第52話 洞窟への出発準備
昼過ぎ。
五人は宿の食堂で再び集まった。
テーブルに運ばれてきたのは、固い干し肉を煮込んだ濃いスープと、干しぶどうの混ざった小さなパン。
「ふぅ……噛みごたえのある干し肉だけど、噛めば噛むほど味が出るね」
グリナはスープから取り出した干し肉を頬張り、嬉しそうに頬を緩めた。
「グリナちゃん、それ一番最初に言うこと?」
前川先輩が呆れたように笑う。
「だって美味しいよ?」
「まあ、確かに不味くはないけど……」
「じゃあ、先輩も食べよう!」
「はいはい」
前川先輩は苦笑しながらパンをちぎると、気持ちを切り替えるように一度手を叩いた。
「さて。そろそろ情報を合わせましょう。こっちは洞窟までのルートと、水場の位置。それから━━『一年ほど前から洞窟へ辿り着けない者が増えている』って話を聞いてきたわ」
「こっちも似たような話だった」
理人が干し肉を噛み砕きながら答える。
「街の噂も、ギルドで聞いた情報と一致してる。生態系の変化、街道近くでの魔物の増加。それから……『洞窟へ至る道が不気味になった』って話だな」
「やっぱり同じなんですね」
ミカが頷く。
「複数の場所で同じ話が出ているなら、ただの噂とは考えにくいです」
「行った奴らは口を揃えて、洞窟に辿り着く前に嫌気が差して引き返したって言ってた」
理人はそう言って、スープを一口飲んだ。
「魔物が増えたことと、洞窟へ向かう人間が減ったこと。この二つが同時に起きている」
前川先輩が腕を組み、眉をひそめる。
「……やっぱり、洞窟そのものだけじゃなくて、この街から洞窟に至る地域全体がおかしくなってるってこと?」
「可能性はある」
勇雄は短く答えた。
「ただ、原因までは分からない」
「明日、実際に行って確かめるしかないか」
理人が肩をすくめる。
「そういうことだ」
勇雄が話を締めくくる。
勇雄と理人の視線が交わる。
互いに言葉を交わさなくても、今回の調査が危険なものになる可能性は理解していた。
「それと、これ」
ミカが懐から何かを取り出した。
机の上に置かれたのは、五つの勲章だった。
「ギルドから『感謝の勲章』も貰ったんですよ。ほら」
「グリナさんと古賀くんの分もありますよ」
「すごーい!」
グリナが目を輝かせ、勲章を覗き込む。
「これ、普通の人でも、複数の人から証言がないともらえないやつだよ! すごいね!」
「そうなの?」
ミカが意外そうに目を丸くする。
「うん。ちゃんとした功績として記録に残るんだよ」
「へえ……」
理人が自分の勲章を手に取る。
しばらく眺めたあと、どこか遠くを見るような目をした。
「俺、こういうのには縁がないと思ってた」
「それにね━━」
前川先輩が意味ありげに笑いながら、あの重い革袋を机の上へポンと置いた。
「商人たちやギルドから、はずみで謝礼金まで出たのよ! これで城からの借金も少し減りそうだわ!」
「へえ。そいつは助かるな」
理人が革袋を見ながら、口元を緩める。
「まあ、あれだけの立ち回りをしたんだ。当然の対価だろ」
「私も、昨日のことを誰かが覚えていてくれて……それに、お金もちゃんと貰えたのは悪くないわね」
前川先輩は嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、命がけだったからな」
勇雄が淡々と答える。
「勇雄くん、それだけ?」
ミカが思わず笑った。
「……何が?」
「もっと嬉しそうにしてもいいんですよ」
「十分だ」
「そうですか?」
「そうだ」
あまりにも即答だった。
ミカは一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑う。
「ふふ。勇雄くんらしいですね」
「で、明日の準備は?」
理人が話を戻すように声を上げた。
「午後は必要な物資の買い出しと、装備の最終調整だ」
勇雄が答える。
「水、食料、傷薬。それから、洞窟へ向かう途中で必要になりそうなものを確認する」
「地図も、もう一度見直しましょう」
前川先輩が続ける。
「道に異常があるなら、予定通り進むだけじゃなくて、戻ることも考えておかないと」
「うん!」
グリナが元気よく頷いた。
「私、荷物の最終確認やるね! 昨日みたいに、途中で何か足りなくなったら大変だし」
「そうだな」
勇雄が頷く。
「頼む」
「任せて!」
グリナが胸を張る。
勇雄は、そんな四人を順番に見回した。
昨日までなら、ここまで自然に役割分担ができていただろうか。
まだ、互いを完全に理解したわけではない。
それでも、少しずつ噛み合い始めている。
「よし」
勇雄が席を立つ。
「午後の準備を念入りにする」
「はい、分かりました」
「了解」
「はーい、任せて!」
「分かったわ」
五人はそれぞれ返事をすると、明日の準備へと取りかかった。
♢
昼食を終えた五人は、カルーエタウンの商店街へ向かった。
「必要な物は、だいたい揃ってるな」
勇雄が背中の装備を確かめる。
王都で入念に準備してきたおかげで、買い足す物は少なかった。
グリナも大型のリュックを覗き込む。
「うん。足りないのは消耗品くらいだね」
五人は露店や商店を回り、水袋や干し肉、硬焼きパンなどを補充していく。
その間にも、自然と役割は分かれていた。
前川先輩が全員の装備と物資を確認し、グリナが購入した物をまとめていく。
「……なんか私、普通にみんなの装備チェックとか、物資の配分とか仕切ってるんだけど」
前川先輩が、ふと我に返ったように呟いた。
隣を歩いていたミカが、可憐に微笑む。
「ふふ。麗奈先輩は、私たちの指揮官ですから」
「いつからよ、それ!」
前川先輩が思わず声を上げ、両手を振る。
「誰か私に役職手当ちょうだい!」
「でも先輩、指示するの上手だよ?」
グリナまで加わる。
「グリナちゃんまで……」
前川先輩は呆れたようにため息をついた。
だが、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
購入した物資は、グリナの大型リュックへ詰め込まれていく。
「あ、武藤くん。それ、奥に入れると咄嗟に取り出せないよ」
「じゃあ、こっちのサイドポケットか?」
「うん、正解! 食料は重いから真ん中。包帯と消毒液はすぐ使うかもしれないから、一番上ね」
「分かった」
以前よりも手際がいい。
訓練を重ねるうちに、グリナは自分の役割を確実に身につけていた。
勇雄は、その姿を黙って見ていた。
♢
宿に戻ると、持っていく荷物を全て床に並べた。
前川先輩がメモを片手に、一つずつ確認していく。
「水、食料、薬品類……予備も入ってるわね」
「うん。バッチリ!」
グリナは大型リュックを開き、内部を指差した。
予備の水や食料、薬品類が、驚くほど無駄なく詰め込まれている。
重量のある物は中央へ。
頻繁に使う物は取り出しやすい場所へ。
それぞれの用途に合わせて配置された荷物には、これまでの訓練の成果がはっきりと表れていた。
「よしっ、収まった!」
グリナが最後の荷物を押し込み、満足そうにリュックを閉じる。
「これで、途中で足止めされても大丈夫だよー!」
そう言って、背負ったリュックを力強く叩いた。
「……足止めされる状況は、できれば避けたいけどな」
勇雄が苦笑する。
「まあまあ。備えあれば憂いなしってやつ!」
「そうね。準備しておくに越したことはないわ」
前川先輩も頷いた。
日差しがオレンジ色に傾き始める頃には、五人の装備も、手荷物の配分も、すべて整っていた。
いつでも出発できる。
そんな静かな覚悟が、五人の間に漂っていた。
♢
夕刻。
五人は少し早めの夕食を取っていた。
麦のスープに硬めのパン、塩漬け肉の煮込み。
スープを木匙ですくいながら、前川先輩がぽつりと呟く。
「……明日、本当に行くんだよね」
「うん」
グリナが頷いた。
「何回も戦闘訓練してるはずなのに……なんか変な感じ」
「本物は、違いますから」
ミカが木匙を止める。
「ちょっと、ミカちゃん。今それ言わないでよー」
前川先輩が苦笑しながら肩を落とす。
「余計に緊張するじゃない……」
「ご、ごめんなさい」
ミカが申し訳なさそうに眉を下げる。
「いや、ミカちゃんが悪いわけじゃないんだけど……」
前川先輩はそう言いながら、もう一度スープを口に運んだ。
誰も口には出さなかった。
だが、明日のことを考えれば、不安がないはずはなかった。
グリナは、荷物に不備がないか。
前川先輩は、指揮の判断を誤らないか。
ミカは、仲間が傷つかないか。
理人は、いつもの笑みを浮かべながら、何かを頭の中で整理しているようだった。
静まり返るテーブルの端で、勇雄は静かにスープの木匙を置いた。
ふと視界に入ったのは、前川先輩の言葉に申し訳なさそうに眉を下げているミカの姿だった。
一昨日の晩、静まり返った夜の空気の中で、彼女が絞り出すように放った言葉が耳の奥で蘇る。
あの葛藤と、「調査が終わったら話す」という二人だけの約束。
黒髪の神から告げられた『ディーヌ洞窟』調査の指示と、消えた『望月美香』。
図書館の本に記されていた「魂が二つに分かれる」という不可解な事象。
そのすべてが、いま目の前にいるミカと結びついているように思えてならなかった。
全員を無事に連れて帰るというリーダーとしての責務。
その裏側で、勇雄はミカの過去と向き合う覚悟を、誰にも悟られぬよう静かに固めていた。
「……全員で、帰ってこようね」
グリナが、ふと思い立ったように呟いた。
その言葉に、前川先輩がすぐに胸を張る。
「当たり前でしょ」
その声には、先ほどまでの不安を振り払うような力があった。
「誰一人欠けさせる気はないわよ」
「うん。全員で無事に、ですね」
ミカも頷く。
理人が肩をすくめ、いつもの軽い調子で笑った。
「そうだな。家に帰るまでが遠足ってな」
「……遠足?」
グリナが首を傾げる。
「なんでもない」
理人は笑って誤魔化した。
最後に、全員の視線が勇雄へ集まった。
勇雄は一瞬だけ黙った。
それから、静かに頷く。
「……ああ」
その一言で十分だった。
五人で行き、五人で帰ってくる。
それが、いつの間にか全員の共通認識になっていた。
そして勇雄は、ふとあることを思い出した。
これまで何度も訓練をしてくれた四柱の神々。
洞窟攻略に出る以上、今日を逃せば、しばらく四柱の神々から訓練を受ける事はないだろう。
勇雄は、四人の神たちの顔を思い浮かべながら、目の前の食事を静かに口へ運んだ。
第52話を読んで頂きありがとうございます。
洞窟への準備が整いました。やっとここまで来ました。
次回は神眼鏡からです。お楽しみ下さい。




