⑫-5 混ざり合う記憶
「まーた! こんな散らかして!」
マリアは後ろに来ていたマナ看護師にセリフを盗られると、口を半開きにしたまま固まってしまった。
うだうだ悩んでいたところを、マナには見られてしまっただろうか。
恥ずかしさが込み上げる中、マリアは誤魔化そうと大きな声を上げた。
「それ、私が言おうとしたのに!」
「たまにはいいじゃない。入院中はずっとこんな感じよ?」
「それは大変だったわね」
ティニアの金髪は元々毛先が遊んでいるが、櫛でとかしていないようにボサボサだ。
ティニアは一心不乱に鉛筆を走らせており、訪問者に気づいていない様子だ。
「今度はなんの絵でしょうねーっと。うん? 三角形の……崖?」
「山みたいだわ」
「どこの山かな……。マッターホルンでもないですねー」
「んあ、いたの?」
気の抜けた返事をした金髪碧眼の女性はあぐらをかいたまま、布団の上でポカンと口を開けたまま惚けている。
「ねえ、ティニア。午後に退院するんだから、仕度してよ。お絵描きは、帰宅したら描こうよ」
「うーん。でも、思い出せなくて。もうちょっとなんだけど」
「そんな事より、支度! 支度して! もう、アルベルトは何をやってたの?」
仕方なく片づけ始めるティニアだったが、描きあげた絵を拾い上げては、「違うなぁ」や「なんだったかなぁ」と呟いている。マリアの話など聴こえていないであろう。
「もう。マリアさん、悪いけどお願いしますね」
「わかったわ。マナさんもありがとう」
「別に仕事だし」
マナはウインクすると、業務へ戻っていった。というより、面倒くさくなって匙を投げたのだ。マナは本当に淡泊である。
「ふう。大仕事ね」
「何が?」
「……なんでもない」
(まったくもう。わかんないって言いながら、楽しそうに描いて)
すると、一枚だけ花が描かれた画を見つけ、マリアは拾い上げた。どこか見覚えのある花が描かれている。
「これは……?」
「わかんない。やたらその花が思い浮かぶから、描いてマリアに聞こうと思って」
「ふーん。何色なの? 影しか塗ってないけど」
「うーん。……わかんない」
的を射ない話は珍しい。壮絶な体験談でもない。ティニアはかつて壮絶な戦いを切り抜けた友人たちの話をしていたが、それとは異なっている。結婚間際に婚約破棄された友人と、慌ててプロポーズした友人の話でもない。
本当にわからないようである。
ティニアは首を左右にかしげながら、少し唸ると鉛筆を置いた。
「……白、かな」
「白? 球根花かしら」
「そう、球根」
「それはわかるんだ。うーん、どっちかっていうと、フリージアに似てるかな」
「あー、そうなんだ。鮮度的に長持ちしないから、お渡しする直前に摘むの」
「ああ……。庭園とかの?」
ティニアはよく意味不明な言葉を発しながら、心因性昏迷状態に陥る。その中で、彼女の口から出る言葉の一つが、“庭園”であった。
マリアの中で、彼女が“庭園”と呼ばれる場所を訪れた記憶はない。出会う前の記憶だろうか。
「庭園……。そうだ、庭園だ。庭園だけれど、花園に近いかな」
「花園なんだ。庭園には、沢山の花が咲いてるのね」
「うん。噴水と、お茶を飲むスペースがあって…………あっ、あー!!」
「どうしたの!?」
「違う、これボクのじゃない!」
ティニアは走らせていた鉛筆書きを丸く円をグチャグチャに描き、頭を抱えてしまった。
「ちょっと、無理しないでよ。大丈夫? 先生、呼ぼうか?」
「呼ばないで、退院出来なくなる」
即答には焦りと鋭さがある。ティニアはそのまま絵を乱雑に集めると、全てゴミ箱へ捨ててしまった。ため息をつく彼女の肩は落ちていた。彼女が必要以上に落ち込んでいる理由は、心因性昏迷状態や足の怪我ではないだろう。
思い当たる理由は、一つしかない。
「元気出して」
「マリアも聞いているんだね」
ティニアは毛先に触れながら、寂しそうに俯いた。
「……孤児院のこと、責任感じているのね。ティニアのせいじゃないわ」
「ボク、何やってんだろうな。こんな所まで来て」
「ティニア……」
「荷物はまとめてあるよ。なんか、アルベルトがやってた。いつでも出られる。……これは落書きだから捨てちゃおう。要らないんだ」
そう言うと、手に持った紙を一枚、ゴミ箱に投下した。
「要らないの?」
「うん。思い出せなくて、描いていただけ」
苦笑いを浮かべた彼女は、ぼんやりとしていた。
彼女は瞬きをすると、彼女らしくない重圧が全身を包み込んだ。
「でも、これ全部違う」
これが、彼女の声なのか――。
いつもと違う声色。
劣等感や自責の念が伝わってきた。
マリアは、アウローラを襲撃してきたアルビノの少年を思い浮かべていた。




