第46話 馬車の攻防
昼食は、トゥロウ村で購入した物を、揺れる馬車の中で食べることになった。
配られたのは、丸く焼き固められた硬いパンの間に、干し肉と塩漬けの野菜を挟んだ、シンプルなサンドイッチのようなものだった。
「硬っ……! いやいやいや、待って? パンも肉も全部岩みたいなんだけど!?」
前川先輩が一口かじるなり悲鳴を上げた。
歯が折れそうな硬さに四苦八苦しながら、隣のミカに泣きつく。
「ミカちゃん、これ水とかでふやかせたりしない!? ジュわっと柔らかくしてよー!」
ミカは困ったように微笑み、首を横に振った。
「麗奈先輩、ここでは無理ですよ。この世界の魔法は、基本的に周囲の環境にある『既存の要素』を操作して発動させるんです。ここで水を生み出そうとすると、周囲にある水━━つまり、水筒の中の水を魔力で集めることになります」
「え、そうなの? 属性魔法は使わないから知らなかったわ……。でも森の中では使ってたじゃない?」
「森なら木や草に含まれている水分を集めて凝縮できますけど……何もない車内で、無から生み出せるわけじゃないんです」
「なにそれ、全然魔法っぽくないじゃん……」
落胆する前川先輩に、グリナが編み髪を揺らしながら言い添えた。
「魔法なんて、そんな都合のいいものじゃないですよー。パンを柔らかくはしてくれませんっ」
「歯を鍛えるいい機会ですよ、先輩」
理人が軽く言うと、前川先輩は頬を膨らませた。
「どうせ地球に帰るんだから、鍛えたって意味ないじゃない!」
他愛のないやり取りを交わしながら、話題は先ほど立ち寄ったトゥロウ村へと移っていった。
国家の法から外れながらも、独自の秩序によって生きる人々の姿に、それぞれが思いを巡らせる。
「……それにしても、あんな風に国の外で生きてる人たちがいるなんて思わなかったな」
勇雄がぼそりとつぶやくと、前川先輩も顎に手を当てて応じた。
「確かにね。犯罪者の集落って聞いてビビってたけど、案外みんな普通に暮らしてたし……」
「国の法律に頼らない分、自分たちのルールには厳しいんでしょうね。……ある意味、王国よりシビアな場所かもしれません」
ミカの落ち着いた分析に、一同は深く頷いた。
そんな中、理人がさりげなく隣のグリナへ目配せを送った。
察したグリナがパンを飲み込み、ごく自然な様子で会話に割り込む。
「そういえばさ。この先って、魔王の影響で生態系が狂ってて、魔物が出やすくなってるらしいよ」
「……どこでそれを聞いたんですか?」
ミカがすかさず反応した。
グリナは視線を泳がせることなく、平然と言いのける。
「ん? さっきの村で村人が話してるのが聞こえたの」
「そうですか……」
ミカは言葉では頷いたものの、完全に納得した様子ではなかった。
ちらりと理人へ視線を向ける。
理人は不敵な笑みを浮かべ、前川先輩の雑談を聞いているふりをしていた。
その横顔を見つめるミカの瞳に、微かな警戒の色が宿った。
♢
馬車隊が街道の両側を深い森林に囲まれた区間へ差しかかり、緩やかな坂道を登っていた頃だった。
ザザッ……ガサガサッ……!
森の奥から、乾いた枝が激しくへし折れる不穏な音が連続して響いた。
馬車と並走していたゼインが即座に剣の柄へ手をかけ、鋭い声を張る。
「……止まるな! 速度を維持しろ! 先行班から何かが潜んでいると聞いている。注意しろ!」
御者が手綱を強く握り直す。
次の瞬間、木々の隙間を薙ぎ払い、体長二メートル、体重四百キロはあろうかという巨体が姿を現した。
丸太のように太い体躯と、地面から突き出した刃のような牙。
ラッシュボアだ。
一頭。
そして、もう一頭。
赤く濁った瞳が激しい敵意を孕み、馬車隊を射抜く。
「ヒュッ……!」
前川先輩が息を呑んだ。
直後、先頭の一頭が激しい土煙と地響きを巻き上げながら街道へ飛び出してきた。
続いて二頭目も、弾丸のような勢いで突進してくる。
勇雄は反射的に剣の柄へ手を伸ばし、馬車の窓から飛び出そうとした。
しかし、疾走しながら指示を出していたゼインの怒号が、それを制した。
「馬車から離れるな! 倒す必要はない、引き剥がすことを優先しろ!」
ゼインの合図で、騎馬護衛の前方二騎が鮮やかに対応する。
騎馬護衛の二騎が左右から接近し、槍を低く構えて猪の進路を塞いだ。
一頭は槍を恐れて進路を変え、もう一頭は馬体を寄せて横から押し込むように突進をそらした。
━━倒さないのか?
勇雄は一瞬、戸惑った。
目の前に敵がいるなら、即座に命を絶つ。
それこそが最適解だと、これまで信じていたからだ。
「……みんな、感知魔法を使って!」
ミカの呼びかけで、勇雄、ミカ、前川先輩、グリナが同時に魔力を展開する。
「……っ!? まだいる!」
「嘘でしょ!? 一頭や二頭じゃない……十、二十……どんどん増えてる!?」
森の中に渦巻く、無数の敵意。
理人だけは森の奥へ視線を向けたまま、魔法を使おうともしなかった。
だが、その無駄のない沈黙に、ミカだけが鋭く気づいていた。
そのミカの様子を前川先輩が見ていた。
グリナが青ざめた顔で馬車から身を乗り出し、ゼインへ叫ぶ。
「ゼインさん! 森の中に、まだ大群がいます!」
ゼインの厳格な表情が一変した。
「隊列を崩すな! 荷馬車を中心に防御隊形!」
四人の騎馬護衛が左右と前後へ散開し、徒歩護衛が荷馬車の周囲を固めた。
ズザザザザッ! ドガァンッ!
森の樹木をへし折りながら、次々とラッシュボアが躍り出てくる。
最初は数頭だった。
それが十数頭へ増え、瞬く間に二十頭近い巨躯の群れが街道を埋め尽くした。
森の奥には、さらにその倍以上の気配が渦巻いている。
「……多すぎない!?」
前川先輩が悲鳴を上げる。
だが、護衛たちの対応は極めて冷静かつ組織的だった。
ゼインが次々と指示を飛ばす。
「この数は異常だが、狼狽えるな! 徒歩班は魔法で足を止めろ! 騎馬班は側面から圧力をかけろ!」
護衛たちは、決して猪を全滅させようとはしなかった。
彼らの目的は、ただひとつ。
馬車隊を守ることだ。
徒歩護衛の魔導士が地面を隆起させ、突進の軌道を強制的にずらす。
騎馬護衛は側面から弓や槍で牽制し、猪の群れを隊列から遠ざけていく。
「右を空けろ! 二頭、そっちへ回った!」
「荷馬車を優先して守れ!」
ゼインが泥を蹴り上げながら指揮を執り、戦場を制御していく。
そこにあるのは、個の「討伐」ではない。
泥臭いまでの、組織的な「防衛戦」だった。
前川先輩がゼインに向かって叫ぶ。
「魔物が多すぎます! 私たちにも戦う許可をください!」
「分かった! 相手は直線的な突進が主体だ! 足元に気をつけろ!」
「転移者の実力、期待してるぞ!」
騎馬護衛の一人が応じる。
前川先輩は即座に仲間へ指示を飛ばした。
「武藤くんは馬車の死守! 古賀くんはそのフォローと遊撃! ミカちゃんは広域の感知魔法で接近を知らせて! グリナちゃんは印弾で標的を指定! 私は射撃で散らすわ!」
「「「了解!」」」
グリナの放った印弾が、群れの中でも速度の出ている危険なラッシュボアへ次々と着弾する。
鮮やかな光の印によって、死角から迫る突進の軌道が浮かび上がった。
勇雄も馬車から飛び出し、足場を確かめて剣を構える。
正面から一頭の大型個体が、地響きを立てながら猛烈な勢いで突っ込んでくる。
間合いに入った瞬間、首を跳ね飛ばすのは容易だった。
しかし、刃を振り下ろす直前、勇雄の視界に、その「後ろ」が映った。
━━俺がこいつをここで斬り倒したら、この巨体が障害物になって後続が跳ね上がり、後ろの馬車へ激突する……!
勇雄は正面から受け止めず、猪の鼻先を斜めに叩き、突進の軌道だけを横へ弾いた。
軸を狂わされた猪は凄まじい悲鳴を上げ、街道の脇へと滑り落ちていく。
「それでいい! 武藤、よく見ている!」
ゼインの怒号のような称賛が飛んだ。
勇雄の胸に衝撃が走る。
強い力で敵を倒すことと、守るべきものを守ること。
それは、まったく別の技術なのだ。
その時だった。
一頭の特大個体が、物資を積んだ後方の馬車へ一直線に突き進んだ。
騎馬護衛は別の個体に阻まれ、間に合わない。
「倒さなきゃ……!」
勇雄が地を蹴ろうとした瞬間、ゼインの鋭い声が飛んだ。
「猪を殺すな! 車輪を守れ!!」
勇雄は、標的を猪そのものから、その「突進線」へと切り替えた。
全速力で割り込み、側面へ回り込む。
その瞬間、理人の短い牽制が入った。
鋭く投擲されたナイフが猪の左目を掠め、驚いた猪がわずかに首を振った。
勇雄はその瞬間に踏み込み、剣身に魔力を纏わせた。
「━━ッ!」
横合いから、殴りつけるように衝撃を叩き込む。
ドガァンッ!
手応えとともに激しい衝撃が勇雄の腕を痺れさせた。
猪の軌道は大きく逸れた。
だが、完全には逸らしきれない。
猪の腰回りが、馬車の後輪へ激しく衝突した。
バキンッ!
不吉な砕折音が響き、木製のスポークが弾け飛ぶ。
馬車が斜めに大きく傾いた。
「左側面の勢いが鈍っています! 今です!」
ミカが叫ぶ。
前川先輩が放ったクロスボウの矢が、印のついた先頭個体の前脚を正確に捉えた。
脚を射抜かれた猪が体勢を崩し、後続の群れがそれに巻き込まれる。
側面からの執拗な攻撃。
そして、一向に崩れない馬車隊の陣形。
馬車隊は少しずつ目的地へと前進していく。
ラッシュボアの群れは、馬車隊が縄張りの外にでたのか、やがて「この獲物は割に合わない」と判断したかのように、一頭が踵を返した。
それを合図に、残りの群れも雪崩を打つように森の奥へと撤退していく。
森の中には、まだ無数の気配がうごめいていた。
だが、ゼインは手を上げ、追撃を制した。
「深追いはするな! 馬車の被害を確認! ただちに応急修理に入る!」
勇雄は剣に付いた血を拭い、静まり返っていく森を見つめながらゼインに尋ねた。
「……逃げたのに、追わないんですか? 森の中には、まだあんなにいるのに」
ゼインは汗を拭い、静かに勇雄を見つめ返した。
「俺たちはハンターではない。依頼人と荷物を無事に目的地まで届けるために雇われた護衛だ」
ゼインは森へ視線を向ける。
「余計な戦闘で消耗し、守るべきものを危険に晒す。それは愚者のすることだ」
♢
戦闘が終わっても、護衛たちの仕事は終わらなかった。
馬の脚部の確認。
全員の負傷の有無。
傾いた馬車の荷崩れの確認。
そして、周囲の警戒。
彼らは息を整える間もなく、手際よく動いていた。
ミカもすぐに駆け回り、軽傷を負った護衛たちの応急手当を行っている。
勇雄たちも荷物の積み直しを手伝った。
前川先輩が汗を拭いながら言った。
「……ハァ、戦ってる時より、終わってからのほうが大変じゃない?」
ゼインはふっと口元を緩めた。
「剣を振るうなど、この仕事のほんの一部分に過ぎん」
勇雄たちが倒した個体と護衛の攻撃で致命傷を負った個体を合わせ、討伐数は三頭に達していた。
ゼインは倒れた数頭のラッシュボアの元へ歩み寄ると、ナイフで素早く耳と長大な牙を切り落とした。
そして革のメモ帳を開き、詳細を書き込んでいく。
・遭遇地点:街道西部森林、カルーエタウン東北東
・推定個体数:約40頭(接触、約20頭)
・討伐数:三頭
・被害:車輪破損
前川先輩が興味深そうに覗き込む。
「それ、何に使うんですか?」
「ギルドと領主への報告書だ」
ゼインが説明する。
「こういうふうに、危険な群れが定着している場合、ギルドから討伐依頼が発行される」
ゼインは猪の耳を手で指す。
「その際、この耳が『討伐証明』となる。提出すれば報酬が支払われる仕組みだ。依頼によっては、牙や肉や皮や魔石などの素材そのものが報酬になることもある」
ゼインは猪が去った森の方を見て続ける。
「だが、またいつ魔物が襲ってくるかわからない。今回は牙と耳だけを回収する。」
自然な形で語られるギルドと素材の仕組みに、勇雄たちは深く頷いた。
応急処置として車輪に補強の木枠が打ち付けられ、馬車隊は再び動き出した。
完全な修理は、間もなく到着する目的地の街で行うことになる。
ギシギシと音を立てて進む馬車の窓から、勇雄は遠ざかる森を見つめていた。
まだ森の奥に潜んでいるであろう、無数の気配。
勇雄は手の中の剣を見つめ、低く呟く。
「……俺は今まで、ただ敵を『倒す』ことしか考えていなかったな」
勇雄自身も、まだ一人で戦う方が効率的だという考えを捨てたわけではない。
それでも━━守るための戦いには、別の強さが必要なのだと、今日初めて実感していた。
隣に座るミカが、そんな勇雄の横顔を穏やかに、どこか慈しむような瞳で見つめていた。
理人は背もたれに深く体重を預け、何も言わずに目を閉じている。
♢
昼下がりの柔らかな光の中、森を抜けた街道の先。
鬱蒼とした樹海を切り開くようにして、堅牢な石造りの城壁が姿を現した。
魔王城南部、補給の要所。
城塞都市カルーエタウン。
目的地であるディーヌ洞窟は、ここより西にある。
旅の目的地が、すぐ目の前まで迫っていた。
第46話を読んでいただきありがとうございます。
防衛戦の「倒さない」という判断が、勇雄を少しずつ変えています。
ようやく街につきました。次回もお楽しみください。




