第38話 宿営地
空が茜色へと染まる頃、馬車は頑丈な木柵で囲まれた門の前で静かに停車した。
門番が馬車の外観を確認し、護衛のゼインが提示した通行書類を改める。安全が確認されると、重々しい木門がゆっくりと開き、一行は中へと案内された。
「ここまでの長旅、お疲れ様でした。旅の皆様も、今夜は安心してゆっくりとお休みください」
門番が温かい笑みを浮かべて勇雄たちに声をかける。
「ありがとうございます」
グリナが丁寧に頭を下げた。
「外の街道に、怪しい異常はなかったぞ」護衛のゼインが門番に告げる。
「はっ、こちらも異常なしです。ささ、早く中へどうぞ」
門をくぐると、その先には、想像以上に広大な宿営地が広がっていた。
広場の中央では巨大な焚き火が赤々と燃え、その周囲を取り囲むように複数の荷馬車が停められている。敷地内には広々とした厩舎、水場、共同の炊事場が完備されている。四隅には高い見張り台が建ち、その上では兵士が鋭い視線を巡らせている。
御者が馬を連れて厩舎の方へと向かい、商人らしき集団は大きな荷台から布を下ろし、荷物の整理に追われていた。護衛の男たちは地面に腰を下ろし、鞘から抜いた長剣の刃こぼれや状態を確かめながら、丹念に手入れを始めている。
木剣を振って遊ぶ子供達の笑い声が響いていた。
焚き火から少し離れた静かな場所では、一人の巡礼者が目を閉じて胸の前で手を合わせ、低く神への祈りを捧げていた。
勇雄は宿営地全体を静かに見渡した。
この国は今、まさに戦争の渦中にある。わずか一週間前、国王が討ち死にを遂げたばかりだ。
……それにもかかわらず、ここには温かい食事があり、人々の笑い声があり、健やかに駆け回る子どもの姿があった。
当たり前の、ごくありふれた光景。しかし、確かにそこには人が暮らしていた。
♢
馬車を降りると、五人の役割は示し合わせたわけでもなく、自然と決まっていった。
焚き火の薪が必要だと判断した勇雄は、管理している兵士から無骨な斧を借り受けた。
買い込んだ野菜を手にしたミカは下処理に取りかかったが、その手付きは見るからに危なっかしく、不慣れそのものだった。
「……これ、どこで切り落とせばいいんですか?」
「根元の方から切るんだよ」グリナがすかさず横から助けに入る。「ミカさんは、あっちで鍋の温度を見ていてもらった方がいいかもね。下処理は私がやるね」
「あ……うん、そうさせてもらいますね」
理人は井戸へ向かい、重い木桶を借りて手際よく水を汲み上げている。
炊事場に立ったグリナは、揃えられた材料を確認しながら迷いのない手付きで段取りを組み始めた。
一方、前川先輩は広場に荷物を広げ、食材の管理と整理を始めていた。手元には帳簿が開かれている。
そこへ、旅の商人が一人、商品を売り歩きながら近づいてきた。
「いかがですか、お嬢さん。上質な香辛料に、旨味の詰まった干し肉もありますよ」
「値段は?」
前川先輩はワール語で短く尋ねた。少しずつ異世界の言葉を聞き取れるようになってきたようだった。
商人が提示した価格を聞いた瞬間、前川先輩はわずかに眉をひそめた。
「……それは高すぎるわ。この量と品質でその値段は、どう考えても割に合わないわね」
そのまま、前川先輩は拙いワール語で価格交渉が始まった。数回のやり取りの末、「これなら納得ね!」前川先輩は満足そうに笑みが浮かべ、香辛料を買った。
その様子を後ろで眺めていたグリナが、感心したように小さく呟いた。
「……すごい。麗奈先輩、上手ですね」
「仕入れ値を逆算しているだけだよ。商人って最初は、高めの値段を言ってくるものだから」
「どこでそんな知識を覚えたんですか?」
「私達の星、地球でね。買い物や料理は私の役割だったの」
「へえー、そうなんですね。頼りにしてますね。先輩!」
「任せて!」
二人は笑いながら炊事場へと移動した。
♢
少し離れた場所では、ゼインが座り込んで刃を磨いていた。
斧で薪を割る作業を終えた勇雄と理人は、その近くに腰を下ろして息を整えていた。
「剣を振る時間よりもな、こうして手入れをする時間の方が遥かに長いんだ」
ゼインが砥石を滑らせながら言った。
「そうなんですか」勇雄が答える。
「錆びた剣は土壇場で裏切る。折れた剣もな。どんなに優れた剣技があろうと、道具が死んだらその時点で終わりだ」
ゼインが布で刃を丁寧に拭うと、夕闇の中で鈍い鋼の光がすっと走った。
「……やってみるか?」
「はい、お願いします。」
勇雄と理人はゼインの両脇に座り直した。
刃について細かな傷の確かめ方、砥石の当て方、柄の締め直し方━━熟練の戦士から、道具を生かすための知恵を教わった。
そこへ、炊事場の方からミカの焦ったような声が飛んできた。
「二人とも、火の番をお願いします!」
「了解。そっちに行くわ!」
理人が振り返って炊事場に向かった。
炊事場では、女子三人が手分けして夕食の準備を進めていた。
「あの……白いモヤモヤしたものが、たくさん浮いてきたんですけど、これどうすればいいですか?」
ミカが鍋を覗き込みながら尋ねる。
「えっ、あ、それはアクだよ! お玉ですくい取って!」グリナが笑いながら教える。
「こう……かな?」
「うーん、要練習だね。……ミカさん、あっちは見ない方がいいよ。自信なくしちゃうから」
グリナが目線で示した先では、前川先輩が包丁を恐ろしい手際で動かしていた。目にも留まらぬ速さで食材を刻んで鍋へ投入し、肉の焼き加減を見極めている。
「そうですね……あれはちょっと、逆立ちしても真似できないですね」ミカも苦笑いする。
「うんうん、次元が違うよね」グリナが深く同意した。
「━━二人とも、全部聞こえてるわよ」
鍋の向こうから、包丁を動かしたまま前川先輩の冷ややかな声が飛んできた。だが、その口角はほんのりと上がっていた。
♢
料理が完成に近づいた頃、香ばしく食欲をそそる匂いに誘われるように、周囲の旅人たちが自然と集まってきた。
「少しだけパンが余っているんだ、よかったら食べてくれ」
「こちらの干し肉もシチューに入れてくれ」
「香草があるぞ、使ってくれ」
人々が手持ちの食材を持ち寄り、大きな鍋の中へ少しずつ加えられていく。
「旅ってのはな。一人で寂しく食うもんじゃない」
ゼインが無骨に笑った。
仕上がったのは、たっぷりの野菜と干し肉が溶け込んだ特製シチュー、香ばしく炙った黒パン、香辛料の効いた肉の串焼き、そして食後のハーブティーだった。
料理を前にして、全員が一瞬だけ動きを止めた。
グリナが静かに目を閉じ、胸の前で手を合わせて短く祈りを捧げる。周囲の旅人たちもまた、ごく自然に同じ所作を行っていた。
勇雄たちもグリナに倣って静かに頭を下げた。
やがてグリナが目を開けた。
「創造神様への感謝のお祈りです。食事の前後にこうして感謝を捧げるのが、宝神教の教えなんです」
「なるほど、毎日の習慣なのか」
「はい。神様が見守ってくださっているから、ありがとうって伝えるんです。お城の下町にいた時も、簡略化してやっていましたよ」
グリナの話を聞いた後、全員スプーンに手に持ち食事を始めた。
「……美味しい!」
ミカがシチューを口に運んで声を上げた。
「結構香辛料を入れていたが……辛くないか?」
勇雄が尋ねる。
シチューには旅人からもらった香辛料がかなりの量投入されていたはずだ。
「そうです? 全然平気ですよ」
ミカは問題なさそうにパクパクと食べ進めている。
「それ、結構辛いと思うんだけど……」グリナが驚いた顔をした。「私、ほんの少ししか入れないつもりだったのに、うっかり多く入っちゃって」
「大丈夫ですよ、すごく美味しいんです」
「ミカさんって、辛いものが得意なんですか?」
「ううん、普通だと思いますよ?」
「俺は辛いとは思わないけどなー、こんなもんだって」理人が淡々とスプーンを進めていた。
前川先輩が恐る恐るシチューを一口、口に含む。瞬時に、その綺麗な眉が跳ね上がった。
「……普通じゃないわよ、これ! 普通に辛いわ!」
「そうですか?」
「絶対に辛いわよ!」
首を傾げるミカの横で、前川先輩は慌ててお茶を飲み干していた。
理人は笑いながら何事もないようにスプーンを口へ運んでいる。
勇雄は胸の奥にざらりとした違和感を覚えた。だが、薪のはじける音にかき消されていった。
♢
食後、一同は焚き火の周りを囲んで寛いでいた。
どこからともなく、ポロン、と切ない竪琴の音が響いてきた。
焚き火の影になった目立たない場所で、一人の吟遊詩人が弦を奏で始めていた。
やがて、朗々とした歌声が夜の空気に溶け込んでいく。
『ル━━ル━━、嗚呼、神の元へと旅立つ王よ━━』
『我らは貴方様が神となりて見守り給う、その日まで━━』
それは、先週命を落としたバーン王の最期を称える歌だった。
全軍に退却を命じ、自らは一人残ったという悲壮な運命。しかし歌調に過度な暗さはなく、どこか深く静かな旋律だった。
王の歌が終わると、次は素朴な農村の歌へと変わった。
厳しい冬が明け、今年も無事に春が来て麦が芽吹き始めた。━━そんな、ささやかな喜びを歌った曲だった。
勇雄は静かにその歌に耳を傾けていた。
脳裏に、あの仮想世界で教授神から投げかけられた問いが浮かんできた。
━━お前は、何を知りたいと思う?
あの時は、「知りたいことが何なのかすら分からない」と答えるのが精一杯だった。
だが今、こうして異世界の歌を聞き、人々の温もりに触れる中で、自分の中で何かが確実に変化しているのを感じていた。
この世界の人間たちが、日常で何を大切にして生きているのか。
戦争という不条理の中で、彼らがどのように前を向いて笑っているのか。
なぜ宝神教という信仰が、これほど深く人々の心に根付いているのか。
「全部を知りたい」とまでは思わない。
けれど、「一つずつ知っていきたい」という確かな感覚なら、今の自分にはハッキリと理解できた。
傍らでは、ゼインと商人が静かに言葉を交わしていた。
「昔はな、この街道でも夜市が開かれていて、もっと賑やかだったんだがな」
「ああ。今年は小麦の育ちも少し遅いようだ」
「戦争の前は、旅人の数も今の倍以上はいたよ」
勇雄はその会話を静かに聞き流していた。
ふと、グリナが夜空を見上げて指を指した。
「あの星の並びが『猟師座』です。冬の終わりに見えて、春になると少しずつ位置が変わっていくんですよ」
「見たこともない星空だな」勇雄がつぶやく。
「この広大な星空のどこかに……私たちの地球もあるのかな」前川先輩がぽつりと言った。
「……絶対にあるはずです」ミカが、どこか切なげに、愛おしそうに答えた。「どこかに、きっと」
「ここからどれくらい遠いんだろうね」
「神様に聞けば分かるかもしれないけれど……」グリナが言った。「きっと、教えてはくれないですよね」
「絶対、教えてくれないだろうな」理人が苦笑いしながら肩をすくめた。
その後もしばらく、穏やかな歓談が続いた。
前川先輩は手際よく帳簿をつけ終えると、パタンとそれを閉じた。
「よし。明日の移動の準備、完了です」
「ありがとうございます、前川先輩」勇雄が礼を言う。
「仕事ですから」
ひと段落ついたところで、穏やかな沈黙が流れた。薪が弾ける乾いた音だけが、バチっと静かな夜に響いた。
前川先輩が自分の鞄━━神眼鏡が入っている鞄を焚き火の近くに静かに置いた。
誰も口を開かなかった。自然と視線だけが勇雄に向く。
━━鞄の中の「神眼鏡」をどう扱うか。その話し合いを始める空気だった。
「……すまない、少し席を外す」勇雄は立ち上がった。「自分の考えをちゃんとまとめてから、戻ってくる」
♢
勇雄は一人、宿営地の外縁に沿って静かに歩き出した。
焚き火の明かりから離れるにつれ、賑やかな人の声は遠ざかり、冷たい夜風が通り抜けていく。
頭の中には、教授神の言葉が鮮明に残っていた。
━━知識とは、未来を選ぶための材料だ。知りたいことが何一つない人間は、己の手で選択肢を削り捨てているに等しい。
今日一日だけで、自分は多くのことを知った。
最初から知りたかったわけではなかった。だが、知ったことで、間違いなく自分の世界は広がり、見える景色が増えたのだ。
「知ること、そのものに意味がある。そして人を変えるのか……」
暗闇の中で、思わず声が漏れ出た。
誰も聞いていない、ただの独り言だった。
皆の元へ戻り、神眼鏡を全員に使わせるべきか、どう扱うべきか、答えを出さなければならなかった。まだ完全に整理がついたわけではない。
その時━━。
背後から、ごく小さな気配と声がした。
聞き覚えのある、どこか妙に甲高い声。
勇雄はハッと息を呑み、急いで振り返った。
暗闇の木立の影に、あの白いアヒルの姿をした神━━ツルが、何事もなかったかのように静かに、たたずんでいた。
「こんな夜に一人でいると、異世界では死にますよ。それとも危険を冒してまで、わざわざ私を探していたんですか。武藤勇雄さん━━」
ツルの言葉は慣れていないのか、ぎこちなかったが意味は十分に伝わった。だが、その言語はワール語でも日本語でもなかった。
━━秘密言語。
ミカと二人の時に使うと約束していた、一回目の加護の代償で、意識が飛ばされた時に使われていた、砂漠の町の言語だ。
何故、ツルが秘密言語を使うのか。
その疑問が一瞬、勇雄の頭をよぎった。だが、それより先に絶対に聞かなければないことがあった。
「探していない……何が目的だ。答えろ!」
勇雄も同じ言語で返す。
「前にも言いましたでしょう。あなた達を見守ると」
「そんなことは聞いていない。あの眼鏡はお前の仕業だな! ならもう話すことはない」
「そうカッカせず、落ち着いてください。」
勇雄は無意識に一歩下がり、腰の鉄剣へ手を添えた。
ツルは、暗闇の中で嘴の端を、不自然に吊り上げる。そして、警戒する勇雄を見下ろすように、静かにささやいた。
「勇雄さん━━私と、少しばかり『お取り引き』を致しませんか?」
第38話を読んでいただきありがとうございます。
宿営地での雰囲気や食事を楽しんで頂けたでしょうか。五人が旅のチームになっていく様子を描きました。
次はツルとの会話です。何を取引きするのか、お楽しみください。




