第40話 訓練の事前確認
視界が開けると、そこはどこまでも広がる純白の世界だった。
勇雄にとってはすでに見慣れつつある白い空間。その少し先にはいつもの施設が建っている。
だが今日はその入り口の前に四つの人影があった。
姉貴神、師匠神、先輩神、教授神━━四神が、勇雄たちを待っていた。
「来たわね」姉貴神が静かに二人を出迎える。「今日は二人だけなのね」
「確認したいことがあります」
勇雄が進み出て言った。
師匠神が、その厳格な眼差しで勇雄をじっと見つめた。
「……強くなる理由の答えは、見つかったか?」
「……ほんの、少しだけ」
「報告は要らん」
師匠神は短く告げると、腕を組んだ。
「答えなんてものは、他人に教わるような代物ではない。己の足で辿り着くものだ。お前自身の心が変わりつつあるのなら、それでいい」
勇雄は無言で、静かに頷いた。
「今夜、五人同時にこの神眼鏡を使いたいと思っています」
勇雄は本題へ切り出した。
「見張りなしで全員が潜っても、安全かどうかを確認させてください」
「仕様について説明するわね」
姉貴神が前に出た。
「現実世界で装着者に危険が迫った場合、自動で強制ログアウトが働くわ。身体への強い振動、突発的な大音量、敵意や殺気、あるいは他者から直接身体に触れられた場合などね」
姉貴神は指を一本立てた。
「それに、VR使用中は安定した態勢で固定されていないと起動しません。そして万が一、私が危険と判断した場合は、私の権限で全員を強制的に帰還させます」
勇雄はしばらく考えた後、頷いた。
「……それなら、五人同時に使っても問題はなさそうですね」
「ええ。五人どころか、かつては軍隊単位で運用された実績すらある代物よ。歴史があるシステムだから、その点は安心して大丈夫」
姉貴神はそこで、ほんの少し言葉を濁した。
「……通常ならね」
「……通常なら?」
勇雄が聞き返した。
姉貴神の表情が、わずかに曇った。
「……神の石が暴走した影響で、少し事情が変わっているの」
姉貴神は理人へ視線を向けた。
「詳しい話は理人くんだけに伝える必要があるわ。」
それから勇雄へ向き直る。
「すみませんが、神の石を持つ勇雄さんは一先ず現実へ戻って、皆さんに説明してあげてもらえるかしら?」
そして理人へ。
「……理人くん、あなたは少しだけ、ここに残ってもらってもいい? 」
勇雄は隣の理人を見た。
「わかりました。……先に戻っています」
「了解」
次の瞬間、勇雄の視界は白く染まり、彼は現実世界へと戻っていった。
♢♢
空間には、四神と理人だけが取り残された。
「……実は今、システムの『管理者』が不在の状態なの」
姉貴神が声を落として切り出した。
「どういうことですか?」
理人の声から、いつもの軽さが消える。
「勇雄が宿している『神の石』がこの神眼鏡のシステムに干渉し、システムの一部を上書きした。その際、システム的なエラーが発生したの。その影響で、管理者が不在状態になってしまったのよ」
「……そういうことか」
理人は小さく息を吐いた。
驚く様子はなかった。
「本来、このVRを正常に維持するには管理者の存在が不可欠なの。一人や二人なら私だけの処理能力でカバーできるわ。でも、管理者が不在のまま五人同時に潜るとなると……推奨はできない」
「前例なら存在します」
教授神が紙にペンを滑らせながら補足した。
「理由は三つあります。時間倍率が狂乱を起こした事例。強制帰還プログラムが作動しなくなった事例。あるいは我々を含めるNPCが完全停止した事例です」
教授神は淡々と続けた。
「いずれも管理者不在によって引き起こしたバグです。データとしては非常に興味深いですが、あなた方に体験させるのは得策ではありません」
「管理者になるには?」
「『神格認証』よ」
姉貴神が答えた。
「この道具は、現在のワールの文明レベルでは再現不可能なオーバーテクノロジー。だから神が管理する必要があるのだけれど……」
姉貴神は理人を見つめた。
「あなたから、その反応が何故か強く出ているわ」
「俺から?」
「ええ」
姉貴神は少しだけ間を置いた。
「神の体を持つ望月ミカも管理者になる資格は持っているわ。ただ……前の管理者の強い意向によって、彼女は管理者権限から外すよう指示されているの」
「……これは、とぼけても無駄そうですね」
理人はため息をつき、首を振った。
「確認ですが、前の管理者とは誰のことですか?」
「……申し訳ありませんが、守秘義務につきお答えできません」
「ならいいです」
理人は肩をすくめた。
「おおかた、あのアヒルでしょうから」
沈黙が落ちた。
ただ、理人の表情は一切崩れなかった。
「念のための確認ですが、管理者の主な仕事は?」
「強制終了。緊急ログアウト。閉じ込め解除。そして時間倍率の管理。……全員が無事に現実へ帰るまで、あなた一人が全ての責任を負うことになるわ」
「……『閉じ込め』というのは?」
教授神が付け加えた。
「VR内に特定の人物を意図的に留め置く機能です。双方の合意が必要で、制限時間や領域の設定も可能。解除権限も管理者が握り━━」
「必要ありません」
理人は冷ややかに遮った。
「旅の途中で、そんな不吉な機能を使うつもりはありませんから」
四神達は静かに頷いた。
♢
空間の空気が、さらに一変した。
姉貴神が真っ直ぐに理人を見つめる。
「……あなた、本当は何者なの?」
重苦しい沈黙が横たわった。
理人はやれやれといった風に、深く大きなため息をついた。
「━━神ですよ」
諦めたように、あっさりと言った。
四神の表情がわずかに動く。だがそれは驚愕ではなかった。
むしろ━━「やはりそうか」と確信を得た表情だった。
「やっぱり……」
姉貴神は息を呑む。
「あなたは……データベースに登録されていない神ね? 『二つ名』はあるの?」
「……どちらもお答えできません」
理人はそのまま言葉を続けた。
「ここへは単なる流れで来ました。神に関する情報が得られるかと思ってね」
理人は周囲を見回した。
「神眼鏡━━本体の状態から管理者がいないことまでは推測していた。管理者が不在なら、俺の正体に関する情報が上の連中に漏れにくいことも知っていたので」
「……そう」
姉貴神は理人を見つめた。
「あなたの旅の目的は?」
「目的は三つです」
理人は指を一本立てた。
「武藤勇雄の監視すること」
二本目。
「グリナの安全を確保すること」
そして、三本目。
「ディーヌ洞窟で確かめたいことがあること。」
「ディーヌ洞窟で、何か確かめたいことでも?」
「ええ。……それ以上は答えられません」
「グリナというのは……今日の昼過ぎにここへ来たあの子ね」
姉貴神が確認する。
「安全を確保……?」
「……ええ」
理人は少し間を置くと、その瞳からヘラヘラとした余裕が完全に消えた。
「彼女を守ることも俺の目的です」
静かな声だった。
「もし彼女に危害を加えようとする者が現れるなら……相手が何者であろうと、たとえ相手が『神』であろうと容赦はしません」
理人の瞳に宿ったのは、本物の『神』としての冷徹さだった。
四神が瞬時にわずかに身構える。
だが理人は、その威圧感にまったく動じる素振りも見せなかった。
「そこまで一人の人間に固執する理由はなんだ?」先輩神が尋ねる。
「……恩があるんです」
それ以上、理人は語ろうとしなかった。
「……武藤勇雄は、あなたの『敵』ですか?」
教授神が、ペンを止めて尋ねた。
「少なくとも、今は……」
理人は上を向き、言葉を選ぶように沈黙する。
「『味方』ではありません」
理人は言い切った。
教授神が、静かにその言葉をメモに書き留めた。
♢
「……最後にお願いがあります」
姉貴神が言った。
「言ってみてください」
「管理者になってほしいの」
理人は少し考えていた。
「事情があるのは分かっています」
姉貴神が続ける。
「全員が無事に現実へ帰るまで。責任はあなた一人が負うことになるけれど……このことは、誰にも話さなくていいわ」
静かな沈黙が流れた。
やがて理人は肩をすくめた。
「……わかりました。引き受けます」
姉貴神が空中で何かに触れる動作をした。
次の瞬間、VR空間の空気と光の質がわずかに変わった。
システムへの『神格認証』が完了した証拠だった。
理人は踵を返した。
「……なんだか、初めて会った気がしないな」
背後で、先輩神がぽつりとつぶやいた。
「私もです」教授神も同意する。
師匠神は言葉を発しなかったが、その鋭い眼光がわずかに揺れていた。
理人は足を止めた。
しかし、振り返ることはしなかった。
「━━気のせいですよ」
それだけを残し、理人は現実世界に戻っていった。
♢♢
現実世界の大型テントの中。
勇雄は一足先に戻り、三人に安全性について説明していた。
「強制ログアウトの条件は大きく分けて二つだ。現実に危険が迫れば自動で戻れる。姉貴神が危険と判断した場合も全員が強制帰還させられる。過去には軍隊単位で使われた実績もあるそうだ」
「本当に……本当に安全なのよね?」
前川先輩が念を押す。
「俺自身、これまで二回使っているが問題はなかった。歴史のある安全性の高いシステムらしい」
前川先輩は考えるように天井を見上げた。
「私も何回か」ミカが言いかけて、ふと口をつぐんだ。「……あ、ううん! 一回使ったから大丈夫ですよ、麗奈先輩!」
ミカが少し慌てた様子で前川先輩を元気づけるように言った。
勇雄はその不自然な言い淀みに、胸の奥で小さな違和感を覚えた。
「でも……やっぱり、いざとなると緊張するわね」
前川先輩が小さく言った。
そこへ、少し遅れて理人が意識を取り戻した。
「遅かったじゃない」前川先輩が声をかける。
「いやあ、向こうの神様にスカウトされちゃいましてね」
一瞬、沈黙が落ちた。
「はいはい」
グリナが真っ先にあきれた声を上げた。
「古賀君って神様っていうより、道化師だよね」
テント内に、どっと笑い声が弾けた。
「ちょっとグリナ、変な冗談言わないでよ!」
前川先輩がお腹を押さえて笑う。
「えーっ!? 俺ってそんな風に見えてるの!? 皆ひどくない!?」
理人も一緒になってお調子者らしく笑っていた。
「うん、だって何かすごく胡散臭いもん!」
グリナが笑いながら理人の肩をペシペシと叩く。
「痛い痛い! 信用なさすぎでしょ俺!」
「だって本当に怪しいんだもんー!」
グリナが理人を指差して笑う。
ミカもそれに釣られて楽しそうに微笑んでいた。
━━その輪の中で、勇雄だけが一人、真顔のまま理人を見つめていた。
勇雄は理人が自分より遅く戻ってきたこと、四神が理人だけを残したこと、そして今の軽口。それらを一つずつ思い返した。
バラバラだった違和感が、一本の線で繋がっていく。
「……いや」
勇雄の低い声に、全員の視線が集まった。
「俺は、古賀が神だったとしても驚かない」
静まり返るテント内。
冗談とも本気ともつかない勇雄の言葉に、理人だけが、一瞬だけ鋭く目を細めた。
♢
「……全員、準備ができたら始める」
勇雄が空気を戻すように言った。
「大丈夫です」ミカが頷く。
「行きましょう!」グリナも意気込む。
「……分かったわ」前川先輩も腹をくくった。
理人は何も言わず、ただ静かに頷いた。
全員が手にした神眼鏡をしっかりと握り締める。
寝具に横たわり、顔へと装着した。
テントの中央で灯っていた魔力灯の淡い光が、ゆっくりと、遠ざかっていく。
五人の視界は吸い込まれるように━━純白の世界へと染まっていった。
第40話を読んで頂きありがとうございます。
遂に理人の正体が明かされました。「少なくとも味方ではない」には色々な意味が込められています。
次は五人での訓練です。お楽しみ下さい




