第42話 団体実践訓練
師匠神が、遠くに見える暗い洞窟を指さした。
「目的地はあそこだ」
厳格な声で告げる。
「好きに攻略してこい。ただ、お前たちの連携が見たい。採取や戦後の処理はしなくていい」
先輩神がニヤリと笑う。
「まあ、今のあなた方なら簡単でしょう」
教授神は淡々と眼鏡を押し上げた。
「終わったら反省会ね!」
姉貴神が楽しそうに手を振る。
「洞窟へ辿り着ければ合格だ」
最後に師匠神が締めくくった。
次の瞬間、四神の姿が掻き消えるように消えていく。
風の音だけが残され、五人は静まり返った森に取り残された。
♢
前川先輩は静かに膝をつき、湿った地面に手を触れた。
指先をかすめる草の冷たさ。湿った土の濃厚な匂い。近くの木の幹を軽く叩くと、乾いた重い音が手に響いた。
「……これ、本当にVRなの?」
「そうですよ、麗奈先輩」
ミカが隣で優しく頷く。
「信じられない……本物の森にしか思えないわ」
「すごい! これが神様の力なのね!」
グリナが感嘆の声を上げた。
その時、木々の隙間から二つの影が忍び寄ってきた。
ウルフだった。
大型犬を遥かに凌ぐ体躯。しなやかで太い四肢。灰色の毛並みを逆立て、一定の距離を保ったまま、五人を油断なく見つめている。
「様子を見てる……まだ仕掛けてこない。今のうちに印を付けるね!」
グリナが指先のタクトを振った。
シュッ、と二筋の光が走り、二頭のウルフの眉間に赤色の光の印が刻まれる。
視界の端に印の気配が鮮明に捉えられるようになり、距離感も格段に掴みやすくなった。
「俺と前川先輩で仕留める!」
勇雄が叫び、真っ直ぐ踏み込んだ。
ウルフが警戒して身を引こうとする。
だが、勇雄の踏み込みの方が速い。
「はっ……!」
一閃。
勇雄の鉄剣が首筋を正確に捉え、一頭が地面に崩れ落ちた。
「左、射線通った! 落ちて━━!」
前川先輩が声を張り、牽制しながらクロスボウを引き絞る。
魔力を乗せた矢が唸りを上げて放たれ、跳び退こうとしたもう一頭の胸を正確に穿ち抜いた。
静寂が戻る。
周囲には、生々しい血と土の匂いが立ち込めていた。
前川先輩は手にしたクロスボウを見つめ、呟いた。
「私……本当に倒したの……?」
震える手で自分の頬を強く叩き、無理やり気合いを入れ直す。
勇雄もまた、手に残るズシリとした手応えを確かめるように剣を握り直し、鋭い視線を前方へ向けた。
♢
「これが私の『印弾』です」
グリナが、先端に光を灯したタクトを示した。
「命中すれば光の印が残って、魔物の位置をある程度把握できるようになるんです。鬱蒼とした森の中でも、見失いにくくなりますよ」
「頼もしいな。追跡もしやすそうだ」
理人が頷きながら、先ほど倒されたウルフの死体に目をやった。
「しかし……武藤、相変わらず容赦ない踏み込みだな。ウルフの反射速度の上を行くなんて、とても普通の人間とは思えないよ」
「別に普通だろ。相手が引こうとした瞬間に踏み込んだだけだ」
勇雄が当然のように答える。
前川先輩はそのやり取りを聞きながら、冷めた目で二人を見つめた。
「……普通じゃないわよ。ウルフの首をあんな一瞬で叩き切るなんて、普通の人間にできるわけないじゃない。それに、グリナちゃんのあの魔法も凄いわ。あんなに綺麗に印を付けられるなんて」
「ふふ、お役に立てて良かったです! でも、本番はここからですよ」
グリナが表情を引き締める。
その時だった。
森の深い闇の奥から、無数の殺気がこちらを睨みつけていることを、理人だけが察知した。
♢
五人は森の中を進んでいた。
索敵のために魔力探知を張り巡らせていたミカが、不意に表情を強張らせる。
「……魔力の揺れが増えています!」
「数は!?」
勇雄が即座に問う。
「多い……! 前方だけじゃない、横からも……後ろからも包囲しようとしています!」
「まずい、開けた場所まで下がろう!」
前川先輩が叫ぶ。
撤退を開始しようとした、その瞬間。
左右の草むらが一斉に揺れた。
「えっ! ━━もう間に合わない!」
前川先輩が足を止める。
「実際の獣もかなり狡猾……これが現実だよ!」
グリナが静かに告げた。
「神様の試練ですね!」
「そんな……簡単じゃなかったの!?」
「ただの実戦訓練です!」
ミカが杖を構えながら叫ぶ。
「ここでは本当に死ぬことはありません! でも、痛みや恐怖は本物です! 集中してください!」
「こんな世界で死ぬのは嫌!!」
♢
樹々の影から、続々とウルフが姿を現した。
その数、十五━━いや。
奥の森から次々と新手が合流し、二十を超える群れが押し寄せてくる。
「増援が来る! 印を付けるから、見失わないで!」
グリナのタクトから次々と光弾が放たれ、数頭のウルフに赤い印が刻まれる。
「右後方から二頭接近! 麗奈先輩、優先して!」
「了解! 右後方、狙う!」
前川先輩がクロスボウを構え、矢を放つ。
「アクアウォール!」
ミカの水魔法が、怒涛の勢いで迫る前衛の群れを押し返した。
「遊撃は任せろ!」
理人が左側へ跳ぶ。
滑らかな剣筋で、瞬く間に二頭の喉元を穿った。
勇雄も前衛で圧倒的な斬撃を繰り出す。
だが、ウルフたちは回避に徹し、なかなか攻撃を当てさせない。
よく観察すると、勇雄と理人には無理に仕掛けてこなかった。
最も脆い箇所━━後衛を狙って散開している。
勇雄が一頭を切り伏せる間に、別の二頭が前川先輩へ躍りかかった。
「前川先輩!」
勇雄の手は届かない。
「武藤、大丈夫だ!」
理人が割り込み、すれ違いざまに二頭を切り伏せた。
だが、その隙を突いて、さらに三頭の増援が手薄になったミカの死角へ襲いかかる。
「━━っ、ミカ!!」
勇雄が必死に走る。
何とか間に合い、三頭の首を順々に断ち切った。
「ミカ、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。……っ、前を見て!!」
勇雄へ一頭が迫っていた。
勇雄が剣を振るう。
ウルフの首が跳ね飛んだ。
勇雄は辺りを素早く見渡した。
前川先輩は矢を装填しているが、手が震えている。
グリナはタクトを握りながら、投げナイフを構えてウルフを狙っていた。
ミカは誰かが負傷しても即座に対応できるよう、全員に視線を配っている。
さらに増援が押し寄せ、ウルフの数は減らない。
陣形が完全に瓦解しかけていた。
━━その時。
森の奥から、巨大な影が悠々と歩み出た。
群れの長だ。
毛並みは銀狼のように白く、その眼光には明らかな知性が宿っている。
長は一瞬で勇雄の前に立ち塞がった。
しかし、攻撃はしてこない。
あえて間合いを保ち、身をひるがえす。
勇雄を仲間から遠ざけるように、森の奥へ誘い込もうとしていた。
「武藤! 誘い込まれるな! 離れすぎだ、戻れ!!」
理人の怒号が飛ぶ。
勇雄がハッと足を止めた。
その瞬間。
長の策略通り、残りのウルフたちが無数のつむじ風のように襲いかかり、後衛のミカ、グリナ、前川先輩の三人を完全に包囲した。
♢
ピキリ、と空間が凍りついた。
風の音が消え、世界がモノクロに染まる。
ウルフが跳躍した姿勢のまま静止し、その中で五人だけが動きを保っていた。
四神が静かに舞い戻る。
「勇雄」師匠神が腕を組み、冷ややかに告げる。「確かにお前は強い。だが、一人で戦っている。仲間を見ていない」
「理人」先輩神が理人を見る。「視野は広い。だが、一人で仲間を全員守ろうとしている。全てを抱え込み過ぎだ」
「ミカさん」教授神がメモを取りながら言う。「仲間の怪我を気にし過ぎるあまり、攻撃の手が止まっている。今は戦場です。もっと冷酷になりなさい」
「グリナさん。指示はいいですが、もっと皆を上手く使いなさい。前川さん、判断に迷いがあります。もっと自信を持ちなさい」
姉貴神が指摘する。
最後に、師匠神が五人全員を見渡した。
「お前たちは力不足ではない。互いを死力で信じ切れていないのだ」
━━静止していた時間が、再び動き出した。
♢
前川先輩は一度だけ深く息を吐いた。
「落ち着け。私にできることを考える」
そうつぶやき、自分に言い聞かせる。
「……皆、聞いて!!」
前川先輩が叫んだ。
顔から青ざめた色が消えている。
「全員、今の位置を死守して! 私が射線を確保する!」
「了解!」
グリナがタクトを高速で振る。
「近づくやつ全員に印を打つよ! 左から三頭、麗奈先輩!」
「捉えた! 放つ━━!」
強化された矢が連射され、左側のウルフを次々と射抜く。
勇雄は今度は惑わされず、前衛のポジションを頑固なまでに固定した。
「俺の後ろへは一歩も通さない!」
理人がその周囲を縦横無尽に駆け巡り、グリナの指示に合わせて側面からの奇襲をことごとく防いでいく。
「アクアトレント!」
ミカが水魔法の激流で左側面を遮断し、敵の包囲網を力ずくで破砕する。
少しずつ、互いの呼吸が噛み合い始めていた。
♢
そこへ、再び群れの長が疾風のごとく、おどり出た。
今度の目的は、先ほどとは違う。
追い詰められた残りの群れを逃がすため、己が一頭で時間を稼ぐつもりだった。
「武藤! 奴は時間を稼ぐ気だ! 仲間を逃がそうとしている!」
理人の声が背後から響く。
「……来い! 俺が相手だ!」
長にはすでに印弾が付いている。
だが、まったく気にしている様子はない。
長は勇雄を静かに見据えていた。
相手の力量を測っているようだった。
「ウゴォーッ!」
長が咆哮し、勇雄と正対する。
視線が交差し、緊張が高まる。
次の瞬間、長が地を蹴った。
速い。
銀の毛並みが残像を描き、重く鋭い爪が勇雄の喉元を掠める。
「ガァアッ!」
長が低く唸り、牙を剥き出しにして上段から襲いかかる。
「どけ、俺たちの邪魔をするな!」
勇雄は鉄剣で爪を弾き返す。
しかし長は空中で身を捻り、着地と同時に尾を叩きつけ、死角から突進してきた。
生半可な魔獣ではない。
群れを率いる王としての執念が、その眼光に宿っていた。
「甘く見るなよ……っ!」
ガキンッ!
激しい衝撃音が森に響く。
長の両前足の爪と勇雄の鉄剣が噛み合い、至近距離で視線が交錯した。
獣の荒い息遣いと殺気が、勇雄の皮膚を刺す。
「勇雄、誘いに乗るな! 奴の右足を見ろ!」
背後で他のウルフに対応している理人から、冷静な戦況分析が飛ぶ。
勇雄は一瞬で思考を切り替えた。
自分一人の力で押し切るのではない。
「ガーッ!!」
長が右後足で爆発的に地を蹴り、勇雄の懐へ向けて跳ねた。
刹那━━勇雄は恐れずに一歩前へ踏み込んだ。
相手の突進速度を利用し、最小限の体捌きでその下へ潜り込む。
「これで……終わりだ!」
刃にまとわせた魔力が、青白い閃光となって爆ぜる。
すれ違いざまの一閃。
勇雄の鉄剣が、長の胸元から首筋を極限の精度で切り裂いた。
「グ、ルッ……!」
長は短く胸の底で唸りを上げると、交差した勢いのまま地面へ転がり、そのまま動かなくなった。
静寂が訪れる。
指揮官を失い、残っていた数頭のウルフたちは一斉に森の奥へ逃走していった。
遠くへ退却していくウルフの隊列。
長は自らの命と引き換えに、仲間が逃げる時間を十分に稼ぎ切っていた。
勝った。
……だが、勇雄は荒い息を整えながら鉄剣を握り直し、胸に残る苦い感触を噛み締めていた。
一度は敵の誘いに乗りかけた。
仲間の声と支えがなければ、また一人で空回りしていたかもしれない。
そんな勝利だった。
♢
「怪我人はいない? 物資は大丈夫?」
前川先輩が全員に声をかける。
「怪我人はいません」
ミカが笑顔で答える。
「荷物は無事です」
グリナが手を挙げた。
「そう……よかったわ。皆、お疲れ様!」
「ああ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
「おうよ」
「おつかれ〜!」
「特に武藤くん、すごかったわね。あんな大きな狼を一刀両断なんて……」
「……必死だっただけですよ。それに、理人や皆の助言がなかったら危なかった」
勇雄が珍しく素直に答えると、理人が肩をすくめて笑った。
「いやあ、流石に俺でもあの巨体を正面から切るのは無理かもな」
「はは、そうね……」
前川先輩は力なく笑いつつも、勇雄が倒した群れの長の死体へ近づいた。
首の切り口を覗き込む。
頭部と胴体が綺麗に切断されていて、その断面は恐ろしいほど滑らかだった。
他の転がっているウルフたちも確かめてみる。
どれも一突きで急所を貫かれているか、一撃で即死させられていた。
対して、自分がクロスボウで倒したウルフを見る。
数本の矢が刺さってようやく倒れたものや、致命傷を与えられず逃げられてしまったものもあった。
「……やっぱり、この二人はおかしいわ」
誰にも聞かれないように、前川先輩はつぶやいた。
そして改めて、勇雄と理人へ視線を向ける。
ただの高校生とは到底思えない、圧倒的な実力。
その現実を、改めて突きつけられたようだった。
♢
ウルフたちが逃げ去り、森が再び静まり返った。
……静かすぎた。
風の音すら途絶え、虫の鳴き声ひとつ聞こえない。
「……おい、静かすぎるぞ」
理人が剣を握り直す。
バサバサバサッ!
樹木から鳥たちが一斉に飛び立った。
一羽や二羽ではない。
森全体の鳥が、狂ったように空へ逃げていく。
━━ドシ、ドシ、ドシ。
地面が地鳴りを上げて揺れた。
遠くから近づいてくる音。
四足歩行だが、ウルフなどとは比較にならない異常な重量感。
ミカが叫ぶ。
「……上空から大型の魔力反応! 避けて!!」
ドガァン!!
頭上の大木がへし折れ、巨大な影が舞い降りた。
肩から背中にかけて、鎧のような硬質な岩の甲殻をまとった巨体。
皮膚は土と岩石がゆちゃした泥色。
あまりにも巨大な頭部と、殺意を秘めた小さな赤い瞳。
━━土甲熊。
足元では、逃げ遅れたウルフが一頭、震えていた。
土甲熊が、無造作に丸太のような前足を振り下ろす。
鈍い破砕音が森に響いた。
ウルフは、一瞬で物言わぬ肉塊へと変わった。
圧倒的な威圧感を前に、勇雄たち五人は息を殺した。
誰一人として、迂闊に動こうとはしなかった。
第42話を読んでいただきありがとうございます。
ウルフ戦での五人の連携を描きました。ようやく噛み合い始めた時に次の試練が来る。達成感と恐怖を感じてください。
一言:グリナのタクトは早さと正確性に長けた物です。また、威力や高度な魔法は不向きです。
次は熊戦です。お楽しみください。




