⑪-4 萌動
「お前に責任はない」
「え……?」
薄暗い施設で、眼帯の男が静かに響いた。言葉の意味が分からず、マリアは呆然と立ちつくしていた。
男はゆっくりと歩み寄ると、紳士のように胸に手を当てて軽く屈んだ。
「まだ覚醒は程遠いか」
迫る瞳に気を取られていると、男の顔が近づいていたことに気付いた。
「…………」
マリアは後退りしながら頬を赤くした。
キスでも迫られているかのような、ロマンスを感じたわけではない、と頭の中で否定し続けた。
「……ち、近い!」
「近くでなければ、視えないだろう」
男が何を言っているのか、マリアには理解できなかった。
「意味わかんない。……あんたたちはおろか、アウローラの情報もなかったし!」
「そんなことは無い、情報は在る」
「う……、嘘よ。私は何度も調べたわ。……あの子の情報だってなくて」
「…………」
「教えてよ。レイスの居場所を教えたじゃない! アルビノのあの子は、どうしたのよ……!」
マリアは男に迫った。男は微動だにせず、徐に口を開いた。
「……寿命だ。お前に責任はない」
「じ、寿命……?」
まるで、もうこの世にはいないかのような発言だ。
少年はあの時のマリアよりも年下の印象であった。寿命などとは思えない。
信じられなかった。
否――信じたくない。
「だって、あんなに……、幼かったのに……」
「それはお前もだろう」
「……え?」
静寂は鳥肌として、力は足元から崩れ落ちるかのように。
恐ろしいことが起きてしまうかのような、そんな感覚に陥る。
マリアの体は小刻みに震えだした。
「出会ったときのお前は、まだ二歳だったか」
男の声が、部屋に響いた。
「お前がその体で目覚めてからなら、十八年だ」
目の前の男は、何を言っているのだろうか。
「それに、人間でも無い」
マリアは息飲み込み、そして呼吸を忘れた。
全てを忘却したくなるほどだ。
自身の心音が、飛び跳ねて聞こえた。
「……嘘、よ。そんなことない。私は普通の人間だわ!」
何かの悪い冗談だろう。
マリアの叫びのような問いかけに、男は静かに答えた。
「人間はサーチなどしない」
「ッ……」
「人間の身であるのなら、意識体だけで別の場所へ訪れるなど不可能だ。お前は亜空間へ入っただろう。サーチも、実体転送も。普通の人間には出来ない」
「な、にを……言って…………」
「お前も気付いていた筈だ。己の異常さに。お前の心臓は、コアは機械で出来ている。人間ではない証拠だ」
男は、胸に当てた手を静かにゆっくりと下ろした。呆然とするマリアに背を向ける。
男の無防備な背からは、敵意など感じられない。隙を見せているわけではない。
マリアの頬を何かが通り過ぎた。それが涙だとわかるまで、少しの時間を要した。
意味の分からぬ涙が、溢れていく。男はマリアの涙を見ないようにすると、目線を外したまま後ろに手を組んだ。
「だって……。何もわからないし、知らないんだもの…………」
「あいつが――レイスが、何も話さなかった。それだけのことだ。お前のせいじゃない」
マリアは年端も行かない少女のように、泣きながら崩れ落ちた。
足に力が入らない。
涙は、冷たいコンクリートの床に滴り落ちていく。
嗚咽交じりに泣き続けているマリアを横目で見ると、男はゆっくりと振り返った。
「レイスも、人間ではない。あいつがそっちに居るのなら、話を聞け。……素性の知れない、信頼の無い俺から聞くより、ずっといいだろ」
「くっ……グス………………」
薄暗い部屋に、マリアの嗚咽が響く。
マリアが泣き止むまで、男は待った。
男が衝撃的なことを――レイスが人ではないことという発言をしたが、今はまるで頭に入ってこない。
呼吸が少し落ち着いてきたところで、男はしゃがみ込んだ。
まるで、幼い子供を相手しているかのように。
「ここへ来るのは危険だ。もう来るな。前回は俺が警告を与え、光によってお前をスイスへ戻したんだ」
「う…………」
「奴らがこの拠点に戻るとは思えないが、万が一ということがある。まだ、組織を壊滅しきれていないからな」
壊滅できていないとは、どういうことだろうか。
まるで、男が敵組織と戦っているかのような発言であった。
マリアが問い掛けようとした時、先に男が口を開いた。
「それから、あの診療所の医師には気をつけろ」
「……レオンせんせいのこと? どうして……?」
「敵かもしれん。そうであるのなら、俺はお前を壊さなくてはいけなくなる」
息を飲み、言葉の発声を忘れる。そして、忘却していた記憶を、なんとか紡ぎ出した。
奴らの狙いは、マリア自身――。
何故なのかは、男は語ろうとはしないだろう。
ここが危険であることは分かった。
マリアに出来ることは、レイスから話を聞くことだろう。
「レイス、入院中、ティナって名前で、呼ばれていて」
男は黙って腕を組んだ。
込み上げるものが、後から後から溢れ、言い淀む。
「きおく、しょうがいと、げんごで。……しゃべれないみたいなの。わざと、情報ださないようにしてるかも。でも、本当に話せないかも、しれないの……」
涙が溢れ、顔がぐしゃぐしゃになるのを感じた。
吃逆をしながら、必死に話すものの、言葉にならない。
「すごくやせていて、めざめないのかも。ねむったまま、かもで。すいじゃくしていて、だから」
「そうか、衰弱してるのか。わかった。留意しよう」
「…………」
「防音、察知の結界は一時間後に切れる。その前に帰国しろ」
マリアは頷いたものの、それは吃逆と同じになってしまった。改めて頷いたのを確認すると、男は目の前から消え去った。
青白い静寂が周囲を包み込むと、マリアは永世中立国の、住み慣れた自室へと帰還した。
帰ってきたと言う安堵感はなく、涙も途切れることはなかった。
屋根には、依然としてコツコツと雨音が轟き、やがて大雨になった。




