第50話 生き残り訓練
鬱蒼と茂る木々が陽光を遮り、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込める森林領域。
目の前には、薄暗い樹海をまっすぐ貫く一本の獣道だけが伸びていた。
進むべきか、それとも戻るべきか。
勇雄たち五人は、いきなり選択を迫られていた。
空中が淡く揺らぐ。
やがて上空から、神々の声が静かに響き渡った。
「敵を全滅させる必要はないわ」
姉貴神の声だった。
続いて、頭上に四神のシルエットが幻影のように浮かび上がる。
「目的はただ一つ。全員で無事に生き残ること。進むか戻るか、自分たちで判断しなさい。その結果に応じて、報酬を与えるわ」
「ただし、戻れば評価が下がる場合もあるし、通ってきた道が安全とも限らん」
先輩神がひょうひょうとした口調で続ける。
「細かな正解は提示しない。どうすれば全員で生き残れるか、自分たちで考えるんだ。あと、宝神教のシンボルは必ず通るように」
「仲間を置き去りにする、役割を無視する、理由なく役割に合わない武器へ勝手に換装する……そういった行動は、評価を下げる原因になります」
教授神が手帳にペンを走らせながら、淡々と告げる。
「……不服があれば、終了後に異議申し立てを受け付けますよ」
「よし。訓練開始だ」
師匠神の短く重い号令とともに、周囲の空気が一変した。
肌を刺すような緊張感が走る。
直後、理人が腰元へ手を伸ばし、不審そうに眉をひそめた。
「……あれ?」
「どうかした、古賀くん?」
前川先輩が振り返る。
理人は空になったホルスターを指先で弄んでいた。
「投げナイフがない。予備も含めて、丸ごと消えてる」
「えっ……私も! 私の投げナイフもないよ!」
グリナも腰のポーチを確かめながら、焦った声を上げる。
二人から、サブウェポンだけが綺麗に失われていた。
「どこかに置き忘れたか……?」
理人が周囲の草むらへ視線を走らせる。
しかし、グリナは首を横に振った。
「ううん。最初から持たされていないのかも……」
「訓練の条件か」
「たぶんね」
二人は短く警戒の視線を交わした。
それ以上は深追いせず、まずは周囲を警戒しながら進むことにした。
♢
森林の細道を慎重に進む。
しばらくすると、木々に囲まれた少し開けた場所へ辿り着いた。
地面には、宝神教のシンボル━━三角形の枠の中に、頭上へ輪をいただき、翼を生やした人型が大きく刻まれている。
「神様が言っていたシンボルだね。ここで一度、態勢を整えよう」
前川先輩の指示で、五人はその場に集まった。
「武器、食料、水、魔力、負傷の有無……一度、全部確認しよう!」
グリナが手際よく全員の荷物を確認していく。
「……ん? おかしいな」
「どうした?」
理人が聞いた。
「水、思ってたより減ってる。食料も五人分で一食分少ないや」
「本当か?」
勇雄が尋ねると、グリナは頷いた。
「うん。でも、これくらいなら進むのに問題はないかな。無駄遣いしないように気をつけて進もう!」
「そうね。食料と水は、余裕を持って管理しましょう」
前川先輩も頷いた。
最初から、わずかにリソースが削られている。
五人はその事実を頭に入れたまま、その場を後にした。
♢
道中、群生していた爬虫類型の魔物を手際よく退け、さらに奥へと進む。
しばらくすると、再び同じ宝神教のシンボルが刻まれた場所へ辿り着いた。
「周囲の安全を確認。……ここで少し休憩を取るわ!」
前川先輩が周囲へ警戒の目を配る。
「じゃあ、もう一度みんなの装備を確認するね!」
グリナが荷物を広げる。
「前川先輩……クロスボウの矢、少し減ってるよ」
「えっ?」
前川先輩が矢筒を確認する。
「……本当だ。さっきより明らかに少ない」
「戦ってる途中で使った分じゃない?」
グリナが首を傾げる。
「それだけじゃ説明がつかないわ。予備も含めて確認してみる」
前川先輩が矢を数える。
「……やっぱり、最初より少ない」
「そういうこともあるってことかな……?」
周囲の気配を探っていた理人が、顎をしゃくった。
「なあ。さっきから魔物が、この周囲に立ち入ってこないな」
「……本当だ」
勇雄も周囲を見渡す。
「このシンボルの上は、安全地帯ってことか」
「みたいだな」
勇雄は短く答え、剣の柄を握り直した。
五人は、ここが一時的な安全地帯になっていることを理解した。
♢
さらに鳥型の魔物や虎型の怪物を退けながら、五人は次のシンボルへ辿り着いた。
地面に描かれた宝神教のシンボルへ入る。
「武器の状態を確認しよう。水は大丈夫?」
「こっちは問題なし!」
グリナが手際よく荷物を整理する。
その横で、勇雄が剣を抜いた。
「……」
眉をひそめる。
刃先が僅かに錆び付き、輝きを失っていた。
隣を見ると、理人の刃も同じように鈍く濁っている。
「……刃が死んでるな」
理人が忌々しそうに呟いた。
その瞬間━━。
━━ガサッ!
森林の奥。
鬱蒼とした藪の向こうから、不穏な音が響いた。
理人が即座に顔を上げる。
「……何か来る」
しかし、ここは安全地帯の神教のシンボルの上だ。
五人は身構えながらも、すぐには移動しなかった。
次の瞬間━━。
シンボルの光が、パッと足元から吹き消えた。
「え……!?」
グリナが息を呑む。
安全地帯が、強制的に解除された。
直後。
ドドドドドドッ!
激しい地鳴りが大地を揺らす。
大木を軽々と押し倒し、闇の奥から巨大な甲殻類が姿を現した。
━━岩殻蟹。
三メートルを超える巨体。
岩山のように頑強な甲殻と、人間など一撃で切断できそうな極太の鋏。
一匹。
二匹。
三匹。
さらに奥から、次々と這い出してくる。
あっという間に数十匹の群れが、五人を完全に包囲した。
「多すぎるよ……! どこからこんなに!?」
グリナが悲鳴に近い声を上げる。
勇雄が即座に間合いを詰めた。
「倒せば減る━━」
「待って、武藤くん! 倒しちゃ駄目!」
前川先輩の必死の制止が響く。
「死骸よ! こいつらをここで倒したら、巨大な死骸が道を塞いじゃう!」
岩殻蟹は動きこそ緩慢だが、一匹一匹が巨大で硬い。
倒せば、その場に残る巨大な死骸が障害物になる。
狭い獣道では、倒した数がそのまま自分たちの退路を塞ぐ可能性があった。
「『倒すこと』が正解じゃないな」
理人が言った。
「右よ! 左は敵が多い!」
前川先輩が叫ぶ。
「戻るわよ! 前のシンボルまで全速力で撤退!」
「「「「了解!」」」」
前川先輩を中心に、五人が一斉に駆け出す。
グリナが走りながら、壁や樹木へ印弾を撃ち込んでいく。
淡い光が、道標のように残った。
「こっち! 印を辿って! 絶対に迷わないで!」
横の藪から別の岩殻蟹が巨体を滑り込ませ、道を塞ごうと鋏を振り上げた。
「三体だけ足止めする!」
理人が疾走の勢いのまま前へ飛び出す。
急所は狙わない。
関節の隙間だけへ、正確に刃を叩き込む。
「今よ!」
ミカが手を伸ばす。
「足元を崩します……! アクアマッド!」
水魔法が地面へ流れ込み、土壌を一気にぬかるませる。
岩殻蟹の巨体が大きく傾いた。
「今のうちに通って!」
五人が、その隙間を駆け抜ける。
しんがりを務める勇雄の背後には、なおも数匹の岩殻蟹が迫っていた。
勇雄なら、剣を振るえば一瞬で甲殻ごと斬り伏せられる。
一匹なら問題ない。
だが、数十匹を倒している時間はない。倒している間にも後続が押し寄せ、死骸が道を塞いでしまう。
……ラッシュボアとの戦闘の時と状況が似ている。
あの時は荷馬車を守るために敵を倒さなかった。
今回は、チーム全員を生存させるために撤退する。
勇雄は剣を振り下ろすのをやめた。
剣の平を斜めに構える。
━━倒す必要はない。押し返すだけでいい!
迫る巨大な鋏を剣の平で滑らせるように受け流す。
岩殻蟹の体勢が崩れる。
巨体が横へ流れ、そのまま木々へ突っ込んだ。
「武藤くん! もう十分よ、下がって!」
前川先輩の切迫した声が響く。
「分かった!」
勇雄は地面を蹴った。
敵の包囲網から完全に離脱する。
五人は一丸となり、押し寄せる敵の追撃をかわしながら、来た道を引き返していく。
♢
一つ前の神のシンボル領域へ、全員が飛び込んだ瞬間。
ピキリ、と世界そのものが凍りついた。
迫っていた岩殻蟹の群れが、潮が引くように霧となって消散していく。
空間が歪む。
やがて、四神が姿を現した。
「そこまで。訓練終了だ」
師匠神が満足げに口元を緩める。
勇雄と理人以外は、その場に膝をつき、肩で激しく息をした。
「評価に入ろう」
先輩神が前へ出る。
「全員が最後まで、『生き残って戻る』という共通の目的を見失わなかった。いい連携だ」
「ただし、前半は力に頼る嫌いがあったがな」
師匠神が続ける。
「だが最後、状況に合わせて即座に戦術を『撤退』へ切り替えたのは見事だった」
教授神が眼鏡を押し上げる。
「補給やサブウェポンの制限という違和感にも、即座に適応していましたね。素晴らしい柔軟性です」
最後に、姉貴神が柔らかな笑みを浮かべる。
「一番良かったのは、誰も『一人で勝とう』としなかったことかな」
姉貴神が勇雄へ視線を向ける。
「勇雄くん。最初のあなたなら、あの岩殻蟹を全部斬り倒して、強引に道を作ろうとしたんじゃない?」
勇雄は少し間を置き、短く息を吐いた。
「……多分、そうしてました」
「でも、今回は倒さなかったわね?」
「倒したら邪魔になるからです。死骸で逃げ道が潰れて、全員で帰れなくなる」
短く、簡潔な答え。
力で押し潰すのではなく、状況に応じて力を抑える。
その判断を身につけた勇雄に、姉貴神は満足そうに頷いた。
「麗奈さんの判断は、とても良かったわ。一番重要だったのは戦うことじゃない。『どこへ逃げるか』を即座に決めた指揮力よ」
「私が……みんなを?」
「ええ」
前川先輩は胸元へ手を当てる。
「……そっか」
自分の判断が、チーム全体を救った。
その実感が、ゆっくりと胸へ染み込んでいく。
「理人くんとミカちゃんの『倒さずに崩す』という状況判断も見事だったし、グリナちゃんの荷物管理とマーキングも良かったわ」
「えへへ……ちゃんと役に立ててた?」
嬉しそうに尋ねるグリナ。
「もちろん!」
姉貴神は即答した。
「五人全員が、それぞれの役割を果たしたからこそ、誰も傷つかずに戻ってこられたのよ」
「……」
勇雄は仲間たちを見る。
理人も、ミカも、グリナも、前川先輩も、それぞれ違う表情をしていた。
その全員が無事だった。
それだけで、今回の訓練には意味があった。
♢
「さて!」
姉貴神がパンと手を打ち鳴らす。
「約束のご褒美にしましょうか!」
四神の手元から光が溢れる。
次の瞬間、訓練領域の地面に豪華なテーブルが現れ、その上へ次々と料理が並んでいった。
「うわぁ……!」
グリナが目を輝かせる。
「すごい!」
「現実では食べられないような料理も用意してあるぞ」
先輩神が楽しそうに笑う。
「今日は遠慮する必要はない。好きなだけ食べろ」
「本当に?」
「もちろん」
その言葉を聞いた瞬間、五人の視線が、それぞれの料理へ向いた。
勇雄の前には、極上の焼き加減で肉汁を滴らせる大きな骨付き肉と、厚切りのステーキが並んでいる。
勇雄は無言でナイフとフォークを手に取った。
「いただきます」
一口。
「……うまい」
それからは早かった。
普段の三倍近い速度で、肉が消えていく。
「ふふっ」
ミカが思わず笑う。
「すごく嬉しそうですね、勇雄くん」
「……そうか?」
「はい。いつもより食べるのが速いです」
「腹が減ってたんだ」
「訓練中は平気そうだったのに?」
「我慢してただけだ」
「なるほど……」
ミカはくすくすと笑った。
「勇雄くんらしいですね」
「……そうか?」
「そうですよ」
ミカの前には、彩り鮮やかな果物と、幾層にも重なった高級フルーツタルトが並べられていた。
ミカは目を輝かせる。
「これ……本当に全部食べていいんですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
姉貴神が笑う。
「現実でお腹は膨れないけれど、味覚は本物よ」
「それなら……いただきます」
ミカが小さく一口食べる。
「……!」
頬が緩んだ。
「おいしい……! 練乳と苺の甘さがすごいです……!」
「ミカちゃん、口元にクリームついてるよー!」
グリナが笑いながら指摘する。
「えっ?」
ミカが慌てて口元を拭う。
「ほら、ここ」
「……ありがとうございます」
「ふふっ。いっぱい食べようね!」
そのグリナの前には、見たこともないほど色鮮やかな和菓子と果物の盛り合わせ、そして見た目にも華やかなパフェが置かれていた。
「なにこれ、凄すぎるよ!」
グリナが身を乗り出す。
「こんな綺麗なお菓子、もったいなくて食べられない……!」
「食べるために出したんだから、遠慮しなくていいのよ」
「本当に?」
「ええ」
「じゃあ……食べます!」
グリナは大粒の苺を口へ放り込んだ。
「んん~~っ! 甘くて最高!」
頬を押さえながら、幸せそうに笑う。
「理人、これ見てよ!」
「ああ、よかったな」
「反応薄っ!」
「いや、ちゃんと喜んでるって」
「顔が全然そう見えないよー!」
「俺は元々こういう顔だ」
「ずるい!」
グリナが笑う。
理人の前には、彼の好みを知り尽くしたような割烹料理が並んでいた。
理人は料理を見て、少し意外そうに眉を上げる。
「俺、そんなに大活躍した覚えはないんだが」
「自分の役割をこなしただろう」
教授神が肩をすくめる。
「……そういうことにしておくか」
理人は小さく笑い、料理へ箸を伸ばした。
前川先輩の前には、湯気を立てるハンバーグと温かなスープが並んでいた。
「これ……」
前川先輩が目を見開く。
「うちの近所の洋食屋さんのハンバーグにそっくり……」
「そう。よかったわ」
姉貴神が微笑む。
「なるべく、麗奈さんの故郷の味に近いように再現してみました」
「……」
前川先輩は、少しだけ震える手でナイフを入れた。
一口。
「……すごく美味しい」
目元が僅かに潤む。
「懐かしいな……」
「前川先輩、大丈夫ですか?」
勇雄が手を止めて尋ねる。
「ううん、大丈夫!」
前川先輩は慌てて首を振った。
「緊張が解けたら、なんだかほっとしちゃってさ」
そして、五人を見渡す。
「……みんな、本当にお疲れ様!」
「お疲れさまー!」
グリナが元気よく手を上げる。
「お疲れさまでした」
ミカも微笑む。
「まあ、悪くなかったな」
理人が茶を啜る。
「ああ、おつかれさま」
勇雄は少し肉を食べる手を止めたが、すぐまた食べ始めた。
「ふふっ」
そんな勇雄の様子を見て、ミカが嬉しそうに笑った。
温かな湯気と甘い香りが広がるテーブル。
五人は戦いの緊張を忘れ、穏やかな時間を共有していた。
「ねえ、勇雄くん」
ミカが葡萄を口に含みながら、ふと尋ねる。
「また……こういう時間が持てるといいですね」
勇雄は少し考えた。
そして、静かに答える。
「そうだな」
一度、料理へ目を落とす。
「全員で無事に帰って、また美味いものを食べよう」
「うん!」
グリナが嬉しそうに頷く。
「次は私、もっといっぱい食べたい!」
「今日も十分食べてるだろ」
理人が呆れたように言う。
「まだ食べられるもん!」
「胃袋どうなってんだ……」
「理人も食べればいいじゃん」
「俺は十分だ」
「じゃあ、その白いのちょうだい!」
「団子だな。断る」
「けちー!」
グリナが顔を膨らませる。
「自分の食え」
「もう食べた!」
「……はあ、じゃあやるよ」
「やった! 理人ありがと!」
そのやり取りを見て、前川先輩が小さく笑う。
「……なんだか、少し変わったね」
「何がですか?」
ミカが尋ねる。
「みんなよ」
前川先輩は五人を見渡した。
「訓練が始まった時は、もっとバラバラだった気がする」
「……確かに」
勇雄も頷く。
「でも、今は……少しだけ、皆の動き方が分かる気がします」
「うん」
前川先輩が笑った。
「私もそう思う」
四神たちは、そんな五人の姿を遠目から温かく見守っていた。
VRの世界で得た料理も、切り倒さなかった魔物も、現実には何一つ残らない。
それでも━━。
五人が互いの背中を預けた時間だけは、消えることなく残っていた。
第50話を呼んでいただきありがとうございます。
生き残り訓練、如何でしたでしょうか。勇雄の成長を感じて下さい。
次回はカルーエタウン2日目からです。お楽しみ下さい。




