⑪-3 対峙
『動くな』
冷たい音声が再生される。機械仕掛けの音声の再生であり、目の前にいる男の声ではない。
男を見間違えたりはしない。
男の手に握られた拳銃が、僅かな光を反射した。
アウローラの拠点での襲撃者の一人であり、アルビノの少年と共に行動していた男だ。
男はアウローラで出会ったときのように眼帯をしている。何も言葉を発さず、マリアが両手を挙げる事も拒絶する勢いだ。
男は、今もマリアの敵であるはずだ。
「…………」
男は何の言葉も発しない。自動音声のような先ほどの声は、用意された音声なのだろうか。
自分を贄にすれば、何かが引っかかる。
その考えは見事に当たった。
彼ら敵組織の狙いは、マリアなのだから。
「ここは何なの?」
「…………」
「火事でもあったかのような、黒焦げや煤が見えるけれど」
マリアは自らの声の反射によって、空間に二人しかいない事を把握した。
男から熱源反応は感じられないため、マリアは目に見えているものを見つめるしか出来なかった。
いつから男はそこに居たのだろうか。
出会った頃、ラーレであった少女ならば、感情的になり、すぐに飛び掛かっていただろう。
殺意に似た、ピリピリとした圧は、男から発せられている。しかし、男は銃を向けているわけではない。そもそも、攻撃することが目的であれば、動くななどと言わずに仕留めていたであろう。
男の力は、昔と変わらないだろう。それ以上かもしれない。
『何故、ここへ来た』
再び発せられたのは、先ほどと同じ自動音声のようだ。
マリアは笑みを浮かべると、男に言い放った。
「狙われているのは私なのに、どうしてノコノコ出てきたのかっていうこと? ……ああ、心配してくれているのね?」
「何故、俺がお前の心配など」
男の口が動き、声が発せられた。かの昔に聞いた、見た目通りのハスキーな声だ。すぐに言い淀んで息を飲んだ様子の男は、発言に対して不意を突かれたようだ。
それでも、拳銃はマリアに向けられたままだ。
「チッ……」
「随分な態度ね。そっちが勝手に返事しただけじゃない」
「黙れ」
「ふうん。見た目の割に、中身は随分と子供なのね」
今は冗談を言える余裕があった。それが何を意味するのか、マリアにはわからない。
何の音も無い静寂がしばし、場を支配する。
「敵を心配するなんて、どこかのお人好しみたいだけれど」
「五月蠅い」
「……レイスとは、知り合いなの?」
「答えられない」
律儀に返答が返ってくる。考えているのかというレベルの返答の速さに、マリアは悪戯を仕掛けることにした。
まともに戦っても、勝ち目などなかった。間合いなど、男にとっては無意味のだろう。
痛々しいほど、過去で学んだことだ。
「レイスは、今どこにいるの?」
「答えられんと言っているだろう」
男はレイスの所在を知っているのだろうか。知らないとは思えなかった。
過去の口ぶりから、男はレイスと知り合いのように思える。
「私がどこを拠点にしているのかは、知っているんでしょう?」
「だから如何したというんだ、くだらん」
間髪入れずに返答が返ってくる。真面目なところ、律儀なところはレイスに似ているかもしれない。
――となれば、仕掛けるのは今だろう。
「レイスが好きなの?」
マリアの問いに、男は一瞬狼狽えてみせた。
「お前の言う好きとは、恋愛での意味だろう。そんな訳があるか」
拳銃を持つ指に、一瞬だけ力が籠められたようだった。
マリアは呼吸を整えると、男に向かい直した。
「レイスは今、スイスのシュタイン・アム・ラインの診療所に入院しているわ」
「なんだと……?」
「なるほど。知らなかったわけ、か」
「……チッ」
「舌打ちなんて酷いわね。そっちが不意打ちに弱いだけでしょ」
マリアはそう言うと、やれやれと両手を軽く上げた。
昔と違い、男と対話しようと思えたのは、アルビノの少年がいたからだ。
少年は、どうなったのだろうか。
一緒ではないのだろうか。
あの少年の事だ、どこかで隠れてみているとは思えなかった。
アウローラへの襲撃から、何年も経過した。少年は立派な青年に成長していることだろう。
男は目を見開いたまま、無言で立ちつくしている。
止まったかのような男を前に、マリアは先ほどの発言を思い返していた。
「……何、あんた不意打ちに弱いって、気付いてなかったわけ?」
「クソッ……」
殺意に溢れていた過去とは違い、どこか親しみのある男は、居心地が悪そうにしている。
「どうせ戦わないんでしょ。私にも戦う意思はないわ。私に大した武器がない事くらい、わかってるでしょう」
マリアの目は更に暗さに慣れ、男の全身を改めて見ることが出来た。
眼帯の男は昔とさほど変わらないが、昔に比べ少しやつれたようにも見える。
淡い青い光が壁を照らすしており、光は青白く男を映し出した。
男は観念したのか溜息をつくと、銃口を下ろした。
「あれ」
ここでマリアは違和感に気付いた。
「貴方、実体だよね?」
「見ればわかるだろう」
再び溜息をついた相手に対し、マリアは鏡でも見ている感覚に陥る。
「眼帯、そっちだったっけ」
記憶の男の眼帯は、右目に眼帯をしていたように思う。
あれだけ印象に残っている男の容姿を忘れるはずもないが、現実に引っ張られる。
目の前の男は眼帯を左目にしている。鏡でも見ているかのような感覚だ。
「…………」
「言い淀むときが貴方の本音だって、言ったほうがいい?」
「……なんでも構わん。俺の眼はどちらも視える」
「へえ」
男の眼は、金色で透き通るように輝いている。
記憶の通りならば、色はマリアのように金色ではなく、青かったはずだ。
最も、見慣れた青眼をわざわざ記憶しているわけではない。
だからこそ、金眼であるのであれば、印象に残っているはずだとも考えた。
男の瞳は――通路の青白い光の当たり具合によっては緑色にも見て取れる。
ただの記憶違いだったのだろうか。
髪は銀に近い金髪は記憶の通りであり、全てが白かったアルビノの少年とは違っていた。
アルビノの少年の瞳は何色だっただろうか。
この手で、銃弾で貫いてしまった、あの瞳は――。
どうして、少年はこの場にいないのだろうか。
マリアは、ついに一番聞きたい事を問いかけた。
「あの子は……? 一緒にいないの?」
男は視線を落としつつも、マリアを視界に入れたまま表情が強張った。
嫌な予感がした。
「……お前なんかに言いたくはない、とかそういうこと?」
焦りからか、早口になってしまった。
男は短いため息を吐きつつ、静かに前へ歩み寄ると、マリアの目の前までやってきた。
背の高い男は、少し屈んだ。
マリアの金眼を、男の眼が見据える。
男の美しい金眼は、瞳の輪郭はしっかりとした形をしている。
その瞳を、素直に美しいと感じた。




