㊷-1 変
アルベルトは納得していなかった。
ウイルスに侵された機械は、廃棄するしかない。狂っていく機械を止めることは不可能だ。その為にセキュリティーを強化し、対策する他なかった。
「壊す」以外に選択肢がないことは、前世での知識と記憶を思い出せば思い出すほど、アルベルトへ重く圧し掛かった。
物事を分析し、冷静な判断を下してきたティナの前世であるティニアが、爆散する選択肢しか持てなかった。
それが、ウイルスの脅威だ。
上書きされ、記憶のほとんどが書き換わっていく虚しさ、そして恐怖。
全てを抱えた上で、レンはヴェルローラと、黒龍と戦い続けてきた。
その苦しみを終わらせたい気持ちがないわけではない。
マリアもレンも、「壊す」という選択肢を選ぶことしか出来ない。
その現実が、歯がゆいのだ。
「ラウルが前に言っていたわ」
マリアの声は落ち着いていた。
「今のレンは、生きているとは言えないって」
マリアは眠るレンを見つめた。
彼女は——アルビノの少年レンは、あの時で亡くなった。
「レンは『壊れる』のかもしれないけれど、来世の為に一度眠りにつくだけなのよ」
レンの歩んできた軌跡。
マリアとシュタイン・アム・ラインで暮らしたことも。
——全て、泡となった。
上書きされていく中で、彼女がしていたこと。
記憶を第三者に伝え、懐中時計を握りしめ、思い出を取り戻そうとしていたことを、マリアは知っている。
「アルベルトは、生きていかなきゃ。レンが生まれ変わるその時まで。ううん、一緒に生まれ変わって、幸せにならなきゃいけないわ」
アルベルトは、マリアと目線を合わせることは無かった。
「でもその前に、ラウルとやり合わなきゃいけないわね」
「マリア」
「どっちがレンをお嫁さんにするのかって。ああ、レン本人の気持ちが大事だわ。そうよ、レンはどっちが好きなのかしら?」
「マリア!」
早口のマリアは、笑おうとしていた。顔を拭うと、名を呼ぶアルベルトから視線を外した。
「あいつの隣にいるべきなのは、お前もだろ! なんであいつの話に、お前が出てこないんだ」
「だって、私は——」
「お前はお前なんだろ? 自分でそう言っていたじゃないか」
「……私も、生まれ変われるかな? 人に生まれたいの。家族がいて、友達がいて、……恋をしてみたい」
「お前も死なせたくないんだ」
「ふふ、ありがとう」
素直に嬉しかった。
言葉にしないだけで、ティナもそう思ってくれているだろう。
『生きて』
そう言ってくれた、アルビノの少年レンも、きっと目の前で眠るレンも。
「そっか。声に出さなきゃダメなのよね。……成るものも成らないわ。レンが、教えてくれたことなのに……」
物理法則を超える。
ティニアとして生きていたレンの言葉だ。
アルベルトの瞳が、一瞬だけ煌めいたような気がした。レンの言葉を、アルベルトも知っているのだろう。
「私も物理法則を超えられるかしら……」
「超えられるさ。俺が加護を与える。竜として覚醒して、お前が生きられるように祈る」
「それはダメよ。アルベルトの力は、レンとまた出会う時に使わなきゃ」
「……優しさは自己犠牲に過ぎないそうだ。アドニスが言っていた」
「アルベルトは、私をどうしたいのよ。私、困っちゃう」
マリアは笑った。
「アルベルトも優しいから、壊してくれだなんて言えないのは分かってるし、言わないで欲しい」
「ッ……」
「大丈夫。私の決意は固いのよ?」
「酷な役割をさせる」
「ふふふ。生まれ変わったら、大きな借りを返してもらうわよ」
「分かった。必ず、お前の力になるよ」
マリアは頷いた。涙はもう、頬を流れてはいなかった。
二人の話を、ラウルはただ黙って聞いていた。
ラウルの心情は理解出来ない。一人で苦しんでいるのであれば、理解してあげたいと思っていた。ラウルは、ずっと選択していたように感じられた。
マリアを見守っていたのも、手助けしてくれたのも、全てはレンの為なのだろう。
それでも嬉しかったのは事実だ。
「ラウルも」
マリアは、ラウルへ向き合い直した。
「レンの為、レンの為っていうのを改めてね。レンの喜ぶことをしなきゃ」
「それがレンの為だろう。何を言うかと思えば」
「分かってないわね。レンなら、ラウルにだって生きて幸せになって欲しいって思ってるわよ」
ラウルは何も答えなかった。返答など、今更期待していない。
「生きて。私は、アルビノのレンにそう言われたわ。私は今まで、幸せだった。辛いこともあったけど、フローリストになりたいって夢まで描けたわ。本当に楽しかった!」
窓に掛かったカーテンの隙間から、僅かな光が漏れてきた。
森は夕日に染まり、静かな夜を迎えようとしていた。
「だから……。悔いはないわ」
マリアは二人を交互に見つめた。
レンがどちらを選ぶのか、出来ることなら見届けたかった。それだけは悔いとして残っている。言葉にしてみたとはいえ、直ぐに揺らいでしまった。
それがおかしくて、マリアは笑った。
「私、覚醒するわ。黒龍の母として、黒き巫女として——」
二人とも、何も言わなかった。
ラウルだけが、静かに頷いていた。




