第45話 アウトローの村
早朝の冷気が、旅の二日目を静かに告げていた。
勇雄が目を覚ますと、朝露の冷たさと、昨夜の焚き火の残り香が、かすかに鼻腔をくすぐった。
まだ薄暗いテントの中では、仲間たちが静かな寝息を立てている。
勇雄は身体を起こし、前夜にミカと交わした会話を反芻した。
二人だけの「秘密言語」で交わした言葉。
そして、胸に感じたあの確かな重みと、涙。
━━一人で全部背負う必要はないのかもしれない。
そんな小さな迷いが、胸の奥に芽生えていた。
だが同時に、ミカが隠している何か。
そして、洞窟の先に待つ「望月美香」の情報への疑問が、勇雄の覚悟を静かに固めていく。
荷物を確認して外へ出ると、すでに馬車隊は出発の準備を進めていた。
御者が手際よく馬具を整え、護衛の男たちが馬の状態を確認している。
「もう起きたか、武藤」
「おはようございます、ゼインさん」
声をかけてきたのは、元親衛隊で、今は馬車隊の護衛を務めるゼインだった。
背筋を伸ばした立ち姿には、今なお王城で鍛え上げられた厳格さが残っている。
「今日は昼前に『トゥロウ村』で休憩を入れる」
ゼインは淡々と説明を続けた。
「滞在は数時間ほどだ。水と食料の補給、馬の休息。それと、商人の取引がある。予定通りなら、昼下がりには目的地のカルーエタウンに着く予定だ。……体調に問題はないか?」
「はい。平気です」
勇雄は頷いた。
♢
朝日が昇り、馬車隊は再び街道を進み始めた。
車輪の重い回転音が響く中、馬車と並走していたゼインへ、勇雄は立ち寄り先について尋ねた。
「ゼインさん。さっき言っていた『トゥロウ村』は、どんな村なんですか?」
「ああ。少し訳ありの者が集まる、いわゆるアウトローの村だ」
「……アウトローの集まりっていうのは、犯罪者の集落ですか?」
ゼインは視線を前に向けたまま、静かに首を横に振った。
「それだけではない。国家の庇護を拒んだ者、組織から離れた者、流れの商人、元兵士……様々な人間が暮らしている」
「犯罪者もいるんですよね?」
「いる。だが、村の中に一歩足を踏み入れれば、彼らも村の『法』に従わねばならない」
その会話を聞いていた理人が、興味深そうに身を乗り出した。
「へえ。王国の法律より、村のルールが優先されるってわけか?」
「基本的にはな。もっとも、王国と全面的に敵対しているわけではない。互いに踏み込まない、暗黙の了解があるだけだ。王国も、あそこを無理に潰す理由がない」
グリナに言葉を補ってもらいながら話を聞いていた前川先輩が、どこか拍子抜けしたようにゼインへ尋ねた。
「いやいや、待って? それじゃ……普通の村と、そんなに変わらないんじゃないですか?」
ゼインは、かすかに口元を緩めた。
「そう思うか。だが、決定的な違いがひとつある。そこは━━『国に守られていない場所』だ。自分たちの身は、自分たちのルールで守るしかない」
その言葉に、勇雄たちは法律の傘の外で生きる「アウトロー」という社会の意味を、少しだけ理解した。
♢
昼前、馬車隊はトゥロウ村の外縁にある広場へ到着した。
村の周囲は、高い木の柵で覆われている。
出入口はいくつかあり、村人の出入りは自由なようだが、屈強な男たちが数人、門に立って出入りする一人一人を厳しく確認していた。
村というよりは、どこか要塞や刑務所を思わせる雰囲気が漂っている。
馬車隊は村の内部へ直接乗り込まず、村の外にある広場の手前で馬を止めた。
村人たちも過剰な警戒は見せず、「王都から来た旅の商人たちか」とでも言いたげな、冷めた視線を向けるだけだった。
商人たちは手際よく村人と物資の交換を始める。
焼き立てのパン、硬い干し肉、新鮮な野菜、澄んだ水、そして馬の飼料。
一方、ゼインは地元の人間から街道の最新情報を引き出していた。
「この先の街道、一部が崩落しているらしい」
「雨で川が少し増水している」
勇雄はそのやり取りを遠巻きに見ながら、異世界での旅には剣を振るうこと以上に、こうした地道な情報収集と生活能力が必要不可欠なのだと実感していた。
♢
理人は、素振りを繰り返す勇雄と、何やら談笑しているミカと前川先輩から少し離れ、グリナと共に村の外縁を歩いていた。
ふと、理人の視線が村の奥へ流れた。
人の動き。
荷物の流れ。
周囲の警戒。
無意識に周囲を観察していた理人の目が、一人の青年で止まった。
「……ん?」
それに気づいたグリナが首をかしげる。
「どうしたの、理人?」
「……いや」
理人の鋭い目が捉えていたのは、一人の若者だった。
現地の粗末な作業着をまとい、村人と軽口を叩きながら荷物を運んでいる青年。
小林。
転移一日目、いつの間にか姿を消した転移者だった。
施設では、確かに姿を見ていない。
━━なぜ小林が、こんなところにいる?
二人の視線が一瞬だけ交差する。
小林の動きが、ぴたりと止まった。
「知り合い?」
グリナが小声で尋ねる。
「顔を知ってる程度だ。……あいつ、俺たちと同じ転移者だよ」
「えっ」
グリナが青い編み髪を揺らして驚く。
「みんなに教える? 武藤くんたちにも━━」
「いや。今言ったら、ややこしくなる。あいつが敵じゃないと分かるまでは、情報を増やさない方がいい。何でここにいて、何をしようとしてるのか……」
理人は小さく息を吐いた。
そして、しばらく小林の姿を見つめた。
♢
「トイレに行ってくるわ」
理人がそう告げると、グリナは呆れたような笑みを浮かべた。
「はいはい。別に言わなくても、考えてることくらい分かるよ。……安全第一ね。気をつけて行ってきなよ。皆には黙っといてあげるから」
「助かる」
理人は肩や腕を伸ばした。
「じゃあ、あとは任せたな」
「は〜い。行ってらっしゃ━━」
グリナが言い終えるより早く、理人はその場で軽く跳躍した。
高い木の柵を難なく越え、そのまま村の敷地内へと足を踏み入れる。
「えっ!? 嘘でしょ! この高さを!?」
背後でグリナの驚く声が聞こえたが、理人は気にせず足を進めた。
彼の歩みは、ただの徒歩ではない。
人の視線、建物の陰、積み上げられた木箱、壁の歪み━━。
誰かが視線を向けようとした瞬間には、その死角へ滑り込み、荷車を引く村人の影に身を潜める。
存在感を極限まで削ぎ落とした、高度な立ち回り。
誰一人として違和感を抱かせないまま、理人は小林の待つ裏路地へと静かに消えていった。
♢
村のはずれ。
人通りのない倉庫の陰。
理人が静かに姿を現すと、壁に背をもたれかけていた小林が振り返った。
「……転移者だろ。高校の入学式の時に見た気がする」
理人が日本語で語りかけると、小林は自嘲気味に息を吐いた。
「……やっぱりな。なんか見覚えのある顔だと思ったんだ」
二人の間で、久しく使われていなかった日本語が交わされる。
「日本語、久しぶりに聞いたな」
「そうだろうな」
「使う必要がないからな」
小林はそう言って、活気のある村の広場へ視線を向けた。
「俺はもう、ここの人間なんだよ」
「……施設には行かなかったんだな」
「ああ。初日に断った」
小林は腰元を軽く叩いた。
「城から金をもらったんだ。異世界へ突如呼び出したことへの『お詫び金』みたいなもんだ。施設に行かない代わりにもらった」
「それで、この村に来たわけだ」
「戦うのが怖かったんだよ」
小林は隠すこともなく胸中を明かした。
「よく分からない世界で、命を懸けて魔王と戦うなんて納得できるか?」
「まあ、普通に拉致で強制徴兵だもんな。気持ちは分かるよ」
「それで……城で『誰でも受け入れる村がある』って聞いて、馬車でたどり着いた」
「なるほどね」
「他国から来た旅人だって身振り手振りで伝えたら、受け入れてくれたんだ。転移者なんて言ったら面倒事になるだけだしな。それから荷運びやら雑用を手伝うようになってな」
小林は力強く言葉を続けた。
「俺はここで生きていくことに決めたんだ」
理人は腕を組み、落ち着いた声で語りかける。
「施設での訓練だが、今は方針が変わって強制じゃないよ。魔王討伐だって、全員が前線で戦う必要はない。補佐や支援に回る道もある」
さらに言葉を重ねる。
「特別試験を受ければ、神から加護を授けてもらえる。誰かが魔王を倒せばいいから、旅に出る転移者だっているぞ」
「……それでも、戻るつもりはないよ」
小林の瞳には迷いがなかった。
「魔王討伐が終わるまで、この村で暮らす。世話になった人たちもいるし、俺を頼りにしてくれる奴もできた。……たとえ魔王討伐までだとしても、どう生きるかは自分で決めたいんだ」
理人は、それ以上説得するような言葉を口にしなかった。
「……そうか」
「まあ、一つ情報を教えてやるよ」
小林が言った。
「この先の街道、魔物の数が増えてるらしい。商人から聞いたんだが、魔王軍との戦争の余波で生態系が崩れてるんだと。気をつけろよ」
「助かる」
「いや、教えてもらった施設のことに比べたら大したことないさ。ありがとな」
理人は少し間を置いて尋ねる。
「この村、犯罪者もいるらしいが、怖くないのか?」
「重罪人は強制引き渡しで、いないって聞いたが、少しはな……でもな、ここでは犯罪者も好き勝手できない」
小林は指を折り曲げながら言った。
「殺すな、盗むな、困ってる奴を見捨てるな。揉め事は村の裁定に従え。この村で一番重い罪は、村の秩序を乱すことだ。犯罪者でも、決して許されない。従わない場合は王国に引き渡しだ」
小林は手を下ろした。
「……これさえ守れば、俺みたいな訳ありでも受け入れてくれる」
「なるほどな。評判ほど狂っちゃいないな」
「人からの評判なんて飾りだろ」
小林がニヤリと笑う。
その時、村の奥から濁っただみ声が響いた。
「おい! 荷運びの途中だぞ! 何サボってやがる!」
「今行くってば!」
小林は覚えたばかりの現地の言葉━━ワール語で素早く言い返した。
その姿はすでに、この世界にしっかりと根を張った一人の人間そのものだった。
「お前は……この先に行くんだな?」
小林が街道を見ながら、最後に尋ねる。
「ああ」
「そっか。道中気をつけてな……じゃあな」
それ以上、二人は言葉を交わさなかった。
理人は再び気配を消し、静かに村の外れへと脱出した。
♢
馬車隊の待機場所へ戻ると、勇雄は相変わらず黙々と素振りを繰り返していた。
「ちょっと理人! トイレにしては長すぎない!?」
前川先輩が突っかかってきたが、理人は、
「やー、ちょっとお腹がさ」
と、軽口で誤魔化した。
ミカは理人の様子に一瞬視線を向け、何かを察したようだったが、何も追及しなかった。
その後、理人はグリナに手招きされ、二人で少し離れた場所へ移動した。
「……で、どうだったの?」
「ただの同級生だよ。ここで村の仕事を手伝いながら静かに暮らしてる。害はないし、魔物が増えてるっていう貴重な情報もくれた」
「そっか……なら、勇雄たちには黙っとく?」
「ああ。あいつらに知らせれば、本人の意思とは関係なく話が大きくなる。……あいつがここで生きると決めたなら、俺たちが勝手に壊す理由もない」
グリナは少し考えたあと、楽観的に頷いた。
「了解。理人がそう言うなら、そうしよ!」
グリナは理人の目を見つめて尋ねた。
「さっきのことだけど……確か、理人って何でもコツを掴むのが早いんだよね」
「そうだよ。まあ、大体のことはすぐにできる……それだけだよ。大したもんでもないよ」
理人は頭の後ろに腕を回し、軽く言った。
「……私は、そうは思わないよ」
理人もグリナを見つめ返す。
それ以上の会話はなかった。
二人の間にある信頼に、無駄な言葉は必要なかった。
♢
「馬車に戻れ。そろそろ出発だ」
ゼインの声にハッとして、勇雄は振っていた剣を鞘に収めた。
汗を拭いながら馬車へ向かうと、戻ってきた理人と目が合う。
「どこか行ってたのか?」
勇雄が軽く肩を叩くと、理人は、
「ちょっとね」
と、煙に巻くように笑ってみせた。
━━相変わらず、何を考えているか分からない奴だ。
その背中を追いかけ、馬車の荷台へと乗り込む。
ガタリと大きな揺れと共に、車輪が再び回転を始めた。
遠ざかっていくトゥロウ村の木の柵を、勇雄は去り際にじっと見つめる。
国に守られず、己の足で立ち、己の責任で生きる人々。
あそこに生きる者たちも、それぞれの選択の果てに、あの場所へ辿り着いたのだろう。
━━俺は、どうだ?
流されているだけなのか。
━━違う。
ここまで来たのは、俺自身が選んだからだ。
ふと、ここに来る前に出会った神を思い出した。
その神は転移する勇雄にこう言った。
『選んだことを覚えておけ』
勇雄が物思いを耽っていると、ミカが話しかけてきた。
「勇雄くん、どうかしましたか? なんだか真剣な顔していますよ」
覗き込んできたミカに、勇雄は首を振って微笑んだ。
「いや、なんでもない」
迷いは、まだ完全に消えたわけじゃない。
それでも、握りしめた拳の熱さだけは、本物だった。
第45話を読んでいただきありがとうございます。
アウトローの村如何でしょうか? この村は、この世界での盗賊の巣窟ですね。
一言:勇雄でこの場面を書こうとしたら2ー3話くらい(村人との衝突。小林は施設に送還)になる可能性があったので、理人を使いました。
旅はまだ続きます。次回もお楽しみください。




