第3話 どこだ。ここは?
電流が走った。
意識も形もない暗闇の中に、突然、痛みだけが存在した。痛みというより衝撃だ。輪郭のない何かが内側から弾けるような感覚。
勇雄は、覚醒した。
最初に分かったのは、自分に体がないということだった。
視覚があった。聴覚があった。思考があった。しかし、手がなかった。足がなかった。自分がどこにあるのか認識できなかった。
次に分かったのは、自分が何かに入っているということだった。
白い、丸い何かだ。ただ体が羽毛であるような気がする。視点が低い。体の質感が軽く、自分の意志で動こうとしても動かない。内側から見ているが、操作権がなかった。
状況が分からない、と勇雄は思った。
その瞬間、内側で声がした。
━━起きましたね。動かないでください。私は神の1人ツルです。今は私が表に出ていますがすぐに変わります。“場所“が悪過ぎました。ごめんなさい、今は詳しい説明はできないです。でも信じて下さい。━━
女性の声だった。柔らかく、しかし有無を言わせない声だった。
勇雄は何も言えなかった。先程の神なのか? にして口調が違いすぎる。判断する物が少なすぎる。様子を見ようと勇雄は思った。
♢
主導権がこっちに渡ったのか視界がはっきりして来た。姿は透明、手や脚等の感覚はなく体は浮いているような気がする。ただ、どこにも飛んでいけるような感じではなかった。声は出せるのか? わからないが出せるような気がした。
辺りを見た。広い部屋だった。天井が高く、壁は暗い石造りだった。光源が見当たらないのに、空間全体がかすかに明るかった。床に模様が刻まれていた。幾何学的な線が、無数に交差している。部屋の中心に何もない台座があり、その周囲を空間が囲むように広がっていた。
人がいた。二人だ。
一人が近づいてきた。
金髪だった。長い髪が肩から流れていた。背が高く、立ち姿に無駄がなかった。顔は穏やかで、しかし目だけが慎重に動いていた。こちらを観察しながら、警戒しながら、距離を詰めてくる。
「……日本人、ですか」
女性が言った。
内側で声がした。
━━はい、と答えて下さい━━
「はい」
内側の声、ツルに言われるがままに答える。
勇雄は今の状況を整理した。自分は魂の状態でツルに憑依されている。ただ、直感で彼女の指示には絶対に従うべきだという圧力があった。
あんな電流が流せるのだ。主導権を握れるはずなのに今はしていない。おそらくこの“場面“は彼女でも対応できないのだろう。
……何も知らない方がこの状況を打破できるのだろう。
合理的な判断だ、と勇雄は認めた。
金髪の女性は表情を少し和らげた。しかしすぐに元に戻った。
「驚かせてしまってごめんなさい。ここがどこか、分かりますか」
━━分からない、と答えて下さい━━
「分かりません」
もう一人が動いた。
勇雄はその人物を見た。
黒髪だった。床に届くほど長い黒髪が、動くたびに静かに揺れた。身長は普通だが、立っているだけで空間の重心がそこにあるように感じられた。白い衣を纏い、袖が長く、裾が床を引いていた。
体に、宝石があった。
埋め込まれていた。顔に、首に、手の甲に、指に。黄色い宝石が、皮膚の内側から光るように存在していた。浮いているのでも貼られているのでもなく、そこに最初からあるような自然さで、しかし目を引いた。光は弱く、脈打つように微かに揺れていた。
顔は整っていた。感情が読めなかった。目が静かすぎた。何かを見ているのではなく、全てを見通しているような目だった。
その人物が、口を開いた。
「珍しい状態ですね」
勇雄はその声を聞いた。
「長期浮遊魂ですか……それか……」
問いに答えを求めていない口調だった。独り言ではなく、確認だった。
内側の声が言った。
━━偶然ここに辿り着きました。そう答えて下さい━━
「偶然ここに来ました」
黒髪の存在は少し目を細めた。
「偶然」と繰り返した。「この空間に偶然辿り着ける魂は、通常存在しません」
沈黙があった。黒髪は呟くように言った。
「興味深いですね」
金髪の女性が口を開いた。
「あの……少し、確認させてください。ここがどこか分からないと言っていましたね」
━━はい━━
「はい」
「ここは神の管轄区域です。あなたのような存在が入れる場所ではありません」
金髪の口調は柔らかかったが、内容は圧力だった。
━━ここに来た理由を問われています。理由はわかりません。気づいたら、ここにいました━━
「なぜここに」と黒髪が言った。
「理由が分かりません。気づいたら、ここにいました」
「魂の流れに乗ったということですか」
「……そう、だと思います」
黒髪は視線をこちらに固定したまま、少し間を置いた。
「あなたは、何者ですか」
内側の声が、一瞬止まった。
━━ここは慎重に。名前だけ答えて下さい━━
「武藤 勇雄」
「人間の名前ですね」
「はい」
「人間の魂が、なぜ神の領域に」
これには答えが返らなかった。内側の声も、今回は何も言わなかった。
沈黙を勇雄は観察した。黒髪は何かを考えていた。金髪は黒髪を横目で見ていた。二人の間に、言葉にならないやり取りがあった。
━━今、質問ができます。ここに来た理由を聞いてください━━
内側の声が言った。勇雄は指示の意図を理解した。情報収集だ。
「一つ、聞いてもいいですか」
黒髪が答えた。
「どうぞ」
「お二人は、なぜここに」
金髪の女性が少し前に出た。
「私の用事でここに来ました。大魔神王に会いに来たのですが、無駄足だったようです。彼女は付き添いです。」
と金髪は言った。
黒髪は何も言わなかった。否定もしなかった。
金髪が続けた。
「あなたを見つけたのは偶然です。ここに来たとき、もうあなたはいました」
「……そうでしたか」
━━それ以上の会話は危険です。目的は達成しました。もう何も聞かないでください━━
勇雄は止まった。ツルにとってこれ以上会話はリスクしかないのだろう。
2人がここに来た理由はツルでも聞けそうだが、あえて勇雄に言わせるのはよっぽどの理由があるのだろう。
♢
黒髪が金髪を見た。
「観測の件ですが……」
と黒髪は言った。少し声が小さい。
「はい」
と金髪が答えた。こちらも小さい。
「魔王討伐の進行中、魔法世界ワールの観測が困難になっています。“私“の力を持ってしても、こちらからは介入できない状態が続いています。」
「分かっています。」
「このままでは大魔神王の存在はおろか、状況の把握ができません」
黒髪はそこで、こちらに視線を戻した。
「使えるかもしれません」
金髪が一拍遅れた。
「……それは」
「“人“の魂状態であれば、魔法世界ワールに乗せることができます。観測媒体として機能する可能性があります」
金髪は少し表情を変えた。慎重な変化だった。
「彼の意志は」
「確認します」と黒髪は言った。
そしてこちらを向いた。
「魔法世界ワールに行く意志がありますか」
━━はい、と答えて下さい。ただし条件をつけてください。人を探していると━━
「あります。ただ、探している人がいます」
「名前は」
「望月 美香」
黒髪は少し間を置いた。何かを処理しているような間だった。
「把握しました」
黒髪が近づいてきた。手を伸ばしてきた。宝石の埋まった指先が、こちらに向かって、触れた。
何かが流れ込む感覚があった。
情報ではなかった。構造だ。設計図のような何かが、魂の端に付着するような感覚。
「加護を付与しました」と黒髪は言った。「大したものではありません。“今“となってはゴミと言っていいレベルです。ただ、この加護の副次効果として、私とあなたは不定期に会話ができます。単語単位ですが」
「……何のために」
「観測です。あなたを通じて、魔法世界ワールの情報が得られます」
勇雄は理解した。使われている、とも言えた。しかし今の自分に拒否する理由がなかった。美香を探せるなら、条件は問わない。
「分かりました」
黒髪は少し引いた。しかし視線はまだこちらにあった。
「一点、確認させてください」
「何ですか」
「あなたは、どれだけ長く浮遊していましたか」
内側の声が動く前に、勇雄は考えた。
━━わかりませんと答えて下さい━━
「……分かりません」
黒髪は静かだった。
「千年以上の浮遊魂か、あるいはそれに相当する魂を乗っ取った魂です。」と黒髪は言った。「どちらにせよ、活躍を期待しています。使い捨てるつもりはありません」
♢
……気のせいだろうか何かに引っ張られる予感がした。
金髪がこちらを見た。
視線が、少し違った。さっきまでの警戒とは別の何かがあった。観察だった。黒髪とは違う種類の観察だった。
金髪が口を開いた。
「少し、聞いていいですか」
と女性は言った。声が柔らかすぎた。計算している柔らかさではなく、何かを確かめている柔らかさだった。
「何ですか」
「……あなた、大丈夫ですか」
問いが、予想外だった。
━━どういう意味ですか、と聞き返してください━━
「どういう意味ですか」
「うまく言えないんですけど」
と金髪は言った。
「さっきから、少し……違和感があって」
黒髪が金髪を見た。
「何の違和感ですか」
「魂の状態が、普通の浮遊魂と少し違う気がして……うまく言えないんですけど」
内側の声が、止まった。
視界が、揺れた。
勇雄は自覚した。意識の端が、薄くなっていた。引っ張られるような感覚があった。どこかに、呼ばれていた。
━━意識が薄れていますね。魂が肉体へ戻ろうとしています。━━
ツルが言った。
金髪の女性が一歩前に出た。
「意識が戻りかけています。肉体に呼ばれているんだと思います」と金髪は黒髪に向けて言っていた。「体が魔法世界ワールにある可能性があります」
黒髪は黙って聞いていた。
「加護の効果で、意識が肉体を追いかけています。このまま行かせた方がいい」
黒髪は少し間を置いた。金髪が答えた。
「……そうですね」
視界が白くなり始めた。
その直前、黒髪がもう一度口を開いた。
「一つ、頼みがあります」
勇雄は聞いた。
「魔法世界ワールで、体に宝石が埋め込まれた存在を見つけたら教えてください。私と同じ形の宝石です。邪神の可能性があります」
「……邪神」
「敵です。見かけたら、加護を通じて知らせてください。単語で構いません」
「分かりました」
黒髪は頷いた。
「活躍を期待しています、武藤 勇雄君」
意識が、落ちた。
最後に見えたのは、金髪の女性の顔だった。こちらを見ていた。表情は穏やかだった。しかし目の奥に、何かがあった。
声が、遠くなった。
空間が、消えた。
勇雄の意識は、光の中に沈んでいった。
次に目が覚めたとき、そこは城のベッドの上だった。
第3話を読んで頂きありがとうございます。この話では実質ツルと黒髪の対話を描いています。
その過程でこの物語の目的と、ゴミと言われましたが物語の需要な加護を得ました。
前作を見ている方はエピローグに登場した二人であることに気づくと思います。
前作はこの展開を作る為の側面もあります。
次の話で異世界転移をします。お楽しみ下さい。




