第23話 執務室、再訪
執務室に着いた。
勇雄は扉をノックしようとした。その瞬間━━前回同様、ノックより先に中から入室を促す声が響いた。
執務室の扉を開けた。
一歩踏み込んだ瞬間、胸を押し潰されるような重圧が勇雄を襲った。
人の多さによるものではない。この部屋に満ちる空気そのものが、廊下のそれとはまるで違っていた。
隣のミカが少し足を止めた。
理人は足を止めなかった。ただ、その引き締まった肩に、わずかな緊張が走ったように見えた。
シグナルドが机の奥にいた。入ってきた三人を見ると、わずかに眉が動いた。表情から感情は読み取れない。ただ何かを察したように勇雄には見えた。
エルクスが脇に立ち、三人を順番に観察していた。
♢
背後の扉が完全に閉まる前に、大きな頭のアヒルの姿の神━━ツルが入りこんできた。
その姿は輪郭の一部が透けている。意識を向けていなければ、その存在を見失ってしまいそうだった。こんな姿のツルは初めてだった。
ツルの目的はわからない。理人を見に来たのか、それとも別の目的があるのか。
ミカは何度かツルに視線を向けていた。何も言わなかった。……気付いているのは確かだった。
一方の理人は気付いていないように見える。ただ、一瞬だけ視線がツルのいた場所をかすめた気がした。
シグナルドはツルを一瞥した瞬間、眉間に皺がわずかに寄った。
エルクスは変わらずに勇雄達を見ていた。……ツルが見えていないのかもしれない。
「冷たい飲み物を皆に頼む」
シグナルドの静かな声に、エルクスがわずかに間を置いた。
「……冷たい飲み物、ですか?」
「今日は少し暑いのでな」
エルクスはそれ以上何も言わず壁際の棚へ向かった。用意された四つのグラスが三人に配られる。勇雄は部屋が暑いとは思えなかった。
四つ目のグラスがシグナルドの前に置かれたのを見届け、勇雄は意を決して本題を切り出した。
「ここにいる望月さんと古賀を、俺の同行者として認めて貰いたい」
静まり返った部屋に、勇雄の声が響く。すかさずエルクスが応じた。
「洞窟探索のためですか」
「そうです」
「反対です」エルクスは間髪入れずに言葉を重ねた。「一度に全てを失う危険があります。ディーヌ洞窟の情報が少なく、事故が起きれば全滅もあり得ます。転移者をまとめて危険へ晒す許可はできません。」
「一人より、三人で協力した方が安全だと思います」
「全員が危険にさらされるだけです。数が増えれば安全になるとは限らない。もし人手が必要だというなら、それこそギルドで人員を雇って下さい。その為の紹介状のはずです。」
「……っ」
「あなた達の命は、魔王討伐には必要な命です。この世界の命運がかかっている。私は許可できません。」
勇雄は言葉に詰まった。
目の前のエルクスの顔が厳格な父の姿と重なった。反論はいくつも浮かぶ。しかし喉の奥で絡まり、言葉にならなかった。
沈黙を破ったのは、ミカだった。
「私も行きます。一人で残されるより、一緒に動いた方がいい。足手まといになるなら、その時は指示に従います。でも、最初から行かないという選択肢は、私にはありません。」
ミカの瞳には一切の迷いがなかった。だが、エルクスの表情は固い。その決断が覆る様子はなかった。
その時、理人が前に出た。こちらを振り返った。何も言わずに不敵に笑う。それだけで彼が何かを仕掛けるのが伝わってきた。
「どうして俺らだけ、そんなに過保護なんですか?」
「……どういう意味だ」
エルクスの声が低くなる。理人は臆する事なく続けた。
「他の人達が言ってましたよ。『やっと異世界で冒険できる』って、報酬を減らす代わりに、安全な場所で冒険していいってさ。向こうの人数は四人。……洞窟は駄目でその冒険は良いっていうのは、一体どういう基準なんですか?」
勇雄の全く知らない情報だった。三人でエルクスを見た。エルクスの表情は微塵も崩れなかった。
「確か……貴方はその件を知らされていないはず。『特別試験』の内容は秘匿されている。何故、それを知っているのですか?」
勇雄は思わず眉をひそめた。洞窟の話ではなく、情報の出所へ話を逸らした。これも父がよく使う手だった。
理人はその揺さぶりに乗らなかった。
「俺ら、高校生になったばかりですよ? そんな隠し事、無理ですよ。なんなら、あなた方が授けた『加護』の内容、ほぼ全員分ここで言い当てましょうか? ━━あと論点をずらさないでもらえます?」
エルクスは眉間に深い皺が刻まれる。怒気を帯びた勢いで理人に迫ろうとした。
その瞬間、部屋の主シグナルドが動いた。
「そこまでだ」
シグナルドは短くそう言ったあと、静かに三人を見つめた。しばらく無言だった。
重苦しい沈黙が場を支配する。誰も口を開けない。
やがて━━
「……許可する」とシグナルドは言った。「条件は変わらん。危険を感じたら即座に撤退。路銀などの仕度は城の窓口で受け取れ。」
エルクスが、ほんの少しだけ息を詰めた。
「……シグナルド様がそう仰るなら、承知いたしました」
声は平静だったが、その横顔には明らかに納得した顔ではなかった。
ギルド本部への紹介状が、その場で新たに用意される。今度は、三人分だった。
「以上だ。下がって良い」
シグナルドはそう言って締め括った。
三人は礼を言って退室した。
半透明のツルは去り際に一度だけシグナルドを振り返った。そして、滑り込むようにして一緒に出ていった。
バタン、と静かに扉が閉まった。
♢
廊下に出た瞬間、ミカが胸に手を当てて深く息を吐き出した。
「……生きた心地がしませんでした」
「そうか」
「武藤くんは全然緊張してなかったですよね」
「してた」
「嘘言わないでください。」
勇雄は理人に向き直った。
「古賀」
「ん?」
「助かった」
理人は前を向いたまま、何かを深く考え込むような目をした。だが、すぐにいつもの軽い表情を作って振り返る。
「気にすんなって。城への手続きは明日にして、今からさっそくギルド本部にいこうぜ」
「わかった。行こう」勇雄が言った。
「わかりました」ミカが答えた。
三人は並んで施設の出口へと歩き出した。
♢♢
彼らが去った後の執務室には、再び冷ややかな沈黙が戻っていた。
先に口を開いたのは、右断神エルクスだった。人間には知られていない神の公用語だった。
「よろしかったのですか、大魔神王様」
「問題ない」
「あの三人は手元に置いて監視したかったはず。……特にあの古賀理人、ただ者ではないな。私が『あえて理不尽な反対役』を演技している事を見抜いていた節がある。」
エルクスは間を置いた後続けた。
「理人の『特別試験』の回数は転移者の中でも最多でしょうか? それが何の試験かは問いませんが……彼と話して確信しました。勇雄以上に要注意人物です。」
「……」
大魔神王シグナルドは、何も答えず飲み物を一口飲んだ。
「それと、あのミカという少女」エルクスは、先ほどまでミカが座っていた虚空を見つめる。「神の体を持つあの少女を、最近どこかで見た記憶があるのです。日頃から多くの人や神に会う為、誰かは断定できないが……」
「……」
「教えて頂けないのは、やはり神の禁則事項だからですか? 私にはそうは思えないですが」
「禁則ではない。教えられないのは彼女の為だ」
「彼女……? どなたですか?」
「答えられない。」
「……失礼致しました」
エルクスはそれ以上の追求は諦め、話題を切り替えた。
「ディーヌ洞窟の件ですが……あの場所には、神々が関与した痕跡があります。」
「知っている。」
「本来なら関わった神々から詳細な情報を得る手はずでしたが、失踪しました。先程、報告した神々です。洞窟の調査資料も、その神々から得た情報を元に作成する予定でした」
「分かっている」
「全貌が不透明のまま、あの子供たちを向かわせると?」
「確認だ」とシグナルドは静かに言った。「あそこに何が残っているのかを知りたい」
「彼らを……捨て駒にして、ですか」
「向こうが行くと言ったのだ。それに━━お前も後からついていくのだろう?」
シグナルドの射抜くような視線にエルクスは僅かに息を呑んだ。
「旅の準備は順調か」
「……は、いつでも発てます」
「行く前に私の神の石、宝神石を持っていけ。」
「よろしいのですか!?」
「構わん。万が一の事態があれば、私だけでなく、あっちにいる人支援の神も使え。」
「っ……承知いたしました。」
エルクスは一瞬目を見開いた。事の重大さを察し、微かに震えそうになる拳を隠し、深く頭を下げた。
そして、今度は勇雄がいた場所へと視線を移した。
「それにしても、勇雄という少年は、妙ですね。確かに宝神石を宿し、宝玉神からの加護を受けている。」
「……」
「……それだけではない。勇雄はツルという名の神と接触したと言っていた。あれから気になって更に調べたが……調べても何も出てこない。除名リストにもツルは無かった。消去法で神を名乗る人ということになるが……」エルクスは顔を歪ませた。「そして側に要注意人物と、神の体を持つ少女……」
まるで誰かが意図的に配置したような顔ぶれだった。
エルクスは何かに思い至ったように顔を上げかけた。
シグナルドは窓の外へ視線を向けた。
「上を見るな、右断神」
エルクスは言葉を失い、動きを止めた。
部屋は再び、静寂に包まれる。
シグナルドはただ窓の外の景色を見つめたまま、静かに飲み物を口に運んだ。その表情からは、やはり何一つとして感情を読み取ることはできなかった。
第23話を読んで頂き、ありがとうございます。
執務室、再び訪れる話でした。メイン登場人物が殆ど揃いました。
一言:この場面ダイジェストにしようと思っていました。書いてみたら理人がいい感じに動いてくれて出来上がった場面です。
次はギルド本部の場面です。新キャラが登場します。お楽しみください。




