第26話 探索準備の帰路
赤く染まった石畳を、勇雄達は三人で歩いた。
夕暮れの長い影が静かな町並みに伸びていた。
ミカは、先ほど買ったばかりの魔法の杖を大切そうに抱えていた。木製で、先端に金属の補強が施されている。小柄な彼女が歩きながら持つには少し長そうだった。持ち方を変えたり、重さを確かめたりして何度も試していた。
「……本当に行くのですね、ディーヌ洞窟に」
ミカが前を向いたまま呟いた。
「行く。行かない理由がないからな」
勇雄が淡々と答えると、隣の理人があきれたように肩をすくめた。
「普通はもうちょっと悩むだろ、武藤。命がかかってんだぞ?」
「悩んだところで、やるべきことは変わらない」
「はは、それがまた……まあ、お前らしいか」
理人は小さく笑った。
その顔を見て、ミカの表情にも柔らかな笑みが浮かぶ。
道は静かに続いていく。
やがて、滞在先である施設が見え始めた頃、勇雄は不意に足を止めた。
道端に、一人の老人が座っていた。
古びた石の縁に腰掛け、一冊の本を広げている。夕暮れの細い光を頼りに、じっとページを見つめていた。
━━見覚えがあった。
元の世界での、高校の入学式の日のことだ。雨が降り出す直前の横断歩道。立ち往生していたその老人に手を貸して、一緒に渡った。別れた後に振り返ると、まるで最初からいなかったかのように姿を消していた、あの老人だ。
服装こそこの世界の住人のものだが、顔も、雰囲気も、間違いなく同じ老人だった。
「どうしました、武藤くん?」
ミカが心配そうに覗き込んでくる。
「いや……」
老人は本を読んでいた。三人が近づくと、ゆっくりと視線を上げた。
そして、目の前に立つ勇雄、ミカ、理人の三人を、順番に見つめていく。最後に勇雄を見据えた。
深い皺に刻まれた唇が開き、三人全員に聞こえるような静かな声が響いた。
「願いは叶う」
老人の濁りのない瞳が、勇雄を射抜く。
「━━だからこそ、願いは恐ろしい」
それだけ言うと、老人は何事もなかったかのように、手元の本へと視線を戻してしまった。
「……なぁ、お前の知り合いか?」
理人が不審そうに眉をひそめて訊ねる。
「いや……たぶん、違う」
勇雄は再び歩き出した。
老人が残した言葉が、頭の中で消えずにいる。論理的な説明はつかない。だが、意味を理解するよりも早く、胸の奥に不気味な感覚だけが沈んでいた。
♢
施設の入り口が目前に迫った。
勇雄は胸騒ぎを覚えて、ふっと後ろを振り返った。
━━老人の姿は、どこにもなかった。
見通しの良い一本道だ。周囲に建物もなければ、身を隠せるような物陰すら存在しない。にもかかわらず、彼は完全に消え失せていた。
「……っ」
「どうした、武藤? ━━あれ? さっきのじいさん、もういないな。どこ行ったんだ?」
理人も一緒に振り返り、不思議そうにあたりを見回している。
勇雄は答えず、ただ前を向いて歩みを大きくした。
施設の門のすぐ手前、その一角に、小さな花が咲いていた。
ほんの数輪だけ、無機質な石壁の隙間に力強く根を張り、白と薄紅が混ざり合った可憐な花を咲かせている。そこだけが過酷な現実とは無関係であるかのように、静かに存在していた。
ミカがその前に立ち止まった。
「……きれいですね」
理人が、少し先にある施設の入り口へと視線を向けた。
「俺、先に戻ってるわ」
理人はごく自然なトーンで言った。ミカと勇雄に向けられた言葉だったが、そこには明らかに、二人きりにさせてやろうという彼なりの気遣いが込められていた。
♢
理人の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
あたりは静まり返り、二人だけの空間が残された。
ミカはしゃがみ込み、じっと花を見つめている。両手でしっかりと魔法の杖を握りしめたままだ。
勇雄は、そんな彼女の背中を静かに見つめた。昨日、二人だけの時に使おうと約束した「秘密言語」で話しかけた。
「花は好きか」
「っ……はい、大好きです」ミカも秘密言語を使った。
「そうか」
「武藤くん、あの老人知ってるでしょう?」
勇雄は少し考えた。その後ろ姿に言った。
「ああ、転移する前、『横断歩道』で会った。困っていたから助けた。その時も意味深な事を言われた。」
秘密言語に『横断歩道』に当たる言葉が存在しなかった。勇雄は日本語で『横断歩道』と言っていた。
「『横断歩道』? ……その時はなんて?」
「『選ばれるのは大変だ。だが、選ぶのはもっと大変だ』と言われた。今でも意味はわからない……」
「……そうなんですね。確かにわからないですね。あっ古賀くんにも言ってない事ですね。私も代わりに何か話しますね。何がいいかな……」
ミカは上を向き、話す内容を考えているようだった。……何も言わなかった。次第に目線は下を向き、再び花を見ていた。
勇雄もミカの隣へと近づき、一緒にその小さな花を見つめた。沈黙が流れる。それは決して気まずいものではなかった。
勇雄の中では、これまでのミカの言動から、一つの推測があった。
━━ミカは地球人ではない。
そんな考えが、頭をよぎった。
最初に会った時、日本語でもワール語でもない言語を話していた。孤立する事を恐れてか、転移してから友達を意図的に作らない。
勿論日本語が何故話せるのかの疑問はある。
ただ、これまでの積み重なった違和感がそう告げていた。
沈黙を破ったのは、ミカの方だった。勇雄の方を向き、秘密言語で静かに言った。
「武藤くんが聞いて、なんでも答える。」ミカが相手に判断を委ねるのは初めてだった。「武藤くんは賢いから……私に、何か聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「賢くなくても分かる。……聞いたら、答えてくれるか?」
「……」
ミカは視線を落とし、花を見つめたまま動かない。
「ごめんなさい。こんな意地悪な事言って……怖くて、私から言えないんです」ミカの声が、今にも消えそうなほど小さくなった。「本当のことを言ったら……私、こんな『神の体』なんて大層なものを持っていますし、誰も私のことなんか、人間として相手にしてくれなくなるんじゃないかって……」
怯えるように肩を揺らす彼女に、勇雄は静かに毅然として言った。
「言わなくていい」
「え……でも」
「今すぐ話さなくていい、という意味だ。ミカが話したくなるまで、俺は待つ」
ミカがハッと顔を上げた。
「俺はミカを信用している」勇雄は彼女の目を真っ直ぐに見据えた。「ミカは神なんかじゃない。不器用で、一生懸命な、一人の人間だ。それだけははっきりと分かる。だから━━俺はミカを見捨てない。」
ミカの大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
ぽろぽろと、大粒の涙が彼女の頬を伝って落ちた。
声は出さなかった。ただ、堪えきれない涙が石畳を濡らしていく。
勇雄は何も言わず、ただ静かに彼女の隣に立ち続けた。
しばらくして、ミカは一度大きく深呼吸をした。
「気持ちは嬉しいけど、嘘ばっかり。武藤くんは洞窟であの子の情報を探したいんでしょう? 望月美香さんですよね。それに……信用って私達、出会ってたった三日ですよ。」
勇雄は返す言葉が出なかった。
ミカは勇雄に向きあった。
「けど……ありがとう、勇雄くん」
一瞬言葉を失った。初めて呼ばれた名前に、勇雄はわずかに目を見開いた。
「……かっこはつかなかったが、話したくなったときでいいからな」
「はい、今日は深く考えない勇雄くんが見られて満足です。」
ミカは少し笑った。勇雄も釣られて口角が上がった。もう涙は出ていなかった。
ミカはもう一度だけ足元の花を見ると、涙を拭って真っ直ぐ前を向いた。
二人は並んで、施設へと歩き出した。
♢♢
その頃、三人から少し離れた場所で、アヒルの姿の神━━ツルは「世界の揺らぎ」を肌で感じていた。
それは、本当に唐突だった。
周囲の空気が変わったわけではない。もっと根本的な、この世界の構造そのものが、一瞬だけ「別の巨大な何か」に接触したような、奇妙で恐ろしい感触。
ツルは鋭い目を周囲に走らせたが、そこには誰もいなかった。
神々の放つ「神気」ではない。かと言って、この世界の「魔力」でもない。
ツルはアヒルの頭を少し傾け、思考を巡らせる。
「……まさか、創造神?」
思わず声に出してみたが、当然、返答はない。しかし、ツルの胸の中には確かな確信が芽生えていた。
ツルは、これまでに起きた不可解な出来事を頭の中で整理していく。
勇雄の持つ、宝玉神から与えられた加護。その勇雄の体から「神の石」が外れなくなるという、世界システムのバグ。ミカの「神の体」。そして異変。理人の異様な観察眼、そして隠し続ける何か。理人と何らかの因縁を感じさせる少女グリナ。
そして今、この世界に「創造神」の気配。
「まったく……問題だらけです」
誰もいない空間に向けて、ツルは毒づく。
「大魔神王シグナルドは、すでに裏で動き出している」
一拍。
「理人の動きも怪しい。おまけに、あのグリナって少女」
「ミカの存在も危ういですし」
「……何より、勇雄はもっと危うい」
ツルは、勇雄たちが戻っていった施設へと視線を向けた。
「ここで創造神……」
答えは風の中に消えた。
ツルはどこからか、眼鏡の形をした神の魔道具を取り出すと、それを指先でじっと見つめた。
冷ややかな風が、ツルの透き通った体を吹き抜けていった。
♢♢
施設に戻った勇雄達は夕食をとり、その後束の間の自由時間を過ごした。他の転移者たちがそれぞれ騒がしく動き回っていたが、勇雄は彼らに目を向けることなく、ただ通り過ぎた。
夜になり、静まり返った廊下を歩く。
自室の扉の前に立ったとき、勇雄の頭の中に、夕方出会ったあの老人の声が蘇ってきた。
『願いは叶う。だからこそ、願いは恐ろしい』
元の世界で出会ったときにも、妙なことを言っていた。
『選ばれるのは大変だ。だが、選ぶのはもっと大変だ』
同一人である筈がない。ただ無関係であるとは思えなかった。本当に、奇妙な老人だ。
どちらの言葉も、今の勇雄には本当の意味が分からなかった。分からないからこそ、それは心に深く棘のように刺さったまま、どうしても消えなかった。
勇雄は小さく息を吐き、自室の扉を開けた。
━━そこには、
ツルがいた。
二日目の夜と同じように、部屋の中央に我が物顔で鎮座している。
ただ、その雰囲気は二日目の時とは明らかに違っていた。
ツルは、何か企みを秘めたような、不敵で、妖しい笑みをその顔に浮かべて勇雄を待ち構えていた。
第26話を読んで頂きありがとうございます。
創造神、そしてミカと勇雄の関係が進む、物語の中でも重要な場面です。
「願いは叶う」には色々な意味が込められています。
次は三日目の深夜です。お楽しみ下さい。




