表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/111

⑪-7 いざない

 レオンは病室の前で一礼すると、そのまま奥へ下がっていった。

 アルベルトは個室の前まで行き、深く息を吐き出すと、ドアをノックした。


「はぁい」


 気の抜けた返事が返ってくる。

 安堵と共に、込み上げてくるのは愛おしさだ。


「俺だ。入っていいか」

「うん」


 扉を開けると、そこには病棟とは思えない光景が広がっていた。スケッチブックが破かれ、そこら中に臥せっていたのだ。当の病人は元気にスケッチブックを手に、ベッドで胡坐をかいて絵を描き殴っている。


「な、何やって……」

「見ての通り、お絵描きだよ」

「お絵描きって……ああ、もう」


 アルベルトはそのまま屈んで絵を拾い上げていった。部屋は彼女が描いたと思われる絵で溢れている。ティニアの普段通りの姿に、アルベルトは安堵すると同時に抱きしめたくなったが、なんとかそれを堪えた。

 目頭が熱くなるのを感じ、それについてもなんとか堪える。


 スケッチブックの破かれた紙には、動物や景色が書き殴られている。


「凄いな。全部、鉛筆だけでか」

「たまに描かないと、なまっちゃうんだよね」

「たまにって。こういう時くらい、寝てたらいいのに」

「フフン、ボクがおとなしく寝ているとでも?」


 絵を描き殴りながら、目線だけ挙げたティニアはウインクした。アルベルトは拾い上げた絵を全て落としてしまう。


「え、なに」

「いや……」


 キョトンとしているティニアに、アルベルトはヤレヤレとため息をつき、再び絵を拾い上げていった。

 ティニアは何かに気付いたように首を傾げ、口を小さく開いた。そのままアルベルトへ声を掛けようと、スケッチブックから目を見上げた。しかし、真剣に絵を見ていたアルベルトが呟いたことで、彼女の問いかけは消滅する。


「これ、どっかで」

「え?」


 ティニアがアルベルトの方へ身を乗り出したため、ベッドから落ちそうになった。


「危ない! 落ちるから、怪我が治ったからって無理な体勢を取らないでくれ」

「そっちが遠いんじゃん。これはドイツのヴェルニゲローデだよ」

「……ああ、ヴェルニゲローデか。懐かしいな」

「え?」


 アルベルトはベッドの脇へ座ると、興味深そうに絵を指でなぞった。

 ティニアは口を開けたまま、アルベルトを見つめていた。


「母の故郷なんだ」

「お母さまの?」

「母はドイツでメイドをやってたんだ」


 アルベルトはそう言うと、再び絵を指でなぞった。ティニアはそれを見ながら、気恥ずかしそうに視線を逸らした。


「俺を身籠ったことに気付いて、すぐにイタリアへ渡って、俺を産んですぐに死んだ」

「え……」


 顔を上げたティニアは、アルベルトを見上げた。


「……ドイツへ渡ったとき、唯一の形見であった絵葉書がここの、ヴェルニゲローデの写真だった」

「そうなんだ……」

 

 アルベルトは懐かしそうに、絵を指した。ティニアは、その指を目で追った。


「ドイツへ渡った後、偶然だけれど、ここを拠点にしてたんだ。ヴェルニゲローデはどうしてか懐かしく感じてさ。母が持っていた絵葉書でしか見てないのに、可笑しいよな。その後はすぐにベルリンへ渡って、それきりだ……」


 アルベルトの言葉は続かなかった。

 戦場へ行き、全てを捨てて亡命した彼は、母の形見も持てなかったのだろうか。


「……ねえ、ヴェルニゲローデはどうだった?」


 ティニアは前かがみになり、微笑んだ。アルベルトはその反応が嬉しかったのか、手に持った写真をティニアへ近づけた。

 距離の近さに気付き、ティニアは視線を一瞬だけ部屋へ向けた。


「素晴らしかったよ。建物の作りが木造なんだが……って知ってるよな。そう描いているんだから」


 アルベルトは視線をティニアへ向けた。ティニアは微笑みながら、話の続きを待っている。

 視線を逸らした先に合った絵を拾い上げ、アルベルトは記憶に心を寄せた。


「他にも、こっちに噴水があっただろ、そうこの絵だ。銅像もあったな。銅は皆溶かされて、全部消え去ってるんだろうな」

「……うん」

「どうした?」


 しょんぼりとしたティニアはスケッチブックを手放すと、アルベルトの持った絵を指でなぞった。


「僕ね、もうほとんど思い出せないんだ。ずっと昔、ここにいた気がするんだけどね」

「え、ヴェルニゲローデにか?」

「うん。思い出そうとして、書いてるんだ」


 悲しそうに微笑む彼女は、いつものティニアとは違っていた。それでも、微笑むところの無邪気さは変わらない。


「今度、落ち着いたら行ったらいい。時間はこれから、いくらでもあるだろ? マリアや、アドニスなんかと旅行にでも行ってきたらどうだ」

「……孤児院の話、聞いたんだね」


 ティニアは膝を抱えると顔を伏せた。屋根を叩く雨音が激しさを増している。


「……全員の里親が決まりそうなんだってな。良い事じゃないか」

「僕がこんなだから、孤児院も閉めちゃうって」

「皆わかってるよ。みんな知ってるから、お前が努力してたことも、全部」

「…………」

「どうしたんだよ、お前らしくない」

「君さ、僕を抱えて、走ってくれたんだってね」

「ああ。なんだそんなこと」


 アルベルトは頬を指でかいた。


「ありがとう。優しいんだね」


 ティニアは恥ずかしそうに微笑みながら、アルベルトを見上げた。自然を視線が合わさったが、アルベルトは目線を逸らした。


「い、いや。誰だってそうしたさ。お前は慕われている。俺がしなくても、親分がしたさ」

「それでも、君が抱きかかえてきてくれたって聞いてるよ」


 アルベルトはティニアを見ずに、遠くを見つめた。


「お、親分は良い人だ。職人としての技術も高く、何だって豪快に笑って退けちまう。お前がいなきゃ、出会えなかったよ。ありがとうな」


 改めてアルベルトはティニアを見つめたが、ティニアは更に微笑みながら顔を近づけた。一瞬ドキリとしたものの――ティニアの事だから――滅多なことはないだろう。アルベルトはなんとか冷静さを保たせた。


 知ってか知らずか、ティニアはそのままの体勢で首をかしげた。

 金髪の髪が、素肌に揺れる。


「親分のところで、大工の見習いをしているんだってね」

「あ、ああ。親分には良くしてもらっている。飯なんか、奥さんがいつも大盛りで寄こしてな。若いんだから頑張った分を食べてくれって」

「そうか。もう働いていたんだね」

「もう、軍とも関わりはない。……監視はしばらくあるかもしれないが」


 雨音がぽつぽつに代わり、徐々に収まってくるものの、風が轟きを増した。窓はカタカタと音をたて、静まり返った病室に響いた。

 ティニアは顔をあげることは無く、膝を胸へ抱き寄せながら言葉を吐き出した。


「ごめん」

「何で謝るんだ」

「……なんとなく」


 ティニアは思いついたように、顔を思い切って上げると、アルベルトを見据えた。その目線に気付き、アルベルトはティニアを見つめ返した。


「住むところ、決まった? もうホテルじゃないんでしょう。マリアから聞いてるよ」

「いや、まだだ。今は親分さん家に邪魔してるよ」

「……あのさ」

「うん、どうした。改まって」

「えっと……。その……」

「……ああ、物件はミュラーさんに聞いてるよ」



「……笑わない?」

「どうしたんだ。笑わないさ」

  

 雨宿りから耐えかね、飛び立つ鳥達の羽ばたきが音を増した。

 遠くで教会の鐘が鳴り、人々が慌ただしく外へ出てくる。

 いつの間にか、雨は上がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ