㊶-2 微笑みの代償
眠るレンは、小さな寝息を立てていた。マリアはレンと呼吸を合わせていた。
後ろに控えている男二人は、マリアが何をしているのか分からないようだった。
屈んでいたマリアは、ゆっくりと立ち上がった。眼には涙が浮かんでいたのか、振り返った拍子に頬を流れていった。
「ねえラウル。……眼帯外してよ」
マリアは、自分の声が震えていることに気付いた。
ラウルは無言のまま、眼帯に手を掛けた。
紐を外す音だけが部屋に響いていた。
眼帯の奥からは、僅かな光を反射して輝く金色の瞳が現れた。
その瞳は、マリアを見つめていた。
「……きれいな金色の瞳だわ」
マリアの頬を、再び涙が伝っていった。
「ねえ、ラウル。私がレンを壊すには、どうしたらいいの?」
「……今、ここでか」
「うん」
「ま、待ってくれ……!」
アルベルトはマリアではなく、ラウルを見つめながら首を横に振った。
「話を聞く限り、お前が覚醒したら、ラウルが壊すんだろ? そんなことはさせられない。俺が……」
「何言ってるのよ。アルベルトにそんな事させられないわ。大体、アルベルトには無理よ」
「……俺、懐中時計に触れるよ。エーテルに。俺が覚醒する。マリアは、フローリストになるんだろ」
アルベルトは、懐中時計をポケットから取り出した。傷跡の目立つ懐中時計が、きらりと光った。
「今更そんなこと言わないでよ。押し付け合いたいわけじゃないの。それに、庇いたくて言っているんじゃないのよ。……私は運命なんて、今の行動で何でも覆せると思っていた。でもね、抗えないこともあるの」
アルベルトは優しい。そして、黙って聞いているラウルも。
マリアは服の袖で、涙を拭った。
「私は、ヴェルローラから。黒龍から離れた筈だった。でも、離れられていなかった。何年経っても、逃れることは出来ない呪いみたいなものなのよ」
「そんなことはない。ラウルが、ヴェルローラを潰してくれたんだろ?」
「そういうことじゃないのよ。生まれ持って備わった異形の力、そして黒龍という存在が、私に囁くの。お前は、黒の巫女——母なる器なんだって」
「——囁く?」
ラウルは、その言葉に反応した。
「ずっと夢を見ていた。紫がかった空。広い草原。でも、それだけじゃないの。真っ黒で何もない寂しい影……それが、黒龍なんだと思う。黒龍は、ずっと私を視てるのよ」
「……馬鹿な。少なくとも、黒龍はレスティン・フェレスにいるんだ。こんな遠くまで、視るだなんて」
「私は、覚醒してもしなくても、壊れなきゃいけない。そんな気がするの。ただ壊れるだけなら、友として——私がレンを討ちたいの。終わらせてあげたいのよ」
言葉にすれば、成るものも成る。
言葉にしたことで、もう後には引けぬ決断を下したのだという実感が湧いてきた。
マリアは振り返り、眠るレンを見つめた。
ティニアとして、マリアの側に居続けてくれたレン。
本当の彼女は、どんな素顔をしていたのだろうか。
アルビノの少年レンを思い出しながら、彼女の笑顔を想像した。
柔らかく微笑んでいたのだろう。
直ぐにお道化て、周囲の人々の調子を狂わせていたのかもしれない。
お手製のスムージーを用意して、髪を結わう紐を用意してくれて、ブラウスにアイロンをかけてくれて。
一緒に食事に行き、共に笑い、語り合う。
これは作られた日常などではないと、そう彼女に伝えたかった。
マリアはスカートをたくし上げた。足には、ティナのように拳銃が括りつけられていた。
「ろくに整備もしていない拳銃で、レンを撃てるとでも思っているのか?」
「あの船には、色んな設備があったわ。武器や弾薬については、不必要なものとして、製造が禁じられていたそうよ。でも、材料は十分揃っていたわ。乗船していた二人なら、分かるわよね?」
マリアは拳銃を抜き取った。
「マリア……! やめろ!」
「……アルベルト、心配しないで。こんな拳銃で壊せるなら、ラウルは別の人にだって頼んでるわ。それに、アルビノだったレンが言っていたの。僕はそんな拳銃では死なないってね。……教えて。どうしたら彼女を壊せるの?」
「……本気なのか?」
ラウルの言葉には、何の感情も込められていないようだった。
ラウルにとって大事なのは、レンだ。
いつだってそうだった。
レンを救うことが出来たら、少しは見直してくれるだろうか。
「本気よ」
マリアはラウルを見据えた。
ラウルの二つの眼は、マリアをじっと見ていた。
「さあ、教えてラウル。どうすれば、彼女を殺せるのかを」
「……確かに、あの時のレンはまだ精霊に近い存在だった。守護獣の化身に他ならなかったからだ。だが、今のレンは機械人形として、ティニアとして動いている。つまり……」
「コアを狙えってことなのね……」
「そうだ」
ラウルはそう言うと、自らの額を指で軽くつついた。
「……俺と同じく、レンの額にはコアがある。それを撃ち抜けば——」
「ラウル!」
言葉を遮ったアルベルトに対し、ラウルは声を張り上げた。
「これはあんたの問題じゃない!」
「……ッ」
「あんたには無理だ……。ラーレが覚醒すれば、そうすれば——」
ラウルは笑っていた。
微笑みとは程遠い笑みだった。
ラウルが心の底から怒りを露わにしている所を、マリアは何度も目にしてきたつもりだった。
隠せぬほどの殺意を周囲に浴びせながら、どうやって二重スパイをしているのかと思ったほどだ。
彼にとって、剥き出しの殺意など大したものではなかった。
意志とは裏腹に無力な自分への憤り。
様々な感情の揺らぎ、弱み。
それらを、ラウルはずっとしまい込んでいたのだろう。
前世は心許せる仲だったアルベルト、そしてティナという姉機体。レンを合わせた三人を前にすると、ラウルは冷静ではいられなくなるのかもしれない。
その対象者に、自分が含まれていないことを、マリアは寂しく感じた。
ラウルはマリアへ歩み出ると、身体を屈めた。
予想だにしなかった動きだった。
間合いなど、彼にとっては無いに等しいということを、マリアは思い返した。




