⑫-4 不完全な再会
医師レオンは患者ティナへの診察を始めた。
慣れた手つきで聴診器に触れると、その心音を聞いた。
静かな時が、二人の間に流れた。
一通りの診察を終えたレオンは、心配そうにティナを見つめた。
「名前だけでなく、何処に住んでおられたのかも、何故海岸に漂着していたのかも、思い出せそうにないですか?」
「申し訳ありません」
ティナはほうっと溜息をついた。数センチ開けられた窓からは、清らかな風がふんわりと病室を満たしていく。
「あの海岸からすぐに実家……。屋敷で治療を行えて良かったです。衰弱されていましたからね」
「そうだったんですか。何も、覚えてなくて」
「仕方ありませんよ。何かのショックがあったのでしょう。あまり無理に思い出そうとしないほうがいいかもしれません」
レオンはそういうと、カルテにペンを走らせた。
「先ほどもお話しましたが、ここまで汽車に乗って来たんですよ。アニーも付き添って。アニーは、義兄の医院からこの診療所へ着任された看護師です。アニーは……。おっと、すみません。急に話し込んでしまって」
「いえ。知らない間に、皆さんの御世話になっていたようで。改めて、有難う御座います」
ティナは更に深々とお辞儀した。顔を上げる際に、レオンと目線が重なった。
「あの……」
「どうしました? ティナさん」
「私のことは、以前からお会いしていたとか、そういった事はありませんでしょうか」
ティナはレオンの瞳を見つめながら、見上げた。
レオンは必死で記憶を手繰り寄せたが、そういった記憶は思い出せなかった。
代わりに、アルベルトとの会話を思い出した。
アルベルトとは、まるで知己の間柄のように感じられた。
お互いにそうした感触があり、意気投合するのに時間はかからなかった。
彼女の場合も、そういった類のことではなかろうか、と。
「そういったことは、無いかと思いますが」
「……ごめんなさい」
「いえ、そんな。謝らないでください」
ティナは一瞬だけ、胸を押さえた。
「でも……」
「何かの心身にショックがあったのでしょう。記憶の混濁があるのかもしれません」
「そう、ですね……」
ティナはそれ以上語らず、何かを考えているような表情を見せた。
レオンは彼女の不安を取り除こうと、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「無理はなさらないで下さい。会話できるようになっただけで、十分進歩ですよ。一応お伝えしますが、今は少し衰弱されてはいます。ですが、他に悪いところはありません。すぐに退院出来ますよ」
「……そうですか」
「まずはしっかりと食事をとりましょう。……どうされました? 食事に関して何か?」
「いえ。そうではなくて」
ティナは部屋の入口を見つめると、レオン医師へ目線を戻した。無表情ではあるものの、口元は緩んでいる。
「先ほどの朱色の髪の女性なのですが」
「ああ。マリアさん?」
「素敵なお嬢さんですね」
「そうですね」
「また、お話しできるでしょうか」
不安そうに、しかし丁寧に言葉を紡いでいく。レオンは視線を外すと、椅子に座り直した。
「そうですね。マリアさんは、うちで薬剤を調合をしているスタッフの同居人なのです。話し相手がスタッフ以外でも居ると、良い影響があるかもしれませんね。マリアさんには、声を掛けておきましょう」
「有難う御座います」
ティナの微笑みに、レオンは照れながら視線を外した。
「それでは、僕はこれで。どうも長話を直ぐに始めてしまいますので、ティナさんも気付いたら止めてください。……何かあればこちらのベルか、声を上げてください」
「わかりました」
「あの」
「はい」
レオンは去り際、ドアに手を掛けた。レオンは見向きせず、ティナへ声を掛けた。
「貴女も、十分御綺麗ですよ」
「…………」
「あ、いえ。変なことではなくて、あの」
しどろもどろになりながら、レオンは眼鏡をかけなおした。そして、またしても額をぶつけてしまう。
「イッタ……」
「大丈夫? 凄い声がしたけど」
マリアがシーツを抱えながら、少しドアを開けた。廊下からは、マリアだけでなく、マナも心配そうに部屋をのぞき込んでいる。
レオンは頬を赤らめながら、額を抑えた。
「先生、顔が赤くなってるわ。大丈夫?」
「今回は割と、来るものがありました……。あ、シーツ交換は終わりましたか? すみません。甘えてしまって」
「それくらいいいわよ」
マリアが病室をのぞき込むと、ティナは既に布団にくるまれていた。
「あら、寝ちゃったかな」
マリアの言葉に驚きレオンも振り返るが、やはりティナは布団を被っている。応答はない。
「つ、疲れたでしょうから、少しゆっくり休ませてあげましょう。それより、マリアさん」
「なに?」
「良ければ、彼女の話し相手になっていただけませんか。お時間のある時で構いませんので」
「え⁉ ……ええ、もちろんよ!」
マリアは嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと病室の扉を閉めた。
◇◇◇
シーツ交換を終えると、マリアは口元が緩んでいるのに気付いた。
(喜んでばかりではダメ……)
レイスであるティナと会話することが出来た。それだけではなく、医師であるレオンから、彼女の雑談相手になって欲しいと頼まれたのだ。
これで何の気兼ねもなく、彼女と話すことが可能となった。
そして、ようやく向かいの部屋の前に立つと、現実に戻ってきたような感じがした。
(となれば、問題はティニアのほうね)
ティニアは止まってしまう症状から、記憶の混濁という症状に変っていた。
足の怪我での入院だったが、今はそちらがメインになっているだろう。
レオンによれば、何の異常も見られなかったという。
ティニアはどうしてしまったのだろうか。
不安ではないだろうか。
それでも、自分のような存在に傾くことはないのだろうか。
アルベルトなら、それが許されるのだろうか。
様々な思いを胸に、マリアは深呼吸すると、同居人の待つ病室の扉を開けた。
病室では、ティニアが楽しそうにウキウキと無邪気に鉛筆を走らせていた。部屋中に紙という紙が散らばっている。




