索者か?」

「そうですよ。ここから西に向かいますが、道中の警戒事項はありますか?」


 グリナが凛とした声で尋ねる。


 門番は西の方を指差しながら答えた。


「最近、あの一帯は妙な魔物が増えている。特に森へ入ったら、気を抜くなよ」


 門番は続ける。


「……魔王軍との戦況が激化してからというもの、街道の外は怪異(かいい)ばかりだ」

「教えてくれてありがとう。重々気をつけます」


 グリナが頭を下げる。


 昨日、ギルドで聞いた情報と一致している。


 勇雄は門番の言葉を頭の中で反芻(はんすう)しながら、気を引き締めた。


 門を通り抜ける。


 背後で街の喧騒(けんそう)が徐々に遠のき、足元の道も舗装された石畳から乾いた土へと変わっていった。


 街の外へ出ると、視界が一気に開ける。


 どこまでも澄み渡る青空。

 深緑の草原。

 遠くに聳える豊かな山脈。

 そして、街道の脇を流れる透き通った小川。


 空を時折、異形の鳥が羽ばたいていく。


 その姿がなければ、戦争中であることを忘れてしまいそうなほど、穏やかな光景だった。


「……本当に、異世界に来ちゃったんだねぇ」


 前川先輩が、しみじみと呟いた。


「えっ、前川先輩、今さら!?」


 グリナが青い編み髪を揺らして驚く。


「今さらだけどさ! 改めて空の広さを見ると、実感が湧(わ)くでしょ!」


 前川先輩が笑う。


「確かにね」


 理人も周囲を見回した。


 そのやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


「……すごく、静かですね」


 ミカが呟く。


「……ああ」


 勇雄が頷いた。


 前川先輩が腕を組む。


「嵐の前の静けさじゃなきゃいいけどね。油断禁物よ」


 その言葉に、勇雄は西の先へ視線を向けた。


 目的地は、あの先にある。


 ♢


 街道は次第に、巨木が立ち並ぶ深い森林地帯へと飲み込まれていった。


 木々が陽光を遮り、木漏れ日が地面を斑模様(はんもよう)に染めている。


 五人は訓練通り、自然と無駄のない隊列を組んでいた。


 先頭を歩く勇雄は、いつでも抜けるよう長剣の柄(つか)に手を添えている。


 その少し後ろでは、理人が周囲へ鋭い視線を巡(めぐ)らせていた。


 後方にはミカ、グリナ、前川先輩。


 ミカは長杖を構え、グリナは指揮棒を手に大型の荷物を背負っている。


 そして前川先輩は、全員の動きを確認できる位置でクロスボウを抱えていた。


「……VRの訓練をしてなかったら、こんな綺麗な隊列を組むなんて絶対に無理だったわね」


 前川先輩が感心したように呟く。


「だろ? それに俺の『道標』の加護もバッチリ機能してる」


 理人が胸を張った。


「ディーヌ洞窟の正確な方角と距離が、リアルタイムで頭に入ってくるんだぜ」

「相変わらず便利ねぇ。一家に一台ほしいくらいだわ」

「おいおい、俺を家電扱いかよ」


 理人が笑う。


「でも、迷わず進めるなら助かりますね」


 ミカが自然な調子で言った。


「古賀くん、次に道が分かれたら教えてくださいね」

「おう。任せてくれ」


 理人が軽く手を上げる。


 以前なら、その加護の異質さを警戒していた勇雄も、今は特に口を挟まなかった。


「……頼りにしてる」


 勇雄が短く言う。


 理人が一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。


「お、珍しく素直じゃん」

「必要な能力だからな」

「はいはい。そういうことにしとくよ」


 勇雄は小さく息を吐いた。


 以前なら、理人の加護について必要以上に考えていただろう。


 だが今は違う。


 少なくとも、この旅の間は仲間として頼る。


 それでいい。


 勇雄は周囲への警戒を続けながら、理人の隣を歩くミカへ視線を向けた。


 ミカも、もう理人の加護を疑うような表情はしていない。


 警戒心が完全に消えたわけではない。


 それでも、最初の頃とは明らかに違っていた。


 ♢


 森の奥へ進んだところで、小さな水場に差し掛かった。


 澄んだ水面に、拳ほどの大きさをした半透明のスライムがぷかぷかと浮かんでいる。


 前川先輩が即座にクロスボウを構えた。


「……敵!? 狙撃する!?」

「待って、撃たないで!」


 グリナが慌てて制した。


「違うよ、先輩。あれは水の中の汚れを食べて、綺麗にしてくれてるの!」


 見ると、スライムは水中の濁りを取り込み、しばらくすると綺麗になった水を吐き出している。


 勇雄はスライムの動きを観察した。


 少なくとも、今のところ敵意はない。


 ミカも水場を覗(のぞ)き込み、不思議そうに目を丸くしている。


「スライムって、掃除してくれるんですか……?」

「そうだよー。だから水場の近くにいるスライムは、倒しちゃ駄目なんだよ」

「なるほど……。じゃあ、この子は放っておいて大丈夫なんですね」

「うん!」


 ミカがほっとしたように微笑む。


 勇雄は水場を見ていた。


 魔物と呼ばれる存在でも、すべてが人間に害を与えるわけではない。


 昨日まで訓練領域で戦っていた魔物とは、少し印象が違った。


 さらに進む。


 今度は、空中を揺らめく小さな光の球━━ウィスプが、群生する花の周りを飛び交っていた。


「わぁ、綺麗……」


 前川先輩が顔を近づける。


 次の瞬間。


 バチッ。


「痛っ! 静電気!?」

「あーっ! 近づきすぎ!」


 グリナが慌てて叫ぶ。


「ウィスプは微弱な雷気を纏(まと)ってるんだから!」

「痛たた……先に言ってよ、グリナちゃん!」

「触ろうとすると思わなかったんだもん!」


 グリナが笑う。


 ミカも口元を押さえ、小さく微笑んでいた。


 勇雄はウィスプへ視線を戻す。


 異世界の生態系は、危険と隣り合わせだ。

 だが、目に入るものすべてが敵というわけでもない。


 そのことを、実際の道中で少しずつ理解し始めていた。


 ♢


 しばらく進んだところで、道端に角のある大きなネズミの魔物の死骸を見つけた。


 グリナが手際よくしゃがみ込む。


「これ、体内に魔石が残ってると思う」

「魔石って、そんな体の中にあるの?」


 前川先輩が興味深そうに覗き込む。


「うん。ある程度大きな魔物なら、体内に魔力を溜める器官があるんだよ。街では明かりや調理の熱源として重宝されてるの」

「……へえ。つまり、異世界の乾電池ってこと?」

「でんち……?」


 グリナが首を傾げる。


「持ち運びできる魔力タンクみたいなもんだよ」


 理人が助け舟を出す。


 そして、死骸へ手際よくナイフを入れ、小さな青い結晶を取り出した。


 その鮮やかな手捌(てさば)きに、前川先輩が呆(あき)れた顔を向ける。


「……なんでそんな解体作業までサクッとできるのよ」

「大抵の作業は、一回見れば要領を覚え込めるタチでね」

「はいはい、相変わらずの器用貧乏(きようびんぼう)ね」

「貧乏は一言多いだろ」


 理人が苦笑しながらナイフを拭った。


「でも、助かりますね」


 ミカが魔石を見ながら言った。


「こういう知識も、これから必要になりそうです」

「まあな。知らないよりは知ってた方がいい」


 理人が魔石をグリナへ渡す。


 グリナはそれを受け取り、大型の荷物へしまった。


 勇雄は青い魔石を見ていた。


 昨日まで訓練領域で見ていた魔物とは違い、ここでは倒された魔物の身体も、この世界の生活の一部になっている。


 ♢


 歩調を緩めず先へ進む中、前川先輩がふと素朴な疑問を口にした。


「ねえ……そういえば、この森って『蚊(か)』とかいないの?」

「カ……?」


 グリナが不思議そうに首を傾げる。


 ミカも聞き慣れない言葉だったのか、目を瞬かせていた。


「血を吸って、痒くしてくる、あのウザい虫よ! 夏になると湧(わ)くやつ!」

「うーん……」


 グリナが困ったように眉を寄せる。


 どうやら、言葉だけではイメージできないらしい。


「どんな虫なの?」

「そうね……」


 前川先輩が考え込む。


 すると理人が、足元に落ちていた枝を拾った。


「説明するより、描いた方が早いか」


 理人は湿った土の上へ、枝を走らせる。


 極細の脚。

 細長い口。

 羽の形。


 無駄に細かく描き込まれた絵は、妙にリアルだった。


「うわ、絵が上手いな……」


 勇雄が覗(のぞ)き込む。


「本当ですね。細かいところまで分かりやすいです」


 ミカも絵を覗き込んだ。


 理人は淡々と説明を続ける。


「夜中に耳元で『ブーン』って飛んできて、寝てる間に刺してくるんだよ」

「そうなの! 刺されたらめちゃくちゃ痒くて、集中力まで切れるのよ!」


 前川先輩が熱弁する。


 グリナは、地面の絵を見つめたまま、じわじわと後ずさった。


「……なにそれ。拷問用の魔虫か何か!?」

「いや、ただの虫だよ」

「ただの虫なの!? 地球って、どんだけ恐ろしい環境なの……?」

「ほんとよ! だから蚊がいないなら、異世界に移住するのも悪くないかなって」


 前川先輩が冗談めかして言う。


「それで移住を決めちゃうの!?」

「帰る気なくなったのかよ」


 グリナと理人がほぼ同時に突っ込んだ。


「撤回(てっかい)! 撤回するわよ、速攻で! ちゃんと帰るわよ!」


 前川先輩が慌てて言い直す。

 一同から笑いが起きた。

 勇雄も思わず口元を緩める。


 その空気に乗るように、前川先輩がさらに尋ねた。


「じゃあ……『ゴキブリ』は?」

「それも描くか」


 理人が再び枝を動かした。


 今度は、黒く平たい虫の姿が土の上に描かれていく。


「黒くて平べったい。油を好んで、カサカサと凄まじい速度で走る。しかも、たまに顔に向かって飛んでくる」

「……ヤバすぎるでしょ、その生物!」


 グリナが数歩後ずさる。


「完全に呪いじゃん!」


 ミカも地面の絵を見たあと、嫌そうな表情を浮かべて理人を見る。


「……古賀くん、あれが顔に飛んできたことがあるの?」

「間一髪(かんいっぱつ)でよけた」


 理人がおどけて答える。


「ほら、異世界の方が平和でしょ?」


 前川先輩が得意げに胸を張った。


 グリナはしばらく地面の絵を見つめていたが、やがて真顔で頷く。


「でも、その黒いカサカサと出会うくらいなら、目の前の魔物と戦う方がまだマシかも……」

「いや、さすがにそれは言い過ぎだろ」


 理人が呆れたように笑う。


 勇雄は三人のやり取りを聞きながら、再び森の奥へ目を向けた。


 少なくとも、地球の虫がこの世界にそのまま存在するわけではないらしい。


 ━━とはいえ、魔物がいる時点で、単純に平和とも言えない。


 ♢


 その時だった。


 先の巨木の根元から、


 カサカサ……。


 小さな音が響いた。

 勇雄は反射的に足を止めた。


「……!」


 五人が一斉に身構える。


 勇雄が長剣の柄へ手を添え、理人も周囲へ視線を走らせる。


 木の根元から現れたのは、ネズミほどの大きさをした幼虫だった。


 硬い鉄のような外殻に覆われている。


 しかし、その動きは非常に遅い。


 幼虫は何事もなかったかのように腐葉土をモゾモゾと食べていた。


「あ、アイアンクローラーの幼体だね」


 グリナがほっとしたように説明する。


「腐葉土を食べて育つ、大人しい奴だよ。成長すると三メートルくらいになるけど」

「……これが異世界のゴキブリ枠?」


 前川先輩が、地面に描かれたゴキブリの絵と目の前の幼虫を見比べる。


「全然違うよ!」


 グリナが即座に否定した。


「こんなに大人しくて害がないのに!」

「見た目はゴツいけど、素早く部屋の隙間に逃げ込まないだけ、一万倍マシだな」


 理人まで加勢する。


「古賀くんまで!」


 前川先輩が抗議する。


 勇雄は幼虫を見ながら、ゆっくりと剣の柄から手を離した。


 敵ではない。


 それが分かるだけでも、実戦と訓練の違いを一つ理解できた気がした。


 ♢


 やがて木漏れ日の角度が変わり、正午が近づいてきた。


 グリナが足を止める。


「この先の木陰、風通しもいいし、周りも見渡せるから休憩にちょうどいいね!」


 勇雄と理人が周囲を確認する。

 敵の気配はない。

 勇雄は無言で頷いた。


「よし。じゃあ、ここでお昼にしましょうか」


 前川先輩の言葉を合図に、五人は背嚢を下ろした。


「……ふぅ。まだ午前中だけど、なんだか凄く濃厚な時間だったわね」


 木陰に腰を下ろした前川先輩が息を吐く。


 勇雄は少し離れた木々の隙間から、遠くに霞む山影へ目を向けた。


 あれが、ディーヌ洞窟へ続く道だ。


 昨日までなら、地図の上に記された目的地でしかなかった。

 だが今は、そこへ自分たちの足で向かっている。


 その隣に、ミカがそっと並んだ。


「……勇雄くん」

「……ああ。近くまで来ている」

「古賀くんの加護だと、あとどれくらいなんでしょう?」


 ミカが尋ねる。

 勇雄は少し考えてから、理人へ視線を向けた。


「古賀。距離は?」

「このままの道なら、まだ半日以上はあるな。明日の昼前には、洞窟の近くまで行けると思う」

「そうか」


 勇雄は頷いた。


「じゃあ、今日は予定通り進もう」

「了解」


 理人が笑う。


「明日には、いよいよ洞窟だな」

「……うん」


 ミカも小さく頷いた。


 その声には、不安だけではなく、決意も混じっていた。


 勇雄は再び、遠くの山影へ目を向ける。

 午前の旅は、無事に終わった。

 だが、ここから先はまだ分からない。

 それでも、五人でここまで来た。


「……まずは昼食だな」


 勇雄が言うと、ミカが微笑んだ。


「はい」


 目的地であるディーヌ洞窟へ。


 そして勇雄は、知らず知らずのうちに長剣の柄を握り直していた。

第54話を読んで頂きありがとうございます。

冒険の場面、いかがでしょうか。

一言:蚊の代わりは幼虫がスライムと成虫がウィスプでおこなっています。

五人の旅はまだまだ続きます。次の話もお楽しみ下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。