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宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
第一章  
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第30話  異世界四日目

 全身が、酷く痛んだ。

 目が覚めるよりも前から分かっていた。意識が完全に戻る前に、肉体の方が先に悲鳴を上げていたのだ。腕も、肩も、背中も、足も、あらゆる部位が揃って猛烈な筋肉痛を訴えている。

 少しずつ慣れてきて周囲を見渡す。いつもなら部屋のどこかにいるはずの、あの白いアヒル姿の神━━ツルの姿がなかった。

 窓の近く、机の上、扉の前。そのどこを見渡しても、あの歪な白い身体は見当たらない。


「……珍しいな」


 そうつぶやきながら、昨夜のVR空間での過酷な訓練を思い出す。何度も叩き伏せられ、そのたびに起き上がった。最後はまともに立つこともできず、倒れたまま意識を失ったのだった。

 ふと机の上に目をやると、一枚の紙片が置いてあった。

 そこに並んでいたのは日本語ではなく、この異世界━━ワールの文字だった。


 お疲れ様です。先に起きました。朝食を取っています。無理をしすぎないでくださいね。


 ミカの筆跡だった。

 勇雄はそれを見つめたまま、少しの間動きを止めた。

 彼女は「異世界語で置き手紙を書いた」ということを、おそらく意識すらしていなかったのだろう。それほどまでに、この世界の言語が彼女の中に自然に溶け込んでいる証拠だった。ただ、何かが引っ掛かった。


 勇雄は痛む身体に鞭打ち、身体を起こした。全身の筋肉が悲鳴を上げた。


 ♢


 食堂へ向かって廊下を歩いているときから、胸の奥に嫌な予感が付きまとっていた。

 明確な根拠はない。それでも、胸騒ぎだけが消えなかった。


 食堂の入り口に差し掛かったとき、その予感は的中した。


 そこにはミカがいた。

 その隣には、上級生の前川麗奈(まえかわれいな)が立っている。

 さらにその隣には、なぜか古賀理人(こがりひと)までもが並んでいた。


 三人の視線が一斉にこちらへと向けられる。


「……嫌な予感がしたんだが」

「奇遇だな、俺もだ」と理人が肩をすくめた。

「勇雄くん、少し相談があります」


 ミカが真剣な面持ちで言い、隣の前川さんに視線で合図を送った。

 前川さんはどこか気まずそうに、決意を秘めた目で口を開いた。


「武藤くん、古賀くん。……私を、あなたたちの洞窟調査に同行させてくれませんか」

「駄目だ」

「駄目だな。現時点では」


 勇雄と理人の声が完全に重なった。二人とも一瞬の迷いもない即答だった。

 前川さんの身体が、ショックでわずかに強張る。


「……理由を、聞かせてもらえますか」

「洞窟の内部に関する情報があまりにも少なすぎます。突入すれば、死ぬ可能性が高い。危険すぎます」勇雄は淡々と言葉を重ねた。「手伝いたいという気持ちだけは、ありがたく受け取っておきます」

「……真壁くんの件で、武藤くんには借りができてしまいましたから。そのお返しがしたいんです。でもそれ以上に、このまま施設に残る方が怖いんです」

「気持ちは分かりました。だが、危険な場所に、加護のない人間を連れていく合理的な理由がありません。」


 前川さんは何か反論しようと口を動かしたが、言葉が続かなかった。勇雄の指摘が、残酷なまでに正論だったからだ。


 見かねたミカが、勇雄の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「勇雄くん。麗奈先輩には加護がありません。そのせいで、施設での訓練にもまともに参加させてもらえていないんです。この施設にいる転移者たちの成長速度が、今どれほど異常なまでに速いか……勇雄くんは昨日、別の場所にいたから実感が湧かないかもしれないけれど、本当に恐ろしい速さなんです。」

「……」勇雄は黙ってミカの言葉を聞いていた。

「このまま施設にいても、彼女は孤立して、周囲に取り残されていくだけ。」ミカは廊下の向こう執務室がある方を見た。「神様にも相談したそうです。でも返ってきたのは外にでる許可と借金の話だけだったそうです。……ここだって、決して安全な場所とは言えません」

「それでも、未知の洞窟に潜るよりは安全だ」

「彼女には、もう選択肢がないんです」


 ミカの声は静かだったが、そこには切実な響きがあった。


「加護がないことで、周りから拒絶されて孤立していくあの恐怖……。私だって加護を持っていないから、痛いほどよく分かるんです」


 勇雄は言葉を失い、黙った。

 これ以上、ミカを論破するための言葉が出てこなかった。それと同時に、胸の奥で奇妙な感情がうずく。


 ━━ミカに嫌われたくない


 という強い感情。この感情の正体が何なのか、今の勇雄には分からなかった。ただ、その想いは確かにそこにあった。


 沈黙の中、理人がいつも通りの軽いトーンで話に割り込んできた。


「そういえばさ、武藤の加護って結局なんなわけ?」


 勇雄は少し間を置いた。あの日、ミカの魔力暴走を抑え込んだあの謎の力。ツルからは異能を無効化すると言われた加護。だが、説明ができる自信は毛頭なかった。


「……俺もよく分かっていない。ただ、他人の魔力暴走を強制的に抑え込む加護、のようなものだと思う」

「ふーん、何だそれ。まあいいや、話を戻そう」


 理人は何かを思案するように目を細めたが、それ以上は追求してこなかった。隣にいるミカも、何かを深く考え込むような表情を浮かべている。


「古賀」勇雄は理人に話を振った。「お前は、何か別の案があるのか」

「あるよ」理人は前川さんに向き直った。「前川先輩、神━━シグナルドに直談判したって言ってたよね。外に出る許可と、借金の枠は取り付けたんだろ?」

「ええ、それは確かに」

「じゃあさ、その借金の枠を使って、冒険者ギルドで強い護衛を雇えばいいじゃん。転移者の身分があれば、それなりに融通は利くだろ」

「それは……。でも、借金をするのは抵抗があります。将来、本当に返済できるかどうかも分かりませんし……」

「踏み倒しちゃえばいいんじゃない?」


 理人の平然とした言葉に、その場の全員の視線が凍りついた。


「だって考えてもみなよ。魔王が倒された時点で、俺たちは全員元の世界に戻る契約になってる。そのとき、この世界の神様が、地球にまで借金を取り立てに来る手段があると思う? おそらく100%ないね。だから、実質使い得なんだよ、あの借金は」


 前川さんは呆然として言葉を失った。さすがは理人である。神━━エルクスすらもその弁論でうならせたという彼の合理主義は、ここでも健在だった。


「……いえ、それは倫理的にそういう問題では……」

「俺は極めて現実的な事として言ってるんだけど」


 前川さんは小さくため息をつき、静かに立ち上がりかけた。加入を拒まれ、理人の極論にもついていけず、半ば諦めたような顔をしていた。


「待ってください、麗奈先輩」


 ミカがその手を優しく引き留めた。ミカの目はまだ諦めていないようだ。……それどころまだ余裕のある表情である。勇雄は嫌な予感がした。


「……グリナさんにも、意見を聞いてみましょう」

「グリナの意見で決めるつもりか?」


 勇雄が眉をひそめる。


「聞いてみるだけです。一緒に旅をする以上全員の意見を聞くべきです。」

「いや、これはグリナには全く関係のない話だろ」理人が珍しく少し焦ったように口を挟む。

「関係なくても、聞いてみてから考えましょう」


 ミカの頑なな態度に、理人は観念したように小さく息を吐いた。


「……無駄だと思うけどね」

「古賀くんは、本当に麗奈先輩の加入に反対なのですか?」


 ミカが真っ直ぐに理人を睨みつけると、理人はあっさりと両手を挙げた。


「いや、俺は前川先輩が入る分には、ぶっちゃけ一向に構わないよ?」

「古賀くん……!」


 ミカは小さくガッツポーズを作り、勝ち誇ったような笑みを勇雄に向けた。


「ほら、最初から反対しているのは勇雄くんだけです」


 勇雄は理人を睨みつけた。完全な裏切りだった。最も頼りになるはずの軍師が、一瞬で敵陣営に寝返ったのだ。


「お前までそっちにつくのか」

「合理的に考えれば、それほど損はないんだよ。確かに戦力にはならないかもしれないけど、前川先輩は頭の回転が速そうだし、行動力もある。真壁から『特別試験』の情報引っ張った交渉力は貴重だぞ。それに、一人頭数が多い方が、野営のときの見張りや雑務のローテーションが楽になるだろ?」

「……それなら最初からそう言え」

「お前が感情論で意地になって反対してたから、ちょっと様子を見てただけだよ」

「感情では反対していない」

「してたって」


 勇雄は言い返せず、不機嫌に黙り込んだ。

 そして、最後に真っ直ぐ前川先輩の目を見据えた。


「……できればここに残って欲しいですが、最後に確認します。本当に来るんですね? 脅しではなく、本当に命の危険がありますよ」

「……行きます」前川さんは怯むことなく答えた。

「分かりました。とりあえずグリナに話を通して、彼女の意見を聞いてから最終決定にします。それまでは保留、ということでいいですね?」


 勇雄はまだ完全には負けを認めたくなかった。半分は男の意地だった。


 ♢


 グリナが泊まっている宿舎へと向かい、四人で並んで歩いた。

 部屋の前に到着し、グリナの名前を呼ぶ。

 すぐに扉が開き、中からグリナが姿を現した。

 彼女は前川さんの姿を見るなり、その大きな目を見開いた。


「わあ……! めっちゃ可愛い! この人が異世界人!? 向こうの世界の人って、みんなこんなにスタイル良くて綺麗なの?」


 あまりのハイテンションな歓迎に、前川さんは完全に固まってしまった。


「え……あ、そこまで言われるほどでは……」

「ううん、本当に可愛い! 異世界の人って、みんなそんな感じなの?」

「……そうじゃない人も、たくさんいますけれど」

「でも本当に素敵! もしかして、新しい仲間?」

「……そういう流れに、なりつつあります」とミカが苦笑しながら答えた。

「しかも賢そう」

「生徒会……学校の運営の手伝いしてたから会計とかならできますよ。」

「会計できるの!?」

「はい、できますよ」

「じゃあ今度手伝ってもらえるかも!」


 グリナは満面の笑みで前川さんに手を伸ばした。


「私、グリナっていいます! よろしくね!」

「あ、はい……前川麗奈です。よろしくお願いします。あ、一応みんなより一個上なので。」


 二人がしっかりと握手を交わす光景を、勇雄は複雑な心境で見つめていた。

 ミカが、どうだと言わんばかりに視線でアピールしてくる。

 勇雄は小さく息を吐き、首を振った。


「……分かりました。前川先輩の加入を認めます」

「よかった……!」ミカが嬉しそうに声を弾ませる。

「ありがとうございます、武藤くん」前川さんの声も、先ほどまでの張り詰めたものから、どこか安堵した響きへと変わっていた。


 ♢


 一行は宿舎の一階にある、宿泊者用の談話スペースへと移動した。


「それにしても、グリナさんは本当に日本語がお上手ですね」


 前川さんが感心したように尋ねる。


「ふふ、頑張って勉強しましたから!」

「どれくらいの期間、勉強されたんですか?」

「うーん、半年くらいかな?」

「半年……!?」


 前川さんは絶句した。その驚き顔には、これまでの優等生らしい仮面の奥から、彼女の素の性格が覗いているようだった。


「たった半年で、これほど自然に会話ができるようになるものなんですか?」

「この施設で働きたかったんですよね。転移者の皆さんが来たときに、通訳としてお手伝いしたくて」

「あ、前線に送られそうになる前は、採用試験を受けようと勉強していたんだな」と理人が思い出したように言った。

「そうなの。でも、結局落ちちゃったんだけどね」

「なぜ落ちたんだ?」勇雄がたずねる。

「なんか、貴族のコネがある人が優先されちゃったみたいで」

「あぁ……」ミカが納得したように眉を下げた。「なるほど、どこにでもある話ですね」


 前川さんは少し眉をひそめ、何かを思案するようにグリナを見つめながら言った。


「それでも……半年でこのレベルの言語習得は、やっぱり」

「変ですよね」グリナは自嘲気味に笑った。「自分でもちょっと異常だと思います」

「変というわけでは、ないのですけれど……」

「変ですよ。でも、語学の習得には個人差や才能もあるから、あまり気にしないでね」


 前川さんは、他の三人の顔をうかがっていた。勇雄は特に気にする様子もなく、ミカも同調している。理人にいたっては、つまらなそうに窓の外を眺めていた。

 前川さん自身、完全には納得がいっていないようだった。しかし、この場にいる誰もがそれを深く追及しようとはしなかった。


「あと、前川先輩」理人が前川さんに言った。

「ん?」

「グリナ、俺らと同じで15みたいだから敬語いらないと思うよ」


 前川さんの口が空いたまま静止した。その姿に優等生の面影は全くない。グリナは小さく舌を出していた。


「いやいや、この立ち振る舞いでどう見ても15歳に見えないよ。てかあんた達も15歳にみえないって!」


 前川さんは化け物を見るかのように他の三人を乱暴に指差していた。


「年相応ですよ」勇雄が言った。

「えっ、私は15歳に見えますよね。麗奈先輩?」ミカが前川さんに確認した。

「まあ、他の三人はおかしくても俺は15だよな?」理人も前川さんに確認を求めた。

「はぁ……とんでもないチームに入ってしまった……」


 前川さんは机に突っ伏してしまった。


「よし、今日の行動予定を決めるぞ」勇雄が全員を見渡して言った。「望月さん、古賀、前川先輩の三人は、城へ行って金銭の借金と旅の装備の手続きをしてくれ。グリナと俺は、カルーエタウンまでの馬車の手配と追加の消耗品の買い出しに行く。午後は全員で合流して、前川先輩の武器を揃えるのと、旅用の服と靴を買う。昼に、一度ここに集合だ」

「了解」と理人が短く応じる。

「よろしくお願いいたします」ミカも深く頷いた。

「はーい、午後はみんなでお買い物ですね!」グリナが嬉しそうに手を叩いた。


 ♢♢


 前川麗奈は、動き出した四人の背中を見渡した。

 昨日まで、麗奈は完全に一人だった。周囲から距離を置かれ、暗闇の中に一人で取り残されていたはずだった。


 今日は違う。


 誰が決めたわけでもない。ただ、小さな偶然と流れが重なり、気がつけば麗奈は、この奇妙なグループの中心に受け入れられていた。


 ━━これで、いいんだよね……。


 誰にともなく、心の中でそっと問いかける。

 危うく「神様」と祈りそうになって、麗奈は自嘲気味にその思考を打ち消した。

 本当に神々が存在する世界に連れてこられてしまったけれど、あの傲慢な神たちに祈る気には、どうしてもなれそうにない。

 それでも、麗奈の足取りは昨日よりも遥かに軽かった。何故か昨夜より頭が少し軽くなったような気がしたが、気にも留めなかった。

 五人の新しい歩みが、今、静かに始まりを告げていた。

第30話を見ていただきありがとうございます。

前川さんの正式加入です。「とんでもないチームに入ってしまった」にこの章の全てが詰まっています。

一言:これで五人になりましたが、彼女の加入が一番大変でした。孤立した彼女はこの日に施設から出て他の街で働きます。もう諦めて四人で行く事も考えていました。

次は五人の関係を見せる買い物です。お楽しみください。

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