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宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
第一章  
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第29話  閑話巻き込まれた少女

 周囲の誰も彼もが、笑顔で『加護』の話をしていた。


 転移して二日目の昼食。

 午後から神による『特別試験』が始まると通達されて以来、食堂はその話題でもちきりだった。誰がどんな強力な加護を得られるのか、試験とは一体どんな内容なのか。少年少女たちの予想と期待が混ざり合った興奮した声が、食堂に幾重にも重なって響いている。


 前川麗奈は、この世界に転移してきてから行動を共にしている絵梨花、そして琴音の二人と、食堂の端にある目立たない席に座っていた。


「ねえ、そもそも加護って何なのかな」琴音がスープをスプーンで、もてあそびながら、つぶやく。「やっぱり、魔法みたいなもの?」

「魔法は最初から使えるじゃない。なんか、もっと特別な固有の能力が目覚めるらしいよ」絵梨花が声を潜めて言った。「噂だと、昨日の水晶検査の輝き方で、もらえる加護の強さが変わるって話だけど」

「嘘……私、あのときの光り方がすごく弱かったから不安になってきた」

「弱くたって、加護自体はもらえるでしょ? あくまで魔力の量の問題じゃない?」


 麗奈は二人の会話を適当に聞き流しながら、少し離れた席へと視線を向けた。

 武藤勇雄と、望月ミカ。

 ……といっても、麗奈は二人のことを全く知らなかった。同じ高校の生徒のはずだが、名前ですら最近になってようやく把握した程度だ。彼らは他の転移者たちとほとんど関わろうとせず、周囲に情報が一切回ってこない。ただミカだけは「聖女」と噂されるほど優しい少女として知られていた。


 ふと見ると、そのミカの顔色が酷く悪かった。目の下に刻まれた色濃い隈は、朝見たよりもさらに深くなっている。目の前に並んだ食事にも、ほとんど手をつけていないようだった。


「……あの子、大丈夫なのかな」


 琴音も気がついたようで、心配そうに眉をひそめた。

 彼女はそのまま席を立つと、ためらうことなくミカの席へと歩み寄っていった。


「大丈夫ですか? ちょっと顔色が悪いみたいですけれど……」

「大丈夫ですよ。お気遣い、ありがとうございます」

「もし体調が悪いなら、無理しないで医療室に行った方がいいんじゃないですか?」

「本当に大丈夫ですから。どうぞご心配なく」


 聞こえてきたミカの声は、どこまでも穏やかで礼儀正しかった。けれど、そこには明確に「これ以上は踏み込んでこないでほしい」という見えない壁が存在していた。

 琴音が肩を落として戻ってくる。


「……断られちゃった」

「何か、人に言えない事情があるのかもね」麗奈はそっと慰めるように言った。


 ミカの隣では、勇雄が黙々とパンを口に運んでいた。特に周囲に気を配るでもなく、かと言って完全に無視しているわけでもない。


 ━━他の皆とは、雰囲気が違う


 麗奈は、手元のフォークを見つめた。

 今、この施設にいる誰もが、異世界という環境で生き残るために何かを求め、何かに期待し、何かに焦っていた。けれど、勇雄だけは、そのどれもをしていないように見えた。

 なぜ彼は、あんなにも平然としていられるのだろう。麗奈にはその理由が全く分からなかった。


 冷めかけた食事を口に運びながら、麗奈は自分がこの世界に転移してきた「あの日」のことを思い出していた。

 高校の入学式の当日だった。外は昨日の夜からの雨が降り続いていた。

 生徒会の役員だった麗奈は、新入生の手伝いのために早朝から学校に来ていた。式が終わり、体育館に新入生の誰かが忘れていった一本の傘を見つけ、それを届けに行こうと走っていた。


 ━━そして次の瞬間、何の前触れもなく、あの眩い光の渦に巻き込まれたのだ。


「せっかくの入学式だったのにね」


 いつだったか、絵梨花が寂しそうに笑って言った言葉が、脳裏の記憶と不意に混ざり合う。


「あのあと、本当なら初めてのホームルームだったんだよね……」琴音のつぶやきが重なる。


 視界を埋め尽くしたあの光。

 次に意識を取り戻したとき、自分たちは見知らぬベッドにいた。


 魔王の脅威、そして自分たちが魔王討伐の為に召喚されたという不条理な現実。

 パニックに陥り、泣き叫ぶ下級生たちの中で、麗奈は気がつけば自然と彼らをまとめる立場に立っていた。自分からリーダーになりたかったわけではない。あの極限状態の中、誰かが声を上げて動かなければ、一歩も前に進まないと思ったからだ。それだけのはずだった。


 ♢


 そして始まった、神々による『特別試験』。

 転移者たちが、数人、また数人づつ順番に部屋へと呼び出されていく。

 試験を終えて戻ってきた者たちは、一様に興奮した様子で自分の『加護』の強さを語り合っていた。「内容は口外できない決まりだ」と言いながらも、その瞳の奥には、確固たる力を得た者特有の全能感が満ち満ちていた。


 麗奈は、自分の名前が呼ばれるのをじっと待った。

 ひたすらに、待ち続けた。

 また数人が呼ばれ、さらに次が部屋へと消えていく。中には、適性を再確認するためか、同じ人が何度か呼び出されることすらあった。


 しかし━━夕刻が迫り、最後の候補者が部屋から出てきてもなお、麗奈の名前が呼ばれることはなかった。


「……私だけ、呼ばれてない?」


 ぽつりと声が漏れた。

 廊下の向こうからは、すでに新しい力を手に入れた同級生たちの、華やかな笑い声が響いていた。


 ♢


 特別試験の後、麗奈たち三人は、施設の広大な図書館にいた。

 現状を把握するため、麗奈は狂ったようにこの世界の地図を広げ、言語の資料を漁り、魔物の生態記録を確認していた。何かしなければ、焦燥感で頭がおかしくなりそうだったからだ。

 そのとき、絵梨花がふっと立ち上がった。


「あ、ごめん。ちょっと呼ばれちゃった」

「誰に?」

「……向こうの人たち」


 絵梨花の視線の先には、すでに強力な加護を発現させて頭角を現し始めていた、真壁たちのグループがあった。

 絵梨花は「すぐ戻るね」と言い残して去っていき、それからしばらくして、琴音も麗奈が本に目を落としている隙に、いつの間にか別のグループの輪へと混ざりにいっていた。


 二人は、二度と麗奈の席には戻ってこなかった。


 麗奈はただ一人、ひたすら本のページに視線を落としたまま、心の中で秒針の音を数えていた。いつの間にか、一時間が経過していた。

 これ以上待っても意味がない。麗奈は意を決して、真壁たちの集まるテーブルへと近づいた。


「真壁くん。お願いがあるの。あなたたちが受けた特別試験の内容を、私に教えてくれない?」


 当然、タダで教えてもらえるとは思っていなかった。


「その代わりに……あなたたちが今必要としている、この国の古い軍事記録の翻訳、私が全部引き受けるから」


 真壁は麗奈の手元にある資料を一瞥し、「へえ、まあ、お前がそこまで言うなら」と不敵な笑みを浮かべて了承した。


 ♢


 しかし、その場では「後で教えてやる」とはぐらかされ、結局内容を聞けないまま、三日目の朝を迎えた。

 翻訳は途中からミカと勇雄の協力があってかなり進んだ。

 麗奈は約束通り、翻訳を一晩かけて完成させた資料を真壁の元へと持参した。

 そこには旧時代の補給路の跡、危険な魔物の出現区域、そして今は崩落して放棄された旧砦の正確な位置など、極めて価値の高い情報が網羅されていた。資料を確認した真壁も、さすがにその成果の大きさを認めざるを得ないようだった。


「約束通り、特別試験の内容を教えてもらえる?」


 麗奈が真っ直ぐに真壁を見つめて言うと、真壁は鼻で笑い、冷酷な言葉を言い放った。


「━━加護の無い人に、特別試験の内容を教える意味ってあるか?」


 周囲の空気が、凍りつくように一変した。

 それが、この施設における絶対的な現実だった。加護が無い。特別試験すら受けていない。それはつまり、この世界において「戦力として全く機能しない荷物」であることを意味していた。

 麗奈が屈辱に唇を噛み締めた、そのときだった。


「約束は守るべきだ」


 静まり返った空間に低い声が響いた。武藤勇雄だった。

 思いがけない伏兵からの鋭い指摘に、真壁は一瞬怯み、忌々しそうに頭を掻いた。


「……チッ、分かったよ」


 真壁はぶっきらぼうに特別試験の概要を話した。しかし、それで終わりだった。彼が話し終えても、一度冷え切った周囲の空気が元に戻ることはなかった。

 そして「前川麗奈には加護がない」という噂は、瞬く間に転移者たちの間に広がっていった。


 ♢


 訓練場には誰も麗奈に近づこうとする者はいなかった。

 声をかけてくる転移者は、一人としていない。陰湿ないじめのような、派手な拒絶があるわけではなかった。ただ、麗奈が歩く場所から、自然と波が引くように人が遠ざかっていく。気づけば、自分の隣には誰もいなくなっていた。


 幸い、午前の基礎訓練だけは、ミカが声をかけてくれて、隣にいてくれた。会話は殆どなかった。周囲の視線は痛かったが、ただ一人で空間にポツンと取り残されるよりかは、いく分か気持ちが救われるのを感じていた。


 昼食は琴音と一緒に食事をした。絵梨花は真壁のグループに完全に入っていた。こちらに目線を合わそうとしなかった。

 琴音とも会話は殆どしなかった。体調とか天気とかあたりさわりのない事だけだった。


 午後の実践訓練になると、完全に一人になった。

 周囲の転移者たちの成長速度は、もはや恐怖すら覚えるほどだった。

 昨日まで魔力の循環すら満足にできなかった者が、今日にはもう鮮やかな魔力の盾を形成させている。施設の教官と互角に武器を交えている者すらいた。真壁にいたっては、すでに教官の動きを凌駕し、圧倒的な力を見せつけている。絵梨花はその真壁の隣にぴったりと寄り添い、覚醒した加護を使って彼のサポートをこなしていた。

 自分だけが、あの雨の入学式の日に置かれたまま、一歩も進めずに凍りついている。


 ━━怖い……


 転移者たちの成長速度が異常であればあるほど、自分との間に修復不可能なほどの巨大な溝が広がっていく。その現実が、麗奈の心を底なしの恐怖で満たしていった。


 ♢


 夕方の訓練がすべて終了した後、麗奈は足を突き動かされるようにして、施設を管理する執務室へと向かった。

 重厚な扉の向こうにいる、この施設の責任者であり神━━シグナルドの前に立つ。部屋には他に誰もいなかった。


「お願いです、私にも……私にも加護をいただけませんか」


 懇願する麗奈を見下ろし、シグナルドは表情一つ変えずに淡々と事実を告げた。


「無駄だ。君の肉体の構造が、神の加護の付与に全く適応していない。どれほど強固なシステムを組み込もうと、すべて拒絶反応を起こして霧散してしまうのだ」

「加護を付与できる可能性は、本当にゼロなんですか?」

「残念だが無理だ。創造神の規定に関わる為どうしようもない。」


 麗奈は目の前が暗くなるのを感じながらも、必死で言葉を絞り出した。


「では……せめて、私に護衛をつけてもらうことはできませんか?」

「相応の費用が必要だ。もし君が多額の借金を背負う覚悟があるというなら、検討の余地はあるがね」

「借金……」


 麗奈は『借金』という言葉に、一瞬言葉を失った。でも今のままでは駄目だ。せめて外に出なければ何も変わらない。


「借金でも何でも構いません! お願いします。それと……私を施設の外に出させてください。自分の足で、この世界の情報を集めたいんです」

「……いいだろう。許可する」シグナルドは短く応じた。


 それで、会話はすべて終了した。

 執務室から廊下へと出ると、その空間がひどく、果てしなく長く感じられた。


 ━━ああ……本当に、誰も私を助けてはくれないんだ


 加護はもらえない。肉体の構造がこの世界に対応していない。借金を背負い、命の危険を冒して外へ出る許可を得る。それだけが、今の自分にできる、生き残るための爪痕のすべてだった。


 ♢


 夕食の時間になり、今度こそ完全に一人での食事を覚悟していた麗奈の前に、不意に琴音が現れた。

 彼女は今日一日、訓練には来ていなかった。彼女どころか訓練には転移者の半数しか来ていない。だが、食事の時は殆どの転移者は揃うので、何か別の事をしているのは間違いなかった。

 彼女は気まずそうに自分のトレーを抱え、麗奈の対面の席に腰掛けた。そこには絵梨花の姿はなかった。


「今日、絵梨花とは訓練、一緒じゃなかったの?」

「うん……」

「私、聞いたよ。麗奈先輩に、加護がないって話」


 重苦しい沈黙が、二人の間に流れる。食堂の喧騒が、遠い世界の出来事のように掠れて聞こえた。


「あのね、麗奈先輩」琴音は視線を落とした。その目は、もう別のグループのテーブルへと向けられていた。「私……、あの人たちのグループで行動することにしたの。あそこは戦場にいく人を支援するグループなの。やっぱり、目的が一緒の人達といる方が、この世界では安全だと思うから」

「……そっか」

「ごめんね、麗奈先輩」

「謝らなくていいよ。琴音が決めたことだもん」


 麗奈が無理に作った笑みを浮かべると、琴音はいたたまれなくなったのか、すぐにトレーを持って立ち上がった。そして、一度も振り返ることなく、テーブルへと戻っていった。


 麗奈は、広いテーブルにぽつんと一人、取り残された。

 周囲の騒がしい笑い声が、容赦なく彼女の鼓膜を狂わせていく。


 ♢


 気づけば、夜は深く更けていた。

 与えられた無機質な個室に戻り、麗奈は机に向かった。紙を広げ、今日一日で集めたわずかな情報を整理しようとペンを握る。

 しかし━━手が、どうしても動かなかった。

 絵梨花がいなくなった。琴音もいなくなった。この世界のシステムにすら拒絶されている。刻一刻と強くなっていく同級生たちとの差は、明日になればさらに開くだろう。


 ━━帰りたい……


 押し殺していた本音が、不意に視界を滲ませる。

 日本の、あの温かい家族の元へ帰りたかった。転移した初日、神が見せてくれた「地球の映像」が脳裏に鮮明に蘇る。自分が植物状態でベッドに横たわりその傍らで、大声を上げて泣き崩れていた両親の姿。

 異世界ロマンなんて、ここには欠片もありはしない。

 あるのは、ただ息が詰まるような恐怖と、肌を刺す孤立と、二度と元の世界に帰れないかもしれないという、底知れない不安だけだった。


 ━━帰りたい

 ━━怖い

 ━━助けて欲しい


 カタ、と静かな音が室内に響いた。


「……随分と、お困りのようですね」


 あまりにも突然の、背後からの声に、麗奈は弾かれたように振り返った。

 そこにいたのは、白くて丸い、妙な生き物だった。

 大きな嘴に、不自然なほど大きな丸い目。首が極端に短い、歪なアヒルの姿。全身の羽毛が、月光を反射して白く不気味に浮かび上がっている。


「……あなた、誰?」


 怯える麗奈を見つめ、白いアヒルは丁寧な、しかしどこか背筋が凍るような声音で言葉を返した。


「名乗るほどのものではございませんよ。それよりも、麗奈さん━━」


 アヒルは嘴の端を、不自然に吊り上げた。


「私と、少しばかり『お取り引き』をいたしませんか?」

第29話を読んで頂きありがとうございます。

前川麗奈視点でしたがいかがだったでしょうか。誰よりも早く孤立してい。その過程を描きました。

次は異世界四日目です。是非次回も見てください。

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