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宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
第二章
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36/41

第36話  約束のハンカチ

 光が、一気に引き戻されていく。

 みずみずしい草の緑。どこまでも高い空の青。ただ、地球のそれとは違い、青が深い。そして、肌を撫でる心地よい風の音。


 強烈な眩しさに目を細めながらゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに、酷く心配そうなミカの顔が広がっていた。

 間近で、視線が交差する。

 ミカは胸を撫で下ろすように、小さく張り詰めていた息を吐き出した。


「……良かった。本当に大丈夫、勇雄君?」


 ミカは自然と秘密言語で心配していた。


「ああ。問題ない」

「急に上を向いたまま、数秒間、完全に意識が飛んでピクリとも動かなくなったから……」

「すまない、加護を使った代償だ」

「分かっているけどさ」


 ミカは気まずそうに視線をそらし、ほんの少しだけ不満げに頬を膨らませた。


「……分かっていても、目の前でそんな風になられたら、普通は心配するに決まっているでしょう」


 勇雄は苦笑し、小さく肩をすくめた。

 そのまま、己の肉体の感覚を確かめるように手足を動かす。あの「特別試験」の時は、意識が戻ってから一分近く肉体が硬直して動かせず、魔力を練ることすらできなかった。

 だが今回は、目覚めてすぐに動くことができる。異変を無効化した時ほどの代償ではないのだろう。


 ♢


 その時、勇雄の脳裏の奥深くに、何かが直接響き渡った。

 それは明確な音声ではなく、概念そのものを直接叩き込まれるような「意味」が流れてくる。


【一週後】 【継続】


 勇雄は前回同様、奇妙な頭痛に襲われる。

 視界の端に、半透明の選択肢が浮かび上がる。


【了解】 【保留】 【拒否】


 勇雄は迷うことなく、脳内で短く念じた。


 ━━【了解】。


 選択を終えた瞬間、胸の奥から何かがサラサラと流れて消えていく感触があった。

 しかし、通信はそれだけでは終わらない。続いて、重々しい意味が脳裏を打つ。


【邪神】


 今回もまた、それ以上の言葉は浮かばなかった。

 邪神に関する手がかりは今回も何一つない。

 勇雄がその不気味な単語を無視すると、その言葉はそのまま煙のように霧散した。

 それで、神との交信は完全に途絶えた。


「今回もまたか……ただの、定期報告のようなものか」


 勇雄の言葉に、ミカが怪訝けげんそうに首を傾げた。


「黒髪の神様から、何かあったの?」

「ああ。『一週間後、継続』という通告が来た。それと、また『邪神』という単語だけだ。俺たちが向かっているディーヌ洞窟のことや、これからの旅に関する有益な情報は、何一つ得られなかった」


「そっか……。でも、一週間後には必ずこちらから連絡を入れた方がいいと思うな」


 ミカは真剣な表情で言った。


「神様たちが、裏で何を仕掛けてくるか分からないもの。黙って無視し続けて、機嫌を損ねる方がきっと面倒なことになるわ」

「分かった。一週間後にまた加護の空打ちをする。」


「あとね」


 ミカは勇雄の目を真っ直ぐに見据え、釘を刺すように言葉を重ねた。


「これから加護を使う時は、絶対に街の中とか、周りに人がいる安全な場所に限定して。旅の途中の街道なんかでは、絶対に、何があっても使っちゃ駄目だからね」

「……分かった」


 勇雄は素直に頷いた。しかし、その内側では全く別のことを考えていた。

 もしも、またミカの身にあの時のような凄まじい異変が起きたなら、場所を選んでいる余裕などあるはずがない。

 その時は、代償が何であろうと迷わず加護を使う。


 ミカは勇雄の顔をじっと見つめていた。

 やがてあきれたように、小さく息を吐いた。


「……今、勇雄くんが何考えてたか分かったよ」

「そうか」

「ありがとう」


 ミカの声が、ふっと柔らかく、少しだけ小さくなる。


「でもね、本当にお願いだから、無理だけはしないで」


 ♢


「それで……加護を使った後、勇雄君には何が見えていたの? 全部教えてほしいな」


 馬車に向かって歩いている時にミカが「秘密言語」で尋ねてきた。


「━━俺の過去の記憶だった。場所は、中学時代の剣道場」


 勇雄は一呼吸置き続けた。


「俺は当時の自分の肉体に憑依するような形で、親友と練習試合をしていた。案の定、俺がボロ負けした直後の光景だ。そのあと、そいつからハンカチを借りたんだ」

「ハンカチ?」

「試合の衝撃で、俺の口元が少し切れて血が出ていたんだ。それを見た親友が、差し出してくれた。俺は『洗ってから返す』と言ったんだが……」

「返さなかったの?」

「返せなかった。……いや、返さなかったんだ」


 勇雄は歩みを止め、自嘲気味に視線を落とした。


「次にそいつに試合で勝てた時、その時に胸を張って返そうと、自分勝手に目標にしていた。」


 視線を落としたまま続けた。


「だけど、俺は結局一度もそいつに勝てないまま、この世界に転移してしまった。あのハンカチは、地球の自室に置いたままだ。今も返せなかった事を悔やんでいる。」


 ミカは歩調を緩めた。そして、少しの間、沈黙があった。


「……前の、あの砂漠の町での時もそうだった。私が憑依したあの子━━テルも、『コルディに会えたこと』を心の中に強い後悔を抱えていた」


 ミカはハッとした様子で続けた。


「もしかしたら、この加護の代償として見せられる記憶には、本人の『後悔』が深く関係しているのかもしれないね」

「根拠はないが、可能性は高いと思う」


「私の方は、今回は何もおかしなことは起きなかったよ」


 ミカの目が少し泳いでいた。


「ただ、意識が飛んだ勇雄君の姿を、隣でハラハラしながら見守っていただけ。……代償を受けるのが、発動した本人だけっていう場合もあるんだね」

「前回の時は、君の異変に俺の加護を干渉させたから、二人で同じ記憶を見たのかもしれない」


 勇雄は考えながら続けた。


「今回は俺が単独で加護の空打ちをしただけだ。発動の条件によって、見え方が変わるんだろう」

「なるほどね。……まあ、これ以上私たちの頭で考えても、今はこれ以上の答えは出ないか」


 ♢


 ミカはそこで一度言葉を区切ったが、何かを確かめるように、再び勇雄の横顔を見上げた。


「ねえ、さっきのハンカチのお話だけど……勇雄君は、どうしてそんなにその後悔を引きずっているの?」

「親友に、勝ちたかったんだ。勝って、一人前になったと自分で認められてから、あのハンカチを返したかった」


 少し間があった。ミカは勇雄の目を見て言った。


「もし、一生勝てなかったとしたら、ずっと返さないつもりだったの?」

「分からない。ただ、そいつに勝つという事実が、俺にとって剣道を続けるための、唯一の━━明確な目標だったんだ」


「でも」


 ミカの声が、酷く静かに、波立たない水面のように響く。


「そんなこと、ずっと一人で抱え込んでいたら、しんどくない? いつか心がポッキリ折れて、身体を壊しちゃいそうだよ」

「俺は、要領が悪いからな。できが悪い人間は、そうやって一つの事に固執して、不器用に足掻くことしかできないんだ」


 勇雄は握り拳をつくり、そう吐き捨てた。


「できが悪くなんてないよ」


 ミカがか細い声だが、はっきりした声で言った。その瞳は勇雄を真っ直ぐとらえていた。


「いや、本当の俺はできが悪い。今は神の石を持って転移者だからそう見えないだけだ!」

「━━私には、分かるよ」


 ミカが短く、そう言った後、勇雄に一歩近づいた。

 少しだけ迷うように視線を揺らし、次の瞬間、彼女が小さく地を蹴って動いた。


 柔らかな服の感触と共に、ミカの小さな両腕が勇雄の身体をすっぽりと包み込む。

 勇雄の背中に手を回して抱きついてきた。


 勇雄は一瞬、思考も、体の動きも完全に止まった。

 ミカはその小さな身体をぴったりと密着させたまま、決して離れようとはしなかった。


「もっと、自分自身のことを大事にしてよ」


 ミカの、少しだけ震える声が勇雄の胸に直接染み込んでくる。


「勇雄君はできの悪い人間なんかじゃない」


 ミカは一泊置いて続けた。


「私は……どんなにボロボロになっても、何度も泥臭く起き上がり続ける勇雄君のことを、心から尊敬しているんだから」


 勇雄は息を呑んだ。

 ミカから伝わってくる確かな体温と、その言葉の重みが、護衛の男に抉られた胸の空洞を、不思議なほど優しく満たしていく。


 勇雄は小さく息を吐くと、そっとミカの背中に、己の手を回した。


「……分かった。ありがとう、ミカ。約束する、無茶はしない」


 ただそれだけを、静かに告げた。

 二人の周囲を、青い草原を揺らす春の風が、祝福するように優しく吹き抜けていく。


 ゴォォォン━━。


 その時、宿場村の中央にある教会の鐘が、低く、重々しく一度だけ鳴り響いた。出発の合図だ。


 ミカは名残惜しそうに、今度はすっきりとした笑顔を浮かべて勇雄の身体から離れた。

 遠くから、旅人たちが再び馬車へと乗り込み、宿場が慌ただしく動き始める活気ある声が聞こえてくる。


 二人は自然と歩調を合わせ、皆が待つ馬車へと歩き始めた。


 ♢


 乗り合い馬車の前には、すでに他のメンバー全員が集まっていた。


「ちょっと!  二人とも遅いんだけど!」


 前川先輩が、腰に手を当てて絵に描いたように怒っていた。


「すまない、少し遠くまで行きすぎてしまった」勇雄が少しだけ頭を下げる。

「あれ? そう言えば古賀くんも、どこかに行っていたんですよね? もう戻ってきたんですか?」


 ミカが、隣にいたグリナに何気なく問いかけた。


「ええ、古賀くんならほんの少し前に戻ってきたわよ」グリナが親切に答える。「『そこらの道をちょっと散歩してくる』って言って、一人でふらっとどこかへ消えてたのよね」


 勇雄は、その言葉を聞いて理人の姿を真っ直ぐに見据えた。

 理人の整えられた黒髪の頭頂部に、不自然なほど小さな緑の「葉っぱ」が数枚、ちょこんと乗っかっていた。

 それだけではない。彼の右肩のあたりには、細く折れた「木の枝」が一本、衣服に引っかかったまま残っている。


「理人。頭に葉っぱが付いてるぞ」

「え? 嘘」


 理人は意外そうな声を上げ、慌てて頭の上に手をやって葉を払い落とした。勇雄は無言のまま手を伸ばし、彼の肩に引っかかっていた細い枝を取ってやった。


「……一体どこでそんなものを付けてきたんだ?」

「さあね、どこで付いたんだろ」理人はいつもの軽薄な笑みを浮かべる。

「散歩の途中、藪の中にでも突っ込んだんじゃないか?」

「いや、俺が歩いたのはちゃんと整備された街道の上だけなんだけどな」


 理人は少しだけ眉を寄せ、困ったように頭をかいた。だが、それ以上の弁明をすることはなく、素早く客車の中へと乗り込んでいく。

 勇雄もまた、それ以上は敢えて追及しなかった。

 街道の上だけで、衣服にそんな枝葉が絡みつくはずがないことくらい、誰の目にも明らかだったが。


 ♢


 全員が再び定位置の座席へと収まり、馬車がガタゴトと音を立てて動き始める。

 窓からは、うららかな春の風が心地よく吹き込んできた。朝の冷気とは違い、優しく湿った土と、青々とした草の匂いが車内を通り抜けていく。


 勇雄は流れる窓外の景色を眺めながら、師匠神に言われた事が自らの内面へと深く沈み込んでいた。


 ━━何故、お前は強くなる。


 そして、元近衛隊の護衛の男は言った。


 ━━お前の剣には覚悟が見えない。


 二人とも立場や経験など全く違うはずだが、全く同じ本質を突いてきた。

 他人に勝つため。誰かを守るため。過酷な世界で生き残るため。

 どれも決して嘘ではない。すべてが真実だった。だが、それだけではなかった。

 勇雄の脳裏には、先ほど見た過去の道場と、或人のあのハンカチの残像が鮮明に浮かんでいた。


 あの痛烈な後悔の感触━━「返せなかった」という言葉が、今も胸に刺さっていた。


 勇雄はあれを、ただの「勝つための目標」にしていたのだと、今まではずっと思い込んでいた。

 だが、この世界に飛ばされ、極限の状況で思い返した今だからこそ、ようやく気づけたのかもしれない。


 ━━ただ勝ちたかったんじゃない。


 あの時、未熟な自分を当たり前のように支えてくれた親友に、本当の意味で並び立ち、『あのハンカチを返したかった』のだ。

 勝ちたいというエゴの前に、相手を思いやるその切実な気持ちこそが、自分の剣の最初の原動力だったのかもしれない。


 それが、神々や護衛の求める「答えや覚悟」になるかどうかは、まだ分からない。

 しかし━━暗闇に閉ざされていた自らの剣の道筋に、進むべき道を照らす細い光が見えたような気がした。


 馬車は車体を揺らしながら、まだ誰も知らない運命へ向かって、力強く走り続けていた。

第36話を読んでいただきありがとうございます。

ミカが抱きついた場面、どう感じていただけましたか。彼女は言葉が届かないと分かったので行動で示すのを描きました。

まだまだ旅は続きます。次の話もお楽しみ下さい。

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