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宝神の勇者 I  作者: 三竦 慎太郎
序章 
2/9

第2話  高校入学式

 体育館は新入生で埋まっていた。

 パイプ椅子が整然と並び、それぞれに制服姿の生徒が座っている。壇上には教師と来賓。正面の壁に校章と「東和高校入学式」の文字。どこにでもある光景だった。


 勇雄は自分の席を確認し、座った。

 周囲を見渡した。顔を知っている人間はいない。当然だ。皆が初対面で、皆が同じように少しだけ緊張した顔をしていた。勇雄はその顔を順番に観察して、すぐに興味を失った。


 隣の席が空いていた。

 しばらくして、誰かが滑り込んできた。


 長い髪だった。黒に近い、落ち着いた茶色。座るときに軽く揺れてまっすぐに落ちた。身長は平均的だが、姿勢がきれいなせいか、少し大きく見えた。制服が馴染んでいる。

 入学初日というより、最初からここにいたような、そういう自然さがあった。

 隣の席に座ったその人物は、正面を向き、プログラムの紙を膝に置いた。


 勇雄は少しだけ彼女を見て、視線を壇上に戻した。


 ♢


 式が始まった。

 校長の式辞が続いた。来賓の祝辞が続いた。内容は聞いていなかった。

 隣の生徒が欠伸をこらえていた。前の方で誰かがスマートフォンを触っていた。勇雄もこの式に意味のある物を感じず、退屈であった。


 式が終わった。

 隣の席の人物が話しかけて来た。


「同じクラスだね」


 声は穏やかだった。圧がなく、かといって薄くもない。自然な音量だった。

 見ると、顔が思ったより近い位置にあった。黒に近い茶色の目。表情は柔らかく、警戒していない。


「そうだな」


 勇雄は淡々とそう答えた。名簿の列から判断すれば同じクラスだと分かる。


「緊張してる?」

「してない」

「そっか」


 彼女は少し笑った。口角だけでなく、目元も動く笑い方だった。


「私はちょっとしてる」

「無駄だ」と勇雄は言いかけて、止めた。止めた理由が分からなかった。

「……慣れる」


 代わりにそう言った。


「うん、そうだよね」と微笑みながら彼女は言った。「ありがとう」


 礼を言われる意味が分からなかった。勇雄は特に何も返さなかった。


「中学どこ?」

「ソノ中」

「あ、私はコノ中。近いね」と彼女は言った。「ちゃんと自己紹介してなかった。私、望月 美香(もちづき みか)


 少し考えた。


「……武藤 勇雄」

「武藤くんか」美香は繰り返した。「覚えた」


 軽い言い方だった。儀礼でも計算でもなく、素直に言った言葉だとわかった。

 勇雄は彼女の顔を少し見た。

 ……何も分からなかった。何が自分にそうさせているのか分からなかった。ただ、この会話を終わらせる理由が、見つからなかった。


「武藤くんは」と美香が続けた。「緊張、本当にしてない?」

「……少しはある」


 言ってから、それが正確かどうか考えた。正確ではないかもしれない。

 朝からある違和感のことなら、緊張とは別のものだ。……説明できる気がしなかった。


「だよね」とこっちを見て美香は言った。「そっちの方が自然だよ」


 責めているのではなかった。確認している声だった。

 勇雄は何も返さなかった。返さなくていい気がした。それが不思議だった。意味のない間はいらない……それなのに、沈黙が不快ではなかった。

 むしろ逆だった。

 どこかで笑い声がした。別の列で、すでに友人になっている生徒たちがいた。

 美香はそちらを見て、勇雄に視線を戻した。


「なんか落ち着くね」と空に顔向け彼女は言った。「君といると」

「……初対面だが」

「分かってる」美香は微笑みながら少し首を傾けた。「でも、そう感じるんだよね。変かな、私」


 変ではない、と勇雄は思った。

 なぜなら、自分も同じだったから。

 初対面だ。お互いわかっている事は少ない。判断する根拠がない。それなのに、この距離感が最初からずっと適切に感じられた。詰めすぎでも、遠すぎでもない。計算せずにそうなっている。


 そのことが勇雄には説明できなかった。


「……変じゃない」


 勇雄はそう言った。

 美香は少し目を細めた。


「ありがとう」


 ♢


 マイクの音が体育館に響いた。

 ━━それでは新入生の皆さん、担任の先生の案内でそれぞれの教室へ移動してください━━

 周囲が一斉に動き始めた。椅子を引く音、話し声、靴の音が重なった。

 美香が立ち上がった。プログラムの紙を手に持ったまま、勇雄を振り返った。


「クラス、一緒だね」

「そうだな」

「じゃあ行こうか」


 彼女は前を向いて歩き始めた。自然に、最初から隣を歩く距離感で。

 勇雄はその隣を歩いた。

 意識して並んだわけではなかった。そうなっていた。

 体育館の出口から、廊下の光が差し込んでいた。


 ♢


 写真撮影が終わった。

 体育館の隅で、クラスごとに整列して、フラッシュが光って、それだけだった。教師が「はい解散」と言う前に生徒たちはもう動き始めていた。友人を見つけた者は友人のほうへ、スマートフォンを取り出した者はスマートフォンへ、それぞれの重力に引き寄せられるように散っていった。


 廊下に出ると、流れが自然に分かれた。

 勇雄は美香の隣を歩いていた。特に示し合わせたわけではなかった。体育館を出たときから隣にいた。それだけだった。


「写真、変な顔してたかも」


 美香が顔に手を覆いながら言った。


「見てない」

「見ててよ」

「撮り直せない」

「分かってる」美香は苦笑した。「気にしないようにする」


 廊下の人の流れが、少しずつ薄くなっていた。曲がり角を過ぎると、前を歩いていたグループが別の方向へ折れた。後ろの声も遠くなった。

 気づけば、廊下に勇雄と美香しかいなかった。

 静かだった。窓の外は暗くなっていた。雨はまだ続いているようだった。


「武藤くんって」と美香が言った。「友達多そうに見えないのに、話しやすいよね」

「多くない」

「やっぱり」美香は小さく笑った。「でも、それでいいと思う。私も多い方じゃないし」


 勇雄は前を向いたまま答えなかった。否定する理由もなかった。


「高校、楽しくなるといいね」


 美香の声は軽かった。願望というより、確認に近い言い方だった。


「……そうだな」


 勇雄は言った。


 その“瞬間“だった。


 美香が、止まった。

 一歩遅れて勇雄も足を止めた。振り返る。

 美香は自分の足元を見ていた。視線が下に固定されて、動かない。


「どうした」

「あれ……」


 美香の声が変わった。不安と、困惑が混じった声だった。


「なんか、足が……」


 勇雄は美香の足元を見た。

 光があった。

 床から、光が滲み出していた。白ではない。青と白の中間のような色で、均質で、冷たい印象の光だった。美香の足元を中心に、幾何学的な線が広がっていく。円弧、直線、記号に似た形。それが廊下の床に展開していった。


 “魔法陣“だ、


 という言葉が勇雄の頭に浮かんだ。

 その言葉を即座に否定した。根拠がない。非合理だ。しかし、他の言葉が出てこなかった。


「武藤くん」とその声は恐怖と不安で震えていた。「これ、なに……?」

「分からない」


 正直に答えた。状況の把握が先だ。光の発生源、範囲、速度。図形は広がり続けている。美香を中心に、半径一メートルほどに達していた。


「怖い……」呟くようにして言う「なんか、怖いんだけど……」声量が大きくなる。

「動けるか」

「足が……動かない」


 勇雄は距離を詰めた。美香の腕に手を伸ばした。触れる、と思った瞬間、光が強くなった。


 白く、なった。


 図形全体が一斉に輝度を上げた。勇雄は目を細めた。廊下の壁が、天井が、光に塗り潰されていく。


「美香」


 呼んでいた。名前で呼んでいた。


「……武藤くん」


 美香の声が、遠くなった。距離が変わったのではなかった。音の質が変わった。膜を一枚隔てたような、薄くなった声だった。


「私、どこか行っちゃう?」

「行かない。どこにも行かない」


 根拠はなかった。それでも言っていた。


「……うん」


 美香は小さく頷いた。怖がっていた。その瞳から薄ら涙が滲む。それでも、勇雄を見ていた。

 光が、美香を包んだ。

 足元から上へ、水が満ちるように。ゆっくりではなかった。一瞬だった。輪郭が滲んで、形が崩れて、勇雄は必死に腕を伸ばした。美香も腕を伸ばす。

 指先が、美香の手に触れる前に、光が弾けた。

 廊下に、静寂が戻った。


 ♢


 勇雄は伸ばした腕のまま、立っていた。

 美香はいなかった。

 床に光の痕跡もなかった。魔法陣の線も、輝度も、何も残っていなかった。廊下はさっきと変わらない廊下だった。窓の外で雨が降っていた。どこかの教室から教師の声がした。

 勇雄は手を下ろした。


 待て。おかしい。消えた。美香が、消えた。光と図形と、説明のつかない何かに、飲み込まれた。


 勇雄は廊下を見渡した。誰もいない。目撃者はいない。自分だけが見ていた。自分だけが、認識していた。


 なぜ自分だけが……


 その問いは今は保留だ。今必要なのは一つだった。美香がどこへ行ったか。それだけだった。

 勇雄は握っていた手を開いた。何もなかった。触れる前だった。間に合わなかった。

 その事実だけが、残った。


 ♢


 無情にも時間だけが過ぎていく。もう教室に戻らないといけないのに勇雄は立ちすくんでいた。

 やがてチャイムが鳴る。


 キーン━━と鳴り始めたまま、その次に続く音がなかった。


 勇雄は顔を上げた。違和感に気づき辺りを見渡した。

 窓の外を見た。雨が止まっていた。落下の途中で、雨粒がそのまま空中に固定されていた。一粒一粒が、ガラスの粒のように宙に浮いていた。

 廊下の奥で、生徒が一人、歩きかけたまま止まっていた。右足を上げた姿勢で、そのまま静止している。髪が風もないのに少し流れた形で固まっていた。


 勇雄は周囲を見渡した。


 全部、止まっていた。


 時間だけが抜き取られた世界だった。音がない。風がない。

 勇雄は自分の手を見た。動く。呼吸もある。自分だけが、この静止の外にいた。異常な事態に困惑して呼吸が早くなるのを感じた。

 落ち着かせようとすると、何かの気配を感じ、前を見た。 


 人がいた。


 廊下の突き当たり。さっきまで何もなかった場所に、人が立っていた。

 老人ではなかった。

 年齢は分からなかった。若くも老いてもなく、どちらとも言えない顔だった。白い装束を纏っていた。袖が長く、裾が床に届くほどだったが、乱れていなかった。

 髪は黒く、真っ直ぐに垂れていた。肌は白く、表情は静かだった。


 一目で分かった。

 説明できなかった。論理的な根拠もなかった。ただ、見た瞬間に分かった。この“存在”は、自分たちとは違う側にいる。


 “神だ“


 と勇雄は思った。

 その判断を否定出来なかった。

 “存在”は動かなかった。こちらを見ていた。見ているというより、観測していた。圧はなかった。ただ、そこにあった。山がそこにあるような、そういう存在だった。

 近づいてくる。足音はなかった。三メートルほどの距離で止まった。


 “存在”が口を開いた。声は静かだった。廊下に響くでもなく、頭の中に直接届くでもなく、ただ普通に、聞こえた。


「助けたいか」


 問いだった。


 勇雄は答えなかった。すぐには。


 状況を整理した。美香が消えた。この“存在”が現れた。時が止まった。問いかけがあった。この問いは選択だ。選択には結果が伴う。結果が何かはまだ分からない。

 しかし、問いの意味は分かった。


 “助けたい“か。


 勇雄は自分の内側を確認した。いつもそうするように、感情ではなく状態を確認した。

 美香の顔があった。消える直前、自分を見ていた目があった。怖いと言いながら、それでもこちらを見ていた。お互いに腕を伸ばしたが届かなった。


「理由が分からない」と勇雄は言った。


 “存在”は黙っていた。


「さっき会ったばかりだ。根拠がない。助ける動機は何一つない」


 “存在”は何も言わなかった。


「それでも……」


 勇雄は一拍置いた。


「……助けたい」


 言葉にした瞬間、それが正確だと分かった。感情を優先したのではなかった。感情を排除しようとして、排除できなかった。それが答えだった。


 “存在”が、初めて動いた。


 表情は変わらなかった。ただ、目が細くなった。値踏みでも、試験でもない。確認だった。


「それが理由でいい」


 “存在”は言った。


「理由は後からついてくる。先に動く者だけが、世界を変える」

「どこへ行く」

「お前が答えを出した場所へ」


 意味が分からなかった。しかし、追加の情報を要求できる状況ではないと勇雄は判断した。


「美香は無事か」

「それを確かめに行くのだろう」


 返答になっていない。しかし、否定でもなかった。

 勇雄は正面を向いた。

 光が来た。

 今度は急ではなかった。足元から、ゆっくりと満ちてくるような光だった。美香を飲み込んだ光とは質が違った。あれは白く冷たかった。これは、色がなかった。透明な光、という矛盾した表現しか出てこなかった。


 廊下が薄くなっていった。

 止まっていた生徒の姿が、透けていった。窓が、壁が、天井が、輪郭を失っていった。

 勇雄は“存在”を振り返った。

 “存在”はそこにいた。表情は変わらなかった。ただ一度だけ、小さく頷いた。

 その意味を勇雄は受け取った。廊下が、消えた。勇雄の輪郭が、溶けた。

 静寂の中に、最後にひとつだけ声が残った。“存在”の声だった。


「選んだことを、覚えておけ」


 それから、何もなくなった。

第二話を見て頂きありがとうございます。

第二話で異世界転移の経緯を描きました。この話は「選択」がテーマです。

勇雄が美香を助けると選んだ理由、うまく書けていたでしょうか。根拠がない、動悸がない、それでも動いてしまう。そういう瞬間を描きたくてこの展開にしました。

次の話は謎の場所に転移します。そのあとは異世界に転移します。お楽しみ下さい。

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丁寧に感情が書かれてていいね。キャラに魂がちゃんと入ってる。
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