第51話 情報収集
朝のやわらかな光が、城塞都市カルーエタウンの宿屋の食堂を静かに照らしていた。
木製のテーブルに並んでいるのは、少し硬めに焼かれた黒パンと、刻んだ根菜の入った薄い塩味のスープ。そして、塩漬け肉の小切れだった。
魔王城に近いこの街では、前線へ送る兵糧が優先されるため、朝食も質素なものになっている。
それでも、湯気の立つスープの温もりが、五人の腹をゆっくりと満たしていく。
「今日は情報を集める。明日、洞窟へ向かう」
勇雄が短く、今日の行動方針を告げる。
ミカがスープの匙を置き、優しく頷いた。
「買い出しも今日のうちに済ませないとね。前線が近いから、物資の値段も上がってるみたいですし」
「水と食料、それから傷薬の補充は、私がもう一度確認しておくよー」
グリナが軽い調子で応じる。
硬いパンをスープに浸していた前川先輩が、ふと顔を上げた。
「ねえ。情報収集って言っても、ギルドで正式な情報を聞くのと、街で生の噂を集めるのじゃ、行く場所が違うわよね」
前川先輩は五人を見回した。
「二組に分かれない?」
「そうだな。その方が効率的だ」
理人がスープを口に運びながら頷く。
「じゃあ……私、どっちについていけばいいの?」
前川先輩が尋ねると、勇雄と理人がほぼ同時に口を開いた。
「こっちに来てください。ギルドの書類や依頼の精査には、前川先輩の冷静な目が必要です」
「いや、前川先輩、俺たちの街頭聞き込みにも来てよ。住民から警戒されずに話を引き出すには、先輩のそのモデル体型と親しみやすさが不可欠だって」
「……」
前川先輩が二人を交互に見る。
二人とも冗談ではなく、本気で自分を必要としているらしい。
「いやいやいや、待って? なんでそんな真剣に引っ張り合われてるの、私……?」
前川先輩は困ったように溜息を吐き、両手をひらひらと振った。
「もうっ。じゃあ『じゃんけん』で決めれば? 勝った方についていくわよ」
「……じゃんけん?」
グリナが青い編み髪を傾け、不思議そうに前川先輩を見る。
「それ何?」
「あ、うん。じゃんけんねぇ……」
ミカは誤魔化すように、少しだけ顔を引きつらせた。
「勇雄くん、説明してあげて」
「分かった」
勇雄は淡々と説明する。
「『じゃんけん、ぽん』と言って、三つの手の形から一つを出す。石がグー、鋏がチョキ、紙がパー。グーはチョキに勝つ。チョキはパーに勝つ。パーはグーに勝つ」
「へぇー!」
グリナが自分の手を眺める。
「この世界にある『輪・刃・拳』と似てるね。指で輪っかを作るのが手刀の刃に勝って、刃が拳に勝って、拳が輪に勝つやつ」
「そうなんですか?」
ミカが興味深そうに尋ねる。
「うん! 何かを決める時に、仲間内でやるよー」
「じゃあ、ちょうどいいじゃない」
前川先輩が笑う。
「私がどちらについていくかを、二人に決めてもらいましょう」
「私とグリナちゃんで?」
ミカが目を丸くする。
「うん。武藤くんと古賀くんが揉めるより、そっちの方が早いでしょ」
「確かに」
理人が苦笑する。
「じゃあ、俺たちは結果に従うってことで」
勇雄も頷いた。
「異論ありません」
「よーし! ミカちゃん、負けないからね!」
グリナが楽しそうに手を構える。
「ふふっ。私も負けませんよ」
二人が向かい合う。
「せーの……じゃんけん、ぽん!」
ミカがパーを出し、グリナがグーを出した。
「あ」
グリナが自分の拳を見つめる。
「私の負けだー!」
「はい。私の勝ちですね」
ミカが柔らかく微笑む。
「というわけで、前川先輩はギルド組です」
「了解。じゃあ勇雄くんとミカちゃん、それに私でギルドね」
「うん。情報を精査するなら、三人いた方が確実だからね」
前川先輩が頷く。
「……なんか、拍子抜けするくらい普通に決まったわね」
「でも、これなら揉めなくて済みましたね」
ミカが笑う。
「よし、それじゃあ昼頃にここで再集合。遅れないようにね」
「了解!」
グリナが元気よく返事をする。
「じゃあ、行こうか」
理人が立ち上がり、グリナも続いた。
五人はそれぞれの役割を胸に、宿を出た。
♢
ギルドの重厚な扉をくぐった勇雄、ミカ、前川先輩の三人は、受付へ向かった。
「昨日お願いした情報屋の件ですが」
勇雄が伝えると、受付の職員が頷いた。
「はい。現在、呼びに行かせています。少々お待ちください」
その直後、別の職員が慌ただしく奥から現れた。
「失礼します。昨日の馬車護衛隊長、ゼイン様から報告が届いています」
「ゼインから?」
勇雄が振り返る。
「はい。昨日の護衛任務に関するものです」
職員はカウンターの上へ、小さな革袋を置いた。
「皆様が受け取る予定だった、ラッシュボア一頭分の討伐報酬です」
前川先輩が袋を持ち上げる。
「……軽い」
紐を解き、中身を覗き込む。
「……これだけ? 銀貨数枚……?」
「一頭分ですからね」
職員は淡々と説明した。
「魔物は環境保全のため、乱獲が厳禁されています。討伐した魔物の素材にも価値はありますが、一頭で大金になるほどではありません」
「……うぐっ」
前川先輩は、ミカにワール語の聞き取れなかった単語を聞いた後、顔が引きつった。
「……これじゃ、私たちが王城で背負った借金には全然届かないじゃない……」
「だから洞窟へ行く」
勇雄は視線を変えずに答えた。
「あそこには、何かがある」
「……何か、ね」
前川先輩は革袋を見つめた。
「……本当に、簡単にはいかないわね」
「だから、情報が必要なんです」
ミカが静かに言った。
「何も分からないまま洞窟へ行くより、少しでも危険を減らしておきたいです」
「そうね」
前川先輩も頷いた。
さらに職員が、黒漆塗りの小さな箱をカウンターへ置いた。
勇雄は箱を指差した。
「これは何ですか?」
「開けてみてください」
箱を開けると、中には小さな金属製の勲章が入っていた。
「昨日の護衛側から『命を救われた』との強い感謝の申告がありました。個人ではなく、皆様五人の功績として、こちらの『感謝の勲章』が授与されます」
「勲章……?」
勇雄が手に取る。
小さな金属の重みが、指先へ伝わった。
「ギルドの記録にも残ります。皆様が誰かを救ったという事実が、生涯にわたって記録に刻まれる名誉です」
「……こういうものもあるのか」
勇雄が勲章を眺める。
ミカはそれを覗き込み、嬉しそうに微笑んだ。
「誰かを助けたことを認めてもらえるのは、すごく嬉しいですね」
「私なんて、昨日は必死で矢を一本撃っただけなんだけど……」
前川先輩が困惑気味に首を傾げる。
「それでも、その一本が必要だったのでしょう」
職員が穏やかに答える。
「宝神教では、助けられたことを他人へ伝えるのも、『死後、神様に選ばれる』ための行いだと教えられています。誰かを救った者の功績を忘れないためでもあります」
職員は付け加えた。
「もちろん、複数の証人と証言を精査した結果です。嘘や偽証は処罰されます」
「……なるほど」
前川先輩は勲章を見つめた。
「じゃあ、私たち五人全員の名前が残るんですね」
「はい」
職員が頷く。
「皆様の功績として記録されます」
「……悪くないな」
勇雄が小さく言った。
「勇雄くん、ちょっと嬉しそう」
「そうか?」
「はい」
ミカが微笑む。
「ほんの少しだけですけど」
「……そういうことにしておく」
勇雄はそう言いながらも、口角をわずかに上げた。
そして職員は、先ほどよりも一回り大きく、ズシリと重みのある別の革袋をカウンターに置いた。
「それから、こちらが最後となります。こちらの革袋には、護衛隊や商人の方々からの個人的な謝礼、そしてギルドからの報奨金が含まれております。先ほどの討伐報酬とは別に、お受け取りください」
職員がもう一つの革袋を指差しながら説明した。
前川先輩が半信半疑のまま、その革袋を持ち上げる。
今度は持ち上げた瞬間、ジャラリと金属が重なり合う確かな手応えが手に伝わった。
「えっ……! ちょっと、さっきと重さが全然違うんだけど……!?」
前川先輩が大慌てで紐を解き、中身を覗き込んだ。
そこにはぎっしりと詰まった金貨と銀貨が、魔力灯の光を受けて眩しく輝いていた。
「武藤くん、ミカちゃん、見て! これ、かなりの額が入ってるわよ……!?」
「……本当ですね」
ミカも目を丸くして覗き込む。
「命を救われた商人さんたちが、相当弾んでくれたみたいです……」
勇雄も中身を確認した。
さっきの軽い袋とは比べものにならない、確かな額が入っている。
これなら当面の旅費や買い出しはもちろん、自分たちが背負わされた借金の返済にも十分な足しになる。
「……助かるな。これなら、借金も減りそうだ」
勇雄が真面目な顔で言うと、前川先輩が脱力したように胸を撫で下ろした。
「助かるどころじゃないわよ! あー……良かった……! 正直、さっきの銀貨数枚を見たときはどうなることかと思ったわ。これで少しは借金のプレッシャーから解放される……!」
「ふふ、麗奈先輩、顔に出すぎですよ」
ミカがクスクスと笑う。
「だって当然でしょ! あんな恐ろしい思いをして手に入れたのが銀貨数枚だったら、報われないにも程があるじゃない。……でも、ちゃんと自分たちの頑張りが評価されたみたいで、ちょっと安心したわ」
「……ああ。命を懸けた価値はあったということだな」
勇雄も革袋を固く握り直し、深く頷いた。
「さて、情報屋を呼んでいますので、もうしばらくお待ちください」
情報屋の到着を待つ間、三人はギルドの掲示板へ向かった。
様々な依頼書が貼り付けられている。
「洞窟への道中、無理なく受けられる採取や小規模な討伐があれば、受けておくといいでしょう」
近くにいた職員が声をかける。
「道中で済ませられるなら、旅費の足しにもなります」
勇雄は依頼書を一枚ずつ厳しく吟味した。
「……寄り道になるものはやめよう。洞窟への道中で処理できるものだけですね」
「そうね」
前川先輩も依頼書を覗き込む。
「欲張って全滅したら、元も子もないわ」
「二人とも、すっかり慎重になりましたね」
ミカが少し嬉しそうに言う。
「昨日の戦いが効いてるのかも」
「……そうかもしれない」
勇雄が依頼書から目を離さず答えた。
「生きて帰ることを優先する。それは変えない」
その後、道中で済ませられる採取や討伐の依頼を、三人で相談しながら数件受注した。
♢
やがて、くたびれた外套をまとった男がギルドへ入ってきた。
「お待たせしました。情報屋の方がお見えです」
職員に紹介され、男が三人の前へ腰を下ろす。
「ディーヌ洞窟について知りたいんでしょう?」
「はい」
勇雄が頷く。
「まず、洞窟までの道を教えてください」
それから勇雄は、水場、安全に野営できる場所、天候によるぬかるみなど、必要な情報を次々と尋ねていった。
情報屋は流れるように答えていく。
「この辺りは雨が降ると足場が悪くなります。水場はこの谷を越えた先。野営なら、その手前の岩場が比較的安全でしょう」
「ディーヌ洞窟内部については?」
勇雄が尋ねると、情報屋の表情が曇った。
「中については、ギルドでも聞いたと思いますが、数年前から禁止区域になっていて、私の方でも最近の情報がさっぱりでしてね」
情報屋は続ける。
「そもそも、一年くらい前から洞窟の近くにすら辿り着ける奴自体がいなくて……」
「辿り着けない?」
「ええ。途中で引き返してくるか、そのまま音信不通になるか」
情報屋は肩をすくめた。
「洞窟そのものではなく、途中の道で何か起きている?」
前川先輩が尋ねる。
「さあ。私は行ったことがありませんからね」
情報屋は苦笑した。
「分かりました。十分です」
勇雄は謝礼の銀貨を渡した。
「ありがとうございました」
情報屋を見送った後、前川先輩が小さく息を吐いた。
「……思っていた以上に嫌な話ね」
「だから、明日までにできるだけ準備しておきましょう」
ミカが言った。
「ええ」
三人はそのままギルドの受付カウンターへ戻った。
勇雄が職員に向かって告げる。
「明日、俺たち五人でディーヌ洞窟へ出発します。事前に報告しておきます」
「承知いたしました。五名様でディーヌ洞窟ですね。出入管理の記録に反映しておきます。ここに戻ってくる目安の日時はありますか?」
「一週間を予定しています」
「畏まりました。では、一週間を過ぎた場合、捜索隊を派遣します。……申し訳ございません。あなた方は我々の希望なので、ご理解ください」
「……分かりました」
対応した職員は顔色ひとつ変えず、手元の紙に淡々とペンを走らせた。
目の前にいる勇雄たちが、国から特別な指示を受けている「転移者」であることは、職員も知っている。
しかし、一般の冒険者と何ら変わらない平然とした態度で、事務的に業務をこなしていた。
「明日朝の出発時には、門番へ一報を入れてください。では、お気をつけて」
「分かりました」
勇雄が短く返し、三人は受付を離れた。
♢
同じ頃、理人とグリナは、活気あふれる街の酒場や露店街を歩いていた。
理人は持ち前の鋭い観察眼で、いかにも「喋りたがり」といった住民を見つけ出していく。
グリナはそんな理人の隣で、露店商たちへ気さくに声をかけていた。
「おじいさん、この果物って甘い?」
「おう。今朝採れたばかりだ」
「じゃあ、一個ください!」
「毎度あり」
グリナが果物を受け取る横で、理人が地図を見せながら、何気ない口調で尋ねる。
「最近、この辺りって魔物が増えてるんですか?」
「そうなんだよ」
果物売りの老人が溜息をつく。
「森の様子がおかしくてねえ。街道のすぐ近くまで、見たこともない魔物が降りてくるんだ」
「魔王軍の影響ですかね?」
「さあな。俺たちにゃ分からんよ」
老人は首を振り、続ける。
「魔物同士が縄張り争いで潰し合ってる場所もある。昔とは明らかに違うな」
「ディーヌ洞窟の方も?」
理人が何気なく尋ねる。
「ああ。昔は、禁止区域だってのにディーヌ洞窟を目指す物好きな探索者も結構いたんだが……」
老人は少し考えるように顎へ手を当てた。
「最近は行ったって話を聞かなくなったな」
「行った人が、全員死んじゃったとか……?」
グリナが怯えたように身を乗り出す。
「いや、そういう話じゃない」
老人が苦笑する。
「引き返してきた奴はいる。ただな、そいつらが妙なことを言ってたんだ」
「妙なこと?」
「『あそこへ行くまでの道が、どうにも気味が悪い』ってな」
老人は声を少し落とした。
「洞窟が怖いっていうより、辿り着く前に嫌になるそうだ」
理人の目が細くなる。
「……そこまで、ですか」
グリナが理人を見上げる。
「何かわかった?」
「いや。まだ何も」
理人は答えながらも、老人の言葉を頭の中で整理していた。
「ありがとな、おじさん」
理人は銀貨を手渡し、老人へひらひらと手を振った。
露店を後にし、人通りの多い大通りへと歩き出す。
「ねえ、理人」
並んで歩いていたグリナが、かじりかけの果物を手にしたまま理人の顔を覗き込んだ。
「やっぱり……ディーヌ洞窟って、危ないのかな?」
「危なくない洞窟なんてないだろ。特に『神様』が関わってるような場所はな」
理人は肩をすくめ、どこか淡々とした口調で返した。
「でも、武藤も言ってたろ。危険を避けるために情報を集めてる。それに……俺たちは五人だ」
「ふふっ、そうだね」
グリナは納得したように破顔し、手に持った果物を口いっぱいに頬張った。
「理人がいれば、迷子にもならないしね! 加護の『道標』もあるし!」
「おいおい、俺を便利な道具みたいに言うなよ」
「だって本当だもんー」
軽口を叩き合いながら、二人は青空の下を歩いていく。
街の喧騒に紛れながらも、理人の視線は遥か西の空━━これから向かう危険な洞窟の方向へ、一瞬だけ鋭く向けられていた。
第51話を読んで頂きありがとうございます。
情報収集の場面、如何でしょうか。世界観や五人の駆け引きを楽しんで頂けると幸いです。
一言:前川先輩の立ち位置は今後このメンバー特有の悩みになっています。
次回もお楽しみ下さい。




