第17話 図書館二日目
食堂に寄った。
夕食には少し早い時間だったが、昨日と同じくパンをもらえた。ミカが受け取って、勇雄に渡した。言葉はなかった。
図書館に入った。
昨日と同じ部屋だったが、空気が違った。
人がいた。
転移者たちが、各所に散っていた。昨日は閑散としていたが、今日は半数近くが来ていた。小声が重なっていた。
棚の前に二人組がいた。地形図の棚を見ていた。
「この国の南側、魔王軍の支配圏じゃないのか」
「みたいだな。こっちの方はどうだ? 平地が続いてそう」
「その先を調べてみるわ。安全な国があればいいが……職員に聞いてみるわ。」
別のテーブルでは、魔王の記録を開いている者がいた。
「過去に討伐の記録はないのか?」
「あっても古すぎて参考にならなそう」
「でも読まないよりはマシだろ」
言語の本を抱えている者がいた。声を出して発音の練習をしていた。隣の者が小声で注意していた。
図書館にいる全員が、何かを探していた。
勇雄は部屋を見渡した。
安全な国の情報。魔王軍の現在地。二日目にして、グループの形が変わり始めていた。昨日まで一緒にいた者たちが、今日は別のグループになっていた。
情報格差がある。誰かが先に動き、誰かが出遅れる。二日目で始まるのは早かった。
……特別試験で何かがあったのか。勇雄はこの世界の神から何も加護や情報は得られていない。試験内容を秘匿にと、言われただけだ。
今から人に聞くか。いや、何も情報がない。すでにグループが出来ている。誰に聞くべきか。今は判断する材料が足りなかった。
考えても仕方ない。出来る事をしよう。
♢
地図関連の棚を確認した。
本がなかった。
正確には、スペースはあった。本が抜けていた。他の棚は埋まっていた。この一区画だけ、抜かれていた。
誰かが借りているか、意図的に置いていないかだ。
勇雄は周囲を見た。
少し離れた席に、人がいた。
大きな地図を広げていた。紙の端が机からはみ出していた。脇に資料が積まれていた。地形の本、古い探査記録、軍の記録らしき物もあった。
上級生の前川さんだった。
かなり集中していた。周囲の声が聞こえていないような顔だった。
ミカが小さく反応した。
地図の端を見ていた。
「……あれ」
声が出た。
勇雄はミカの視線を追った。
地図の端に、文字があった。
黒髪の神から流れ込んだ場所だった。ディーヌ洞窟と地図の隅に記されていた。
勇雄は席に向かった。
「すみません」
前川さんが顔を上げた。
警戒した。一瞬だったが、目に出た。誰が来たか確認して、それから勇雄とミカを交互に見た。
「その地図を見せてもらえませんか」
「……なんで?」
「調べたいことがあります。」
前川さんは少し間を置いた。
「交換条件でいい?」
「内容によります」
「特別試験の内容、教えてほしい」
勇雄は少し迷った。
秘匿を命じられていた。しかし隠すほどのものではなかった。心理試験だ。加護に関する情報ではない。
「協力型の心理試験でした。」
「心理試験?」
「極限状況で誰を助けるか。仲間か目的か。そういう設問でした。」
前川さんは少し黙った。
それから、肩の力が抜けた。
「……あー」と前川さんは言った。「なんだ、普通じゃん。加護が得られた人とか、謎の体験をしたって話が入ってきてたから。もっと特別なことがあるのかと思って」
「俺たちの時は心理試験だけでした。」
「そっか」と前川さんは言った。「ちょっとがっかりした」
空気が和らいだ。
「じゃあ取引成立ね」と前川さんは言った。「地図、持っていっていいよ。」
地図を貰った。勇雄は地図を手に取り、去ろうとした。
ミカが前川さんに話しかけていた。
「何しているんですか?」
「この資料の翻訳を条件に特別試験の内容を教えてくれるって言われてね……」
前川さんはあるグループを指差した。四人組だった。男女比は同じ。歴史の本を読んでいる人や魔法の教本を読んでいる人がいた。
「そうなんですね。翻訳手伝いますね。この席空いています?」
「手伝ってくれるの? ありがと。正直困っていたんだよね。英語は得意だけど、こういうのは慣れてなくて……」
「……えいご、ですか? ……ここから翻訳していきますね」
「助かる。私は前川 麗奈。これでも皆より1個上よろしく。」
「……望月 ミカです。よろしくお願いします。」
ミカは席について、前川さんを手伝うようだ。勇雄は近くで地図で見ていた。
「うん、お願い。この軍用地図の注釈が読めなくて……えっ辞書無しで読めるの?」
「ええ、読めますよ。武藤くんも読めるみたいです。そうだよね?」
ミカに呼ばれたので中断してミカの方に向かった。
「はい、読めます。」
「え、なんで読めるの?」
「神からの加護に近いものです。」勇雄は淡々と言った。
「正確には違うんですけど」ミカが小さく言った。
「似たようなものです。」勇雄は言った。
前川さんは勇雄を見た。それからミカを見た。
「……二人とも、なんか変だよね」
悪意のない言い方だった。
「そうですか。」勇雄はそう言って、近くの席に座った「手伝いますよ。三人でした方が早いです。」
「ありがと。えっと……」
「武藤です。よろしく」
「前川です。よろしく。終わったらそっちの地図も手伝うからお願いね。」
前川さんは顔の近くで合掌して言った。
♢
地図と資料を引き寄せた。
注釈が細かった。異世界言語で書かれていた。縮尺の説明、地形の補足、軍事記録の参照先。意味が分かっても翻訳に時間がかかった。
勇雄が読み、ミカが確認した。前川さんが紙に書き取った。
時間が経った。
窓の外が暗くなり始めた。
前川さんが翻訳の手を止めて、勇雄を見た。
「あなた、加護とか関係なく頭いいよね」
「普通です。」
「普通じゃないよ、絶対」と前川さんは言った。「読んで、整理して、先読みして、全部同時にやってるじゃん」
「効率的にやっているだけですよ。中学の成績は悪かった。」
「絶対、嘘。」
ミカが黙って勇雄を見ていた。
視線に気づいた。前川さんも気づいていた。ミカは勇雄に何かを言いかけて、何も言わなかった。視線だけが一瞬、勇雄と前川さんの間を行き来した。
ミカは視線を地図に戻した。
♢
数時間後、翻訳が大体終わった。気付けば、前川さんに頼んだグループは解散していた。
前川さんが言った。
「……一言も言わずに帰るとかある? ごめんね。明日、特別試験の内容聞くわ。必ず教えるね。」
「いいんですか?」
ミカが答えた。
「いいよ。ここまで手伝ってもらったし。じゃあ、遅くなったけど、手伝うね。」
前川さんが地図を広げて、目的の場所を示した。
「これだよね、探してたの」
洞窟の位置は施設からかなり遠かった。徒歩で数日かかる位置だった。ただ、方角は魔王城の方だ。この地図には魔王城は載っていないので正確な位置関係はわからない。
封鎖記録が残っていた。何年か前に立ち入り禁止になっていた。理由の記載があったが、その部分だけ削られていた。
ページが抜けていた。
綴じの部分から、数枚が丁寧に抜かれていた。跡が残っていた。無造作に破られたのではなく、意図的に取り除かれていた。
「ここ、誰かが消した感じがする」
ミカがその白い断面を指先でなぞる。
「なんで」と前川さんは言った。「誰が消すんだよ」
「管理していた誰かですか。」勇雄が言った。
「あの神、シグナルド?」
「分からないです。でも、ここには何もないです。」ミカが本を指差して答えた。
勇雄は『ディーヌ洞窟』の座標を脳裏に焼き付けた。
遠かった。準備が必要だった。どう動くか、まだ決まっていなかった。
洞窟に美香の情報があるかはわからない。あの洞窟には何かがある。それだけで十分だった。
転移する時に決めた『助けたい』。その言葉を嘘にしたくなかった。
勇雄の意志は固まった。
「そこ、行くの?」
前川さんが聞いた。
少し沈黙があった。
「決めていないです」
勇雄は言った。
前川さんは勇雄を見た。それからミカを見た。
ミカは勇雄の表情を見ていた。何も言わなかった。
勇雄は図書館の棚に地図を返した。
施設の放送が入った。
「消灯まで一時間です。部屋に戻るよう……」
たどたどしい日本語だった。
図書館に数人だが、まだ残っている者がいた。放送を聞くと帰る準備を始めた。
二日目の夜だった。
クラスの内側で、静かに線が引かれていた。
♢
図書館を出た。
廊下に出ると、前川さんが先に歩き始めた。
「今日は本当にありがと」
「こちらこそ、地図の事を手伝ってありがとうございます。」
ミカは頭を下げてお礼を言った。勇雄も頭を少し下げた。
「また情報あったら教えて。特別試験の事は聞いたら教えるね」
前川さんは言った。振り返らなかった。
「わかりました。」
勇雄はそう返した。
前川さんが角を曲がった。
♢
廊下に二人だけになった。
ミカが言った。
「行くんですよね」
「どこに」
「ディーヌ洞窟」
勇雄は少し間を置いた。
「……まだ決めていない」
「武藤くんの顔、決めてる顔してましたよ」
勇雄は答えなかった。
ミカは前を向いた。
「……私も行きます」
「危ないかもしれない……」
「それでも」
理由を言わなかった。言わなくても分かるという顔だった。
勇雄は一拍置いた。
「……分かった。明日はまず、職員に聞いてみる。何か助言してくれるだろう。」
勇雄は静かに言った。ミカは黙って頷いた。
二人は廊下を歩き始めた。
第17話を読んで頂きありがとうございます。
上級生、前川さんが初めてちゃんと登場した章でした。広間で場を収める人物として書きましたが、今回は別の顔が見えたと思います。
特別試験後のクラスの変化を気づいて頂けたでしょうか。勇雄と他の転移者との情報の差が大きくなっていきます。
まだ、二日目は終わりません。次回もお楽しみ下さい。




