五.世界が猫で満ちる日
猫カフェ「猫の穴」での惨劇から一週間後、未だに女性客たちの悲鳴のような抗議と猫たちの凄まじい威嚇が頭から離れない山崎は猫欠乏症に喘ぐ日々を送っていた。
もちろん、山崎自身飢えを少しでもしのぐために動画配信サービスの愛らしい猫動画を目が腐るほど見まくった。
しばらくは、それでどうにかやり過ごしていたが、もはやデジタル空間の猫たちだけでは山崎の心は満たされず、猫への執着は日に日に大きくなっていった。
そして、猫禁断症状がピークに達したその日の夜。
山崎は仕事帰りの薄暗い路地で、ふと足を止めた。
(なんだアレは……?)
目の前の古びたコンクリート製の階段に、山崎は目を凝らした。
一〇段にも満たない小さな階段は経年劣化のせいか、所々にヒビが入り、中には蹴上げの一部がはげ落ちている。
(うーん、こういう公共物を見ると、すぐに直したくなるな)
などと、土建屋の血を騒がせていると、はげ落ちた部分が次第に丸みを帯び始めてきた。
やがて、その丸みは滑らかになり、ある生き物の独特な座り方ような形になってきた。
(なんか、猫の箱座りに似てるなぁ……、んっ、猫っ!)
その途端、頭のてっぺんに雷が落ちだような衝撃が山崎の全身を貫いた。
しばらく呆然としていた山崎は憑き物が落ちたように顔をほころばせた。
「可愛いな……」
そう呟いた瞬間、鉛のように重かった山崎の胸がフワリと軽くなった。
それからというも、目にするものがすべて猫に見えてくるようになってしまった。
例えば、
飲み終わったカップの淵に残ったココアの跡から猫の顔が現れたり、
テーブルに置いたレジ袋のシルエットが猫の横顔にそっくりだったり、
窓枠でできた影がどうみても前脚を揃えて座る猫にしか見えなかったり、
大空をゆったりと流れる雲が徐々に伸びをする猫に変化したり、
と、いった具合に、いつの間にか、世界が猫で満たされていった。
山崎は笑った。
心の底から笑った。
解き放たれたように笑った。




