⑪-6 診断
レオン医師の手には、シュタイン親分の子分が手渡していた書類があった。マナ看護師は、馴れ馴れしくしている親分を引っ張れて診察室を後にした。
親分のうだる声が響く中、診察室ではアルベルト、アドニス神父が残った。
向かいの医師席に座ったレオンは、書類に目を通していった。
「ふむふむ、なるほど。これはティニアさんの略歴ですが。特に何もなく、健康だったようですね」
「神父である、私のティニアに関する報告書を読まれたのに。まさか親分にも聞いているとは……」
「聞けば、唯一の家族だそうですからね。義理だとしても、少しでも何か判ればと思ったのです。許してください」
苦笑いのレオンだったが、すぐに不安そうなアルベルトへ真面目な顔を向けた。
「足の手術後の経過についてですが」
レオンは書類から視線を二人へ向けた。
「経過は順調です。当初は骨が折れているように思えましたが、レントゲンでは特に異常は見られません。治りが異常に早く、今は僅かな傷痕が見えるだけです。よって、日常生活に支障はないでしょう」
「そうか、よかった……」
アルベルトは安堵したが、アドニスは険しい顔を崩さなかった。
「記憶の混濁についてですが」
レオンは眼鏡を指でかけ直した。
「まるで別人になるかのような症状の原因については、申し訳ありませんが原因は不明です。便宜上、心因性昏迷状態と呼ぶことにしました」
「心因性昏迷状態……」
アルベルト握る指に力を入れた。
何も出来ないのが歯がゆい。
レオンは言葉を続けた。
「庭園や花への言動が多いのですが、彼女の略歴を見る限りそういった情報はありませんでした。動植物、特に花が好きだそうですが、それなら花屋ペラルゴの話題を出すでしょう」
「そうですね」
アドニスも頷いた。疲れた顔のアルベルトは、大きなため息をついた。レオンは眼鏡を整えると、アルベルトを見つめた。
「アル」
「うん?」
「大分疲れているようだが、夜は眠れているのか?」
「……そこそこは」
「君が倒れては……、それでは本末転倒です。薬が必要なら、診察を受けてください」
レオンはそういうと、聴診器に触れた。その言葉に続くように、アドニスも頷く。
「そうですよ。君が倒れても、誰も世話をしないでしょうしね」
「……煩い」
「アル、本当に大丈夫か……?」
「だ、大丈夫だ。それより、ティニアはおかしな病状が出ないなら、問題ないんだな? あいつが元気なら、それでいい。それでいいんだ」
アルベルトは自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
それを横目で見ていたアドニスは、病棟の方に視線を送った。
「先生、病棟に余裕もないのでしょう。であれば、すぐに退院させてください」
「うーん……」
「……足も傷痕があるだけですし、どこも悪くないのですから。それから、午前中はここで調剤の仕事があるでしょう。異変を感じたら、その都度調べてはくれませんか」
レオンは考えるように口元に指を当てると、すぐに頷いた。
「……孤児たちは、母親のような存在が見えなくなり不安でしょうしね」
「ええ。見舞いや手紙なんかも、連日シャトー婦人が届けているそうですし。町の人も、見舞いに来ていたと聞いていますよ」
「ティニアは好かれているからな」
「……それに、もう孤児ではなくなりますから」
アドニスの言葉に、アルベルトとレオンは言葉を揃えた。
「孤児ではなくなる?」
「どういう意味ですか、神父」
「……子供たちの多くは里親が見つかっているのです。情勢が落ち着けば、皆が幸せに巣立ちます」
大雨が鳴り響く中で、レオンが口を開く。
「孤児院を、閉鎖されるおつもりですか」
「……ええ。責任者は私ですからね」
アドニスはそれだけ答えると、窓の向こうの大雨を見つめた。
激しく雨粒が窓ガラスへ当たっては跳ねていく。
雨は留まることを知らないようで、稲光は先ほどよりも音が近くなっていた。
黙り込んでいたアルベルトは、レオンへ視線を送った。
「ティニアが退院できるのであれば、送っていきます。レオン、何時になる?」
アルベルトは自分が見送りたいと言わんばかりに、レオンへ問いかけた。
「今日は無理ですよ。そうですね、明日の午後にでも」
「そうか。感謝するよ、レオン。いやレオン先生、助けてくれて、本当に有難う……。本当に」
「いえいえ。知らない間柄でもありませんからね」
二人の様子を細目で見つめるアドニスは、ぽつりと呟いたがその言葉は外の喧騒によって掻き消されてしまった。
「え。なんて?」
「神父、なんでしょうか?」
アルベルトとレオンが同時に問いかけたが、アドニスははぐらかすだけだった。
「いえ。見知ったばかりとは言え、お二人は仲が宜しいのだと思いまして」
「ああ……お互い、苦労した身の上みたいなんでな」
「そうですか」
「ああ、それから大事なことを。今後あのような症状になった場合についてですが」
レオン医師は改めて二人に向き合うと、傾いてしまった眼鏡を直した。
「あまり否定したりせず、肯定した上で話を逸らしてみてください。否定することで、本人はより錯乱状態に陥ることがあるようですから」
「わかりました」
「……マリアには、私から話しておきます。ティニアにとっては、家族のようなものですから」
「はい、お願いします。アル、面会していくだろう?」
手招きするレオンについていこうと席を立ったアルベルトだったが、アドニスは無言で座り続けていた。
「アドニスは行かないのか?」
「今日のところは、ここで失礼します。先に会ったときには、具合もいいようでしたので」
そう言うと、アドニスは一礼し診療所を後にした。
先を越されていたことを知ったアルベルトだったが、大人しくレオンに案内されていった。




