第16話 加護の代償
空が広かった。雲が少なかった。光が強く、白い石の建物に反射していた。風が砂を運んでいた。
空の色が今と少し違うように感じる。ただ、魔法世界ワールの空を真剣に見たことはない。しかし、地球では無いことは確かだった。
勇雄は自分の手を見た。
小さかった。
子供の手だった。十歳前後だと、すぐに分かった。体が小さかった。目線が低かった。しかし意識は今のままだった。
体が動いていた。
自分の意志では動かせなかった。体は勝手に動いていた。別の誰かが操作していた。勇雄はその体の内側から、外を見ていた。
小さな広場だった。
三メートルくらいの石壁が正面に見えた。砂が床に積もっていた。
手に、木刀があった。
体が動いた。
素振りをしていた。
カン。
リズムがあった。一定だった。体が覚えていた。体の記憶だった。
カン。
カン。
足元に何かが描いてあった。地面に線が刻まれていた。戦術の図解だった。三種類の対策が書かれていた。文字と矢印で、動きの組み合わせが記されていた。
手のひらに豆があった。
木刀の補修の跡が何箇所もあった。繰り返し使われていた物だと分かった。
勇雄にはこんな記憶は無い。可能性があるとすれば、前世だろうか。その考えをすぐに否定した。地球の常識で考えれば、前世の記憶が戻る事はない。
♢
ミカが来た。
壁の方向から、人が現れた。よく見ると子供が通れそうな抜け穴が壁にあるようだ。壁の外から来たようだ。
女の子だった。年は十歳くらいだろうか。
白い服を着ていた。装飾が多かった。上質な布だった。砂埃が少しついていたが、ほとんど汚れていなかった。
髪が長かった。
目が、今のミカと似ていた。しかし違った。今のミカより確信を持った目をしていた。物怖じしなかった。
女の子は勇雄を見た。
素振りをしている子供を、少し奇妙なものを見る目で見ていた。
「ねえ」
体が振り向いた。
女の子を見た。
勇雄はその目で、女の子を見た。
現在のミカと、似ていた。同じではなかった。しかし何かが共通していた。
女の子が首を傾けた。
「そんなの意味あるの?」
ワール語とも日本語とも違う言葉だった。何故か勇雄は母国語のように理解できた。記憶にはない。なんという言語かもわからない。
体は答えなかった。少し待った。
「三竦み、知らないの?」
女の子の目が変わった。
黄金色に近い黄色だった。
色が変わった。目の色が、意図的に変わった。光が宿ったような、濃い黄色だった。
「その目じゃ、私には勝てないよ?」
声に悪意はなかった。確信があった。事実を告げている声だった。
体が、木刀を下ろした。
女の子を正面から見た。
目に魔力が込められる。体は慣れているようで一瞬で魔力が溜まる。目のチャンネルを変えたようだ。
「逆だよ」
体が言った。
「君が勝てないんだよ」
女の子の顔が赤くなった。
「……でも、三竦みは絶対だよ。無駄じゃない?」
「無駄かどうかは、まだ決まってない」
短かった。
断定ではなく、事実として言っていた。
女の子は少し黙った。目が黄色から戻っていた。
「努力しても色は変わらないのに」
声が少し変わった。苛立ちと、純粋な疑問が混じっていた。
勇雄は三竦みの意味がわからなかった。
「壁の中の人って、みんなそんな感じなの?」
体が少し間を置いた。
「……君、友達少ないでしょ」
女の子の顔が固まった。
「は?」
「その言い方、嫌われるよ」
女の子は反論しかけた。しかし言葉が出なかった。
勇雄はその体の内側から、女の子の顔を見ていた。
驚いていた。
対等に返されたことに、驚いていた。怒るより先に、驚きがあった。
それから、少しだけ口元が変わった。
笑いではなかった。しかし、表情が動いた。
現在のミカの顔と、重なった。
女の子が口を開いた。
「……名前は?」
「先に聞いた方から名乗るものじゃない?」
「うわ、めんどくさい……」
女の子は少し間を置いた。
それから、名乗った。
「私はテル。テル プレシアス。あなたは?」
名前が、聞こえた。
勇雄はその名前を受け取った。
「コルディだ」
体が、名乗り返した。
その瞬間、世界が揺れた。
砂が、上に浮いた。
重力に逆らって、砂粒が空へ向かった。音が歪んだ。建物の輪郭が溶けていった。
女の子の顔が、輪郭を失い始めた。
勇雄は引き留めようとした。体が動かなかった。
光が戻ってきた。
白い光が、砂漠の景色の上に重なった。
女の子の声が、遠くなった。
最後に、もう一度見えた。女の子が、こちらを見ていた。
その顔に、表情があった。
さっきまでの確信に満ちた顔ではなかった。
もっと素直な顔だった。この出会いを喜んでいる顔だった。
白くなった。
全部、白くなった。
だんだん白が崩れていく。
砂の匂いが消えた。乾いた風が消えた。石壁が消えた。
♢
床があった。
試験室の床だった。椅子の脚が見えた。机の角が見えた。紙が一枚、端に滑っていた。
勇雄は自分の手を見た。
大人の手だった。小さくなかった。今の、武藤 勇雄の手だった。
動かせなかった。
指を曲げようとした。曲がらなかった。全身が硬直していた。体の内側に魔力を送ろうとした。届かなかった。循環できなかった。なぜ、動けないか理解できなかった。
手のひらが痛んだ。
木刀を握っていた感触だけが残っていた。実際には握っていない。しかし皮膚の内側に、その感触の形跡があった。
呼吸だけが、動いていた。
ミカが椅子に座ったまま、俯いていた。
動かなかった。肩が少し落ちていた。
部屋が静かだった。
時計の音が戻っていた。普通の間隔に戻っていた。
「……コルディか……覚えた……」
ミカが言った。
声が小さかった。呟きだった。自分に向けて言っているような声だった。
次の瞬間、ミカが顔を上げた。
自分が何を言ったか気づいた顔だった。
「……え?」
目が、少し濡れていた。
涙が出ていた。ミカ自身が驚いていた。なぜ泣いているのか、顔に書いてあった。
体の硬直が徐々に解けていった。
勇雄はミカを見た。
自分の中にも、同じ感覚があった。
あの場所を知っている。
その確信だけがあった。理由は分からなかった。記憶として出てこなかった。しかし、肌を打つ砂の熱、木刀を握りしめた手の平の痛み。それらが偽物の記憶ではないと、肉体が、魂が、確かに主張していた。
視界の奥に、何かが来た。
黒いノイズだった。視覚ではなかった。目を閉じても消えなかった。意識の内側で発生していた。
言葉ではなかった。
意味だけが流れ込んできた。
━━ディーヌ。
━━洞窟。
━━調査。
勇雄は目を押さえた。
頭の中で何かが接続されていた。加護だ、とすぐに分かった。黒髪の神が言っていた。不定期に単語単位で会話ができると言っていた。邪神を見つけたら報告しろとも。
視界の端に、何かが浮いた。
選択肢だった。言語ではなかった。概念の形で浮いていた。
了解。保留。拒否。
勇雄はミカを見た。
俯いていた。手が膝の上にあった。まだ涙が残っていた。
勇雄は一拍置いた。
保留。
意識の中で選んだ。
何かが向こうへ流れていく感触があった。
選択した後、別の概念が浮かんだ。
邪神。
それのみ浮かんでいた。念じれば報告できそうだ。まだ、手掛かりはない。しばらく待つと薄くなり、消えた。
接続が薄くなった。ノイズが消えた。
「……なんだこれ」
勇雄は小さく言った。自分に向けた言葉だった。
♢
扉が開いた。
エルクスが戻ってきた。
部屋に入って、二人を見た。
一瞬だけ、止まった。
空気を読んでいた。何かが変わっていると感じているようだった。しかし問わなかった。
「……顔色が悪いな」
ミカに向けた言葉だった。
「大丈夫です」とミカは言った。「ちょっと眠くて」
エルクスは少し間を置いた。
「無理をするな。」
短い言葉だった。
それ以上は言わなかった。勇雄を見た。勇雄は黙っていた。何も言わなかった。エルクスは何かを考えたが、何も言わなかった。
「今日の試験は終了だ」
エルクスは言った。
「内容の口外は禁止。忘れるな」
二人に退出を促した。
♢
廊下に出た。
施設の日常があった。
転移者の声が聞こえた。訓練帰りの足音が廊下の向こうから来た。誰かが笑っていた。
「ミカ」と勇雄は言った。「すまない。」
突然の言葉にミカが勇雄の方を見た。
「あの時の俺は冷静な判断が出来ていなかった。外に出て誰かを呼ぶべきだった……」
「謝らないで」ミカは小さく微笑んだ。「考えずに行動するのは武藤くんらしくはないけど、助けてくれた事は嬉しかった。」
「たまたま、うまくいっただけだ。……次はどうなるか」
「でも、また助けてくれそう。次は焦った武藤くんが見たいな」
ミカは笑いながら言った。勇雄はため息をついて言った。
「次は助けないぞ」
ぶっきらぼうに言い、勇雄は歩き始めた。ミカが隣に並んだ。
「ふふ……で、どこに向かっているんですか」
ミカが聞いた。
「図書館だ」
「また?」
「ディーヌ洞窟について調べたい」
「ディーヌ洞窟?」
「黒髪の神から情報が来た」
「その神、信用できるんですか」
「できない。ただ、情報として確認する価値はある」
ミカは少し間を置いた。
「……私も行っていいですか」
「どうして」
「一人だと、寝そうだから」
勇雄はミカを見た。
目の下の隈はまだあった。昨夜から続いていた。疲労が抜けていなかった。
「わかった。無理はするなよ。」
「ありがとう」
廊下を並んで歩いた。
いつの間にか光が傾いていた。夕方が近かった。窓から入る光の色が変わっていた。
ミカが時折、勇雄を見た。
勇雄も、ミカの横顔に視線が向いた。
既視感があった。
あの場所の感触と、今の横顔が、どこかで繋がっていた。説明できなかった。繋がっていると断言できる根拠もなかった。
ただ、知っている気がした。
この感覚の名前が分からなかった。
図書館への廊下が続いていた。
二人の足音が、同じリズムで鳴っていた。
第16話を読んで頂きありがとうございます。
テルとコルディの出会いを描きました。短い場面でしたが、二人の性格を表現しました。
また、このイベントで二人の距離が近づきました。何かが変わった事が伝わるように描きました。
黒髪の神の司令が来ましたね。この司令が物語に大きく影響します。
次回は二日目の図書館です。1日目の変化を感じて下さい。あのキャラが登場します。
お楽しみ下さい。




