⑬-1 噂の正体
その日は、五月も末の出来事だった。
ここは、永世中立国スイスのシャフハウゼンがシュタイン・アム・ラインの小さな診療所だ。
町の喧騒をもろともせず、その絶叫はこだました。
人伝に聞いてみると、偶然目の前を通過していた貴婦人はこう語る。
「聞こえたんですよ、まさに大絶叫!」
新聞を抱える画家はこう語る。
「何か悪い診断でも受けたんじゃないかね。しかし、それにしても診療所から、まさかあんな大絶叫が聞こえるとはね。ちょっと芸術味を感じたよ」
腕の太い大男が現れた。男は肩を震わせて大笑いした。
「当たり前でしょ!! バカなのおおおお⁉ って聞こえたんですよ、あっちの路地からですよ! こりゃ、旧市街地全体に聞こえただろう!」
数日間も噂された、この大絶叫が町にとって、語り草となるかはまたの機会に。
◇◇◇
「そんなのありえないでしょ? 嘘だよね? ティニア、どうしちゃったの?」
「いや、えっと……」
「一緒に住むですって⁉ そんなに心が弱くなっているの?」
「その……」
あのティニアが、モジモジとしている。
頬を赤らめて――。
「まさか何かされたの? 許さないわよ、アルベルト!」
「お、落ち着いて。マリア……」
「落ち着いてるわよ〜。ティニアちゃん、本当にどうしたの? 疲れているの? もう少し入院しておく?」
そういうと、マリアは壁にティニアの落書きを張り出した。
「ちょ、やめて! 貼り付けるのも辞めてよ!」
足音が聞こえ、息を切らした白衣の丸眼鏡医師は、勢いよくドアを開けたのだが。
次の瞬間、大きな衝突音と振動が、病室に伝わってきた。
医師レオンはいつものように、頭を天井にぶつけてしまった。
「先生……、その。怒ってもいいのよ」
「せ、先生。怒ってもいいけど、痛くない? その、ホ、ほどほどに……」
「……元気そうですね」
レオンは震えながら、涙を流しつつオデコに手を当てた。先ほどの大絶叫は、レオン医師だけではなく患者全員に轟いただろう。
「……もう、退院して下さい。はやく。今すぐです」
「……は、はい」
「……荷物持つわよ」
「あ、……うん」
逃げるように荷物を持つと、壁に貼られた落書きを剥がしていくティニアだった。そのまま二人とも、お互いを笑いしながら診療所を後にした。足取りは軽く、どこまでも続いていけるようだった。




