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宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
第二章
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43/43

第43話  土甲熊戦

 土甲熊(どこうくま)はまだ動いていなかった。

 勇雄たち五人もまた、圧倒的な脅威を前に息を殺している。

 その緊迫した静寂の中、理人だけがすっと視線を泳がせた。その目は外の化け物ではなく、自らの「内側」に向けられているようだった。


「……了解」


 理人は誰にも聞こえない声で小さくつぶやいた。


 次の瞬間、立ち上がった理人の重心はわずかに高くなり、動きが軽やかなものへと変わった。あまりにも微細な変化に、気づく者は誰もいない。


 ♢


「ガアアアアッ!!」


 土甲熊が丸太のような前脚を地面へ叩きつけた。


 ズガンッ! 


 大地が隆起し、巨大な岩壁がせり上がる。五人の陣形が一瞬で分断された。


「全員、落ち着いて下がって!」


 前川先輩が大声を張り上げる。指示は素早かった。


「グリナちゃんは後方へ離脱! ミカちゃんは負傷者がいないか確認! 古賀くんは左側面へ回って! 私は後方からクロスボウで牽制する!」

「了解っ! 無理しないでくださいね、麗奈先輩!」ミカが叫ぶ。

「指示、了解しました!」グリナが応じる。


 誰一人として反論はなかった。

 勇雄は一人、隆起した岩を跳び越えて熊の正面へと躍り出た。


「ハァッ!」


 鋼鉄の剣を旋回させ、一閃。

 ガキィンッ! と強靭の甲殻に弾かれ、手のひらに痺れるような衝撃が走る。甲殻を浅く削り取ったものの、有効打には程遠い。


「硬すぎる……っ!」


 熊が唸りを上げ、巨大な前脚を横薙ぎに振るう。


 勇雄は紙一重で身を引いたが、生じた風圧だけで皮膚が削られる感覚があった。


 熊は間髪入れずに地面を蹴り、無数の岩のつぶてを後衛のミカ、グリナ、前川先輩へ向けて吹き散らした!


「させない!」


 前川先輩がすでにクロスボウを構えていた。魔力を乗せた一撃が岩を穿(うが)ち、粉々に砕く。


「アクアウォール!」


 ミカがすばやく水の防壁を展開し、残りの破片を完璧に受け止めた。


「そこっ!」


 グリナが指揮棒を突き出すと、印弾が熊の左脚の付け根に命中した。鮮やかな赤色の光が刻まれる。


「左脚! 甲殻と肉の継ぎ目があります! 狙ってください!」

「了解、左だな」


 理人が左側面に滑り込んだ。

 勇雄はそれを横目に確認したが、今は熊への対応に集中した。

 当の理人は熊の死角に立ちつつ、冷酷なまでに周囲の状況を分析していた。


「武藤! 後方からウルフの残党が来る。俺が抑える!」

「分かった、任せた! 無理はするなよ!」


 理人は一人、軽快なステップで森の暗がりへと消えていった。


 ♢


「グオオオオッ!」


 土甲熊の地形操作によって、戦場は刻一刻と変貌していた。土が盛り上がり、岩が隆起して五人の足場を削っていく。


 ━━このままじゃ陣形が崩壊する……土魔法で相殺する!


 勇雄は急ぎ魔力を練り上げ、熊が操る地面を押し返す土魔法の準備に入った。


 しかし、熊は勇雄が放つ強力な魔力の集束を即座に察知する。

 熊は勇雄との激突を避け、突如として背後のミカへ向かって突進を開始した!


「ミカっ!!」


 魔法の発動準備は、すでに始まっている。

 途中で強制解除すれば、練り上げた魔力が暴走する。しかし、このまま放てばミカを巻き込んでしまう!


 ━━くそっ……そらせ!!


 勇雄は不完全なまま、強引に発動しかけた魔法を横へそらした。


 ドカンッ!


 魔法の余波が、勇雄自身の左腕を直撃した。鋭利な岩片が袖を切り裂き、鮮血が舞う。


「ぐっ……ぁっ!」


 激痛が走る。だが勇雄は倒れなかった。

 ダラダラと血を流す腕で無理やり剣を握り直し、ミカへと迫る熊の横腹へ死に物狂いで躍りかかった!


「そこを離れろぉッ!」


 渾身の斬撃。しかし左腕に力が入らず、刃は甲殻の表面を滑るだけだった。


「武藤くん! 右目を狙うわ、伏せて!」


 前川先輩が放った矢が熊の右目をかすめる。


「グルオオオォォッー!」


 熊が咆哮し、前川先輩へ殺気を向けた。

 その隙に、ミカが猛スピードで勇雄の元へ駆け寄る。


「勇雄くん、腕を見せてください!」

「平気だ……! この程度、大したことない!」

「っ大したことあります! 腕が震えてるじゃないですか!」


 ミカは怒気を含んだ声で勇雄の左腕を強く掴んだ。傷口を視認し、素早く布を巻きつけて圧迫固定する。


「動かせますか!?」

「ああ……動く!」

「無茶はダメです。いいですね!」

「……分かった」


 最低限の処置を終えると、ミカは一歩前に出た。彼女の瞳に、強い決意が宿る。


「私だって、守られているだけじゃありません! アクアボール!」


 これまで後衛に徹していたミカが、正面から熊の顔面へ高圧の水弾を叩き込んだ!


 ♢


 一方、ウルフと対峙していた理人は、物陰で息を整えていた。

 かつての彼なら一瞬で首を跳ね飛ばせた相手だが、今は泥臭く地形を利用し、一頭ずつ木々に誘い込んで急所を突くしかなかった。


「ガァッ!」

「おっと……危ないな」


 ウルフの爪を紙一重でかわし、喉元へ深く剣を突き立てる。時間をかけながらも確実に三頭を沈め、理人は不敵な笑みを浮かべながら勇雄たちの元へと合流した。


 ♢


「みんな、熊の甲殻に隙間ができています!」


 グリナの叫び声が響いた。

 彼女が放ち続けた印弾が、熊の体の各所に光を灯している。左脚の継ぎ目、首下、そして胸部の肉が露出した亀裂。


「甲殻の下に肉が露出しています!」


 グリナが大声で叫んだ。


「あの隙間に大量の水を入れれば、内部から甲殻を剥がせるかも!」


 ミカが叫ぶ。


「よし、射線は私が作るわ! 古賀くん、死角から注意を引いて!」


 前川先輩がクロスボウを連射する。


「了解です!」


 戻ってきた理人が巧みなフットワークで熊の死角へと回り込み、あえて甲殻の薄い部分を突いて注意を逸らす。


「目障りな!」と言わんばかりに熊が理人へ意識を割いたその瞬間━━。


「アクアトレント!!」


 ミカが解き放った高圧の激流が、グリナの示した胸部の亀裂へと怒涛の勢いで突き刺さった!


 バチバチバチッ! 


 水圧によって岩の甲殻が内側からメリメリと剥がれ落ち、生肉が露わになる。


「グオアアアアアッ!?」


 熊が悶絶(もんぜつ)し、天を仰いだ。


「武藤くん、今よ!!」


 前川先輩の叫びが響く。


 勇雄の全身の血が、沸騰するように熱くなった。

 痛む左腕の激痛を力に変え、両手で固く剣を握り締める。足元の土を爆発的に蹴り飛ばすほどの踏み込み。


 ━━みんなが繋いでくれた……この一瞬を!!


 剣身に、青白い魔力が奔流(ほんりゅう)となって巻き付く。


「うおおおおおおあああぁぁぁッ!!」


 勇雄は跳躍した。


 空中で体を一ひねりさせ、剥き出しになった熊の胸元へ、全魔力を込めた渾身の突きを突き立てた!


 ズシャアアアアンッ!!


 鉄剣が巨大な体躯を貫通し、背後へと突き抜ける。

 土甲熊は一瞬だけ目を丸く開くと、地響きを立ててその場に崩れ落ちた。


 ♢


 森に、静寂が戻った。

 荒い息を吐く勇雄。倒れた巨体。砕け散った岩鎧。

 風が吹き抜け、激闘の跡を撫でていく。


「……全員、無事?」


 前川先輩が倒れ込みそうになりながら確認する。


「はい、全員無事です!」


 ミカがはっきりと言った。


「荷物も無事です。まだ消耗品に余裕があります」


 グリナが物資袋を抱え直していた。


 ミカは報告を終えると、即座に勇雄の元へ駆け寄り、左腕の応急処置を解いた。


「イテッ……」

「ちゃんと縫合しないとダメですね。今は傷口を塞ぐのが限界です」

「ああ……助かった、ミカ」


 感謝を述べた勇雄の横で、ミカの視線がふと、離れた場所に立つ理人へと向けられた。


 ミカの目が、理人の呼吸、筋肉の弛緩、そして表情を捉えていた。


 理人がミカの視線に気づき、ふっと目を合わせる。

 だが、彼はいつものヘラヘラとした笑みを浮かべるだけで何も語らず、ミカもまた静かに口を閉ざした。


 ♢♢


 前川麗奈は荒い息を吐きながら、ゆっくりと辺りを見渡した。

 視界に入ってくるのは、激闘のあまりにも生々しい爪痕だった。

 土甲熊の巨体によってえぐれ、反り返った大地。あちこちに隆起した巨大な岩壁が視界を遮り、自分たちが今どこに立っているのかすら判別がつかない。


 ここがほんの数分前まで平穏な森であったとは、到底信じられなかった。


 ━━勝ったの? 本当に、あの化け物に……?


「……みんな、本当にお疲れ様」


 前川先輩がぽつりと言った。しかし、先ほどのウルフ戦のあとのような軽快さは微塵もない。己の喉がカラカラに乾き、声が硬くかすれているのが自分でも分かった。


 前川先輩の視線は、血の海の中に横たわる土甲熊の巨体に注がれていた。

 見上げるほど巨大な岩の鎧。

 自分のクロスボウでは、いくら矢を打ち込もうが傷一つつけられず、虚しく弾かれ続けた怪物。

 その存在すら疑うような絶望を前に、迷いなく正面から突っ込み、その前足を受け止めてみせた勇雄。


 ━━あんなの……ただの高校生にできる度胸じゃないわよ。


 恐怖にも似た戦慄せんりつが、前川先輩の背筋を冷たく駆け上がる。


 さらに、彼女の視線は少し離れた場所━━勇雄が先ほど強引に軌道を逸らした魔法の爆発痕へと向けられた。

 大木が何本もへし折れ、えぐれた地面には直径数メートルに及ぶ荒々しいクレーターが形成されていた。


 ━━これが、武藤くんの魔法の余波? ちょっと待ってよ……規格外なんてレベルじゃないじゃない……。


 手の中で、握りしめたクロスボウがカチカチと微かに震えた。

 武藤勇雄むとういさお古賀理人こがりひと。二人が奮う力はあまりにも巨大で、そしてあまりにも危うい。


 ━━この二人……もし何かの拍子に暴走したら? もし敵じゃなく、私たちにこの力が向けられたら……本当に抑えられるの?


 ゾッとするような疑惑が頭をよぎり、前川先輩は青ざめた顔で小さく首を振った。


 ふと見ると、当の二人にはそれぞれミカとグリナが寄り添い、何事もなかったかのように微笑みながら言葉を交わしていた。

 ミカもグリナも、二人の異常な強さを恐れるどころか、全幅の信頼を寄せ、頼もしそうにその背中を見つめている。


 ━━すごいわね。あの二人……私は、ミカちゃんとグリナちゃんみたいにはなれないわ……。


 圧倒的な力を持つ怪物たちを無条件で信じ切るなんて、自分にはとてもできない。どうしても恐ろしいし、一歩引いてしまう。


 ━━でも、だからこそ


 前川先輩はぐっと奥歯を噛み締め、両手で自分の頬を力強く叩いた。パンッと乾いた音が響く。


 ━━なれないなら、なれないなりに私の役割を果たすしかない。


 あの規格外の二人と、二人を信じる女の子たち……この歪なチームを崩壊させないように、私がちゃんと『人並みの判断』で引き戻してあげなきゃ。


 不意に湧き上がった度胸が、前川先輩の全身に血を巡らせた。

 彼女は強張っていた表情を無理やり崩し、いつもの頼れる先輩としての笑みを浮かべた。


「ほら、二人ともいつまで余韻に浸ってんの! 皆、次行くわよ!」


 前川先輩の声に、勇雄と理人が同時に振り返る。


「武藤くんは怪我に気をつけて前衛を! 古賀くんは死角の警戒をお願い!」

「わかりました、前川先輩」

「了解。頼もしいねえ、先輩」


 勇雄が素直に頷き、理人が肩をすくめて応じる。

 二人の背中を見送りながら、前川先輩は小さく息を吐いた。自分がこのチームの「手綱」を握るのだと、強く心に決めながら。


 ♢


 五人は慎重に森を進んだ。

 小規模の戦闘を数回こなし、負傷の処置を行い、水と食料、そして地形を確認しながら進んでいく。


 前川先輩が方針を出し、グリナが地形と物資を管理し、ミカが医療と支援を担い、理人が索敵と遊撃を行い、勇雄が前衛を固めた。


 やがて、目的地の「洞窟の入口」が目の前に姿を現した。


 ♢


 空間の時間が止まり、四神が現れた。


「勇雄」


 師匠神が厳格な声で口を開いた。


「個人の戦闘能力は突出しておるし、判断の速さも申し分ない。だが、魔法を構えたまま仲間を守ろうとしたな。相変わらず一人で抱え込もうとする癖が抜けておらん」

「……そうですね」

「己で自覚があるなら、直すのも早いだろう」



「理人は状況判断がズバ抜けてるな!」


 先輩神がニヤリと笑って肩を叩くように言った。


「敵だけじゃなく、地形も味方の位置も全部頭に入ってる。戦場全体を見渡す視野の広さは、間違いなく今の五人で一番だぞ」

「そうは見えなかったかもしれないけどね」と理人が肩をすくめる。

「ううん、ちゃんと見えてたよ」とグリナが優しく返した。



「ミカさんは仲間の状態確認が極めて迅速です」


 教授神がノートにペンを走らせながら、冷静に評する。


「医療と戦闘支援の両立は見事ですが……仲間を案じるあまり、判断が一瞬鈍る場面が見受けられます。ここは戦場です。時には冷酷になることも必要ですよ」

「心配してしまうのは仕方ないと思いますけど……」とミカが小さく反論する。

「その一瞬の迷いが命取りになります」

「……分かりました」



「グリナさん、物資の管理が非常に安定してましたね」


 姉貴神が優しく微笑みかけながら語りかけた。


「印弾を活用した情報共有も実に見事でした。戦闘中の情報伝達として、非常に大きな役割を果たしていましたよ」

「もっと積極的に使ったほうがよかったでしょうか」とグリナがつぶやく。

「ハハッ、次はどんどん打っていけばいいさ!」と先輩神が横から笑った。



「それから、麗奈さん」


 姉貴神は視線を前川先輩へ向け、温かく頷いた。


「遠距離からの射撃がとても安定していました。状況を見極めて最終判断を下す度量もあります。……ただ、ご自身の魔法と矢の扱いとかに、まだ不安が残りますね」

「本当のことなので……もっと頑張ります」と前川先輩が答える。

「ええ、その課題を理解できているなら、あなたはもっと強くなれますわ」



 最後に、師匠神が腕を組み、重々しく全員を見渡した。


「……五人で戦う意味は、それなりにあったようだな」


 全員が静かに耳を傾けた。

 勇雄はその言葉を受け取った。受け取ったが、胸の奥にはまだ何かが引っかかっていた。


 ♢


 視界が白転し、五人は現実の大型テントの中へと戻ってきた。

 魔力灯の柔らかい光が、疲弊した身体を包み込む。


「はぁ〜! 疲れたぁー! 今日はもう限界!」


 前川先輩がそのまま寝具へ倒れ込む。

 そこには、先ほどまでの緊張感を脱ぎ捨てた、等身大の普通の女子高生の素顔があった。


「お疲れ様でした! 私も、もう目が開かないです……」


 グリナが欠伸を噛み殺した。


「皆、よくやってくれた」勇雄が静かに微笑んだ。「ゆっくり休んでくれ」

「あら、武藤くんが素直に褒めるなんて珍しいじゃない」


 前川先輩が身体を起こさずにニヤリと笑う。


「事実を言ったまでだ」

「ふふ、そういうところが武藤くんらしいわ」


 小さな笑い声が静かに広がり、やがて二人から規則正しい寝息へと変わっていった。


 勇雄は一人、寝床に横たわりながらテントの天井を見つめていた。


 ━━1人で戦った方が速い……だが、それじゃ意味がないのか……?


 ━━いや。


 勇雄はすぐに自らの考えを否定した。

 一人で戦っている間、誰がミカを守るのか。自分は強いかもしれないが、一人で抱え込めばいつか必ず限界が来る。

 頭では分かっているが、割り切れない葛藤が胸を締め付けた。


 どうしても眠れず、勇雄は足音を殺して起き上がり、テントの外へと抜け出した。

 澄んだ夜風が、火照った顔を冷やしてくれる。


「……勇雄くん」


 背後から静かな声がした。振り返ると、テントの隙間からミカが姿を見せていた。

 その瞳には、夜よりもなお冷たく、澄んだ真剣な色が宿っていた。


「少し……お話しできますか?」


 勇雄は静かに息を吸い、頷いた。


「……わかった。話そう」

第43話を読んで頂いてありがとうございます。

熊との激闘を描きました。各キャラの成長を感じて下さい。

一言:魔法は基本無詠唱で、魔法名も言う必要がないです。ただ、前衛で戦っている人に伝える為、魔法名や矢を打つことを宣言しています。

次はミカとの会話です。何を語られるかお楽しみ下さい。

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