⑫-2 静かな目覚め
ティナ――レイスが起きている。意識もある。
それだけで、マリアは目頭が熱くなるのを感じ、堪えた。
ティナは無言ではあるが、微笑みながら首を傾げた。目は虚ろいでいて、正気ではなさそうだ。
まるで、マリアのことなど知らないかのように。
これは演技ではない。
何か事情があるのだろう。
深く考えている時間はない。目の前には、何も知らずに首をかしげている医師レオンがいる。
押し黙っているわけにいかず、マリアは言葉を探した。
「ごめんなさい。その……、綺麗な方だから、見とれてしまって……」
ありきたりな言葉が口をついた。
みるみるうちに、マリアは顔が赤くなるのを感じた。
しかし、レオンは納得した様子だった。
「そうですか。申し訳ありませんが、彼女は言葉が話せないようなのです……」
「そ、そうみたいですね。昨日、窓を閉めるのを手伝ったのだけど、その時にこの病室にも来たのよ」
「そうだったのですか」
「その時に、お名前等が書いてあるカードを見たの。注意書きも……。ごめんなさい、良くないことよね」
「いえいえ、窓を閉めるように頼んだのは、マナかアニーでしょうし。患者の個人情報ですので他言は控えてくださいね」
「わかりました」
マリアはそのままティナへ会釈したが、反応はなかった。
いたたまれなくなり、マリアは部屋から立ち去ろうと、ドアノブに手をかけた。
「では、私はこれで……」
「あ、マリアさん…………」
レオンが何かを言いかけたその時だった。
「あ……」
突然ティナが声を上げる。
表情が崩れ、微笑んでいた口元が震えだした。
先ほどまで微笑んでいた表情が消え、無表情に近くなる。
それが素の彼女であることが判るのは、恐らくマリアだけだ。
「えっ!? ……ティナさん、今声を? ……わかりますか?」
「…………ぁ」
ティナは片手で額を抑えながら、もう片方の手で胸を掴んだ。すぐにレオンが駆け寄り、体を支えた。ティナの額からは汗が滲みだし、苦しむように頭を抱えた。
「大丈夫ですよ。ここは診療所です、危険はありません」
「しん、りょー……じょ…………」
「はい。危険はありません。良かった。ティナさんが話した。僕は医師のレオン・ハイムです。わかりますか?」
「……レオン、さん…………」
ティナはマリアと目線を合わせない。彼女の瞳がみるみる輝きを増している。
淡い瞳に、ゆっくりと焦点が戻っていく。
何かで守られていた意識が、解けていくようだ。
ティナは落ち着きを取り戻すと、すぐにレオンに向き合った。驚いた表情をしていたが、すぐに表情は彼女本来の無表情に落ち着いた。
「ここは、診療所で、私は貴方に保護されたと……」
「良かった、話が通じて。君は僕がここに着任する前に、僕の住んでいるイタリアのシチリア島付近の海岸で倒れていたんです」
「……そうですか」
頭を抱えてはいるものの、ティナの受け答えが出来ている。
情報漏洩を恐れ、感情や記憶をロックしていたのだろうか。
『あいつも――レイスも、人間ではない』
眼帯の男の言葉が、頭の中に響いた。
呆然と立ち尽くしているマリアに気付かないまま、レオンはティナへ話しかけた。
「私とともに、汽車を乗り継いでここまで来たのですが、覚えていませんか?」
「ごめんなさい、何も覚えていません」
「……そうですか。勝手に連れてきてしまい、申し訳ありません。イタリアでは、貴女を引き取れるような医療機関がなかったのです」
「いえ、申し訳ありませんでした……」
ティナは深々と頭を垂れ、頭を上げた時に一瞬だけマリアと目があった。
ティナは一瞬だけ瞳孔を震わせた。レオンに気取られぬよう、気を使ったのかすぐに視線を逸らした。
マリアは言葉を飲み込み、無言を貫いていたが、意を決して口を開いた。
「……ティナ、さん。私はマリア、です。向かいの病室へ入るところで、出くわしちゃって。診療所の関係者じゃないのに、ごめんなさい」
マリアは慌てて一礼した。そして、右足の指を上へ上げ、左右に軽く振った。ティナは頷きながら、マリアの動きを確かに見ていた。
「……そうなのですね。マリア、さん。こんな格好で申し訳ありません。……あら、私の髪、こんなに伸びて」
ティナは自分の髪の長さに気付いた。時間の経過を確信したのか、表情が硬くなってしまう。マリアは誤魔化そうとしたわけではなく、素の反応で返した。
「え!? まさか切らないわよね? ……あ、その。凄く綺麗だなって思って、見惚れていたのよ。伸ばしてよ、そのまま!」
咄嗟に反応してしまい、慌てて誤魔化すマリアだったが、すぐにレオンが言葉を重ねた。
「確かに綺麗ですからね。伸ばしてもいいのではないでしょうか」




