㊵-1 それは悲鳴に近く
右目には眼帯、服装は変わっておらず、厚手のコートを羽織っていた。黒地にもかかわらず、コートには血痕が広がっているのが分かるほどだった。
男は暗い洞窟から現れ、自らの額を指さしたまま、マリアを呆然と見つめていた。
「ラウル!」
マリアは叫んだ。
「それ血じゃない……! 怪我は!?」
「フン。返り血だ。俺が怪我など負うものか」
ラウルは、ずっとヴェルローラと闘い続けてきたのだろう。自信のある言い方はしているが、疲れているようにも感じられた。
機械人形である彼から感じる疲労感は、マリアを現実へと引き戻していくようだった。
それは、彼と共にいたであろうレンにも言えることだった。
姿の見えないレンを気にかけつつ、マリアは複雑な気持ちだった。
ヴェルローラは、マリアを含めた多くの命を弄んでいた。今更、憐れだという感情すら湧いてこなかった。
そんな奴らのためにラウルやレンが手を汚さなければならなかったことは、痛みのようにマリアの胸を打った。
ラウルと出会った頃、彼は敵でしかなかった。
ラウルは距離など関係なしに間合いを詰める男であり、恐怖や無力感が勝っていた。
けれど今、彼に抱く感情はあの頃とは正反対だった。
ボロボロになりながらも、懸命に任務を遂行し、自らの罪と向き合ってきた。
男は、機械人形だ。そんな男が、随分と消耗して見えたことは衝撃的だった。
「あんたが強いことは知ってるわ。でも、心配だったのよ。あんたは姉想いで、レン想いで、頑固で、生真面目で……」
マリアの言葉に、ラウルは表情を崩さない。そこへ駆け出してきたのはアルベルトだった。
「ラウル!」
「……その表情。俺のことを思い出したのか」
「やっぱり、……あのラウルなんだな?」
「今更だろう。馬鹿皇子」
「悪かった……。お前を一人にして……」
「ハア!?」
ラウルの表情はあっという間に崩れ、怒りではない感情を剥き出しにした。
「今頃、何ですか! いい加減にして下さいよ。あんたはいつもそうだ!」
「すまない、本当に悪かった…………」
「悪い? 悪いと言えば、あんたは生き返ったとでも?」
ラウルの言葉遣いは乱暴だったが、所々に敬語が混ざっていた。独特の接し方だ。
主従関係であり、友人関係であることを表すかのようだ。
「……そう言われても仕方がない。優しいお前に、惨い事を強いてしまった」
「優しすぎるのはあんたでしょう! 敵に同情して、自害するなんて……」
「何よ、この痴話喧嘩……」
「誰がだ! おいラーレ、黙れ」
「はいはい」
マリアが面白がっているのが気に食わないのか、ラウルは溜息をついた。が、すぐに気持ちを切り替えたのか、アルベルトへ向き直った。ラウルは忠誠を誓うように跪くと、首を垂れた。
「アルブレヒト様。俺は無礼な真似をしました。申し訳ございません。どうか寛大な処罰を」
「な……、やめてくれ。ラウル。俺はもう、ただのアルベルトだ。何でもないだろ。襲撃したのも、俺を煽ったのも、何か事情があってしたことなんだろ?」
「……抜け駆けはしないと約束したのに」
「は?」
それはまるで悪戯をしでかした犬のようだ。ラウルはバツが悪そうに視線を逸らした。
「地球で再会したレンにも、ティニア化したレンにも、何度も告白してしまって……! その上、抱きしめていたなんて」
「お前……。今それ言うところか!」
呆れた顔をしたのは、マリアだけではない。
遠くで見守っているティナは、口元に手を当てた。
「で、ですが……」
「大体なんだよ、診療所の襲撃は!」
「あ、あれはレンがもう暴走していて……。あんたはまだ記憶がなかったから……」
「アイツに触れて、額にキスまで……、しておいて……」
「嫉妬深いあんたなら、衝撃で記憶を取り戻せるかもしれないと思って……」
マリアがアルベルトの腕を引っ張った時、彼は怒りなのか嫉妬なのか分からぬ感情を表情に出していた。ティニア——レンのこととなると、やはりこの男は、ポンコツだ。
「ねえ、ラウルはどうやってここに来たの? ヴェルローラの——アンチ・ニミアゼルに里がバレたら……」
「その心配はなくなった。が、状況が読めていないようだな」
「その通りよ……。説明してよ」
「最後の拠点を潰してきた。もうヴェルローラの拠点は無い。ほぼ壊滅状態だ。まだ息のある者もいるだろうが、何も出来まい。……他のケルンメンシュ達は、俺の指示で避難している。皆、被害者だからな。ヴァルクとコルネリアが良ければ、ここで引き取って欲しい。まだ罪のない子どもばかりなんだ」
「なんですって……!?」
ラウルは思い詰めた表情のまま、静かに立ち上がった。
ケルンメンシュ達は、ラウルの言うように犠牲者だ。戦争や犯罪に加担していたのであれば、その扱いには慎重になる必要があるだろう。
やはり、ラウルは話に聞いていたような人物だった。
全ての行動には理由があったのだ。
ラウルは誰とも視線を合わせぬまま、俯いていた。
「レンは、俺の言葉に耳を貸さなくなった。だからといって、姉さんでもない。レンは壊れてしまった。俺じゃどうにも出来ない。止めることも——」
ラウルの言葉を遮ったのは、離れた場所で静観していたアドニスだった。
「だから言ったでしょう! ラウルもレン様も、何もかも抱え込み過ぎなのです。最初から彼らに相談していれば……」
アドニスは、マリア達に話そうとしていたとでもいうのだろうか。
「アルブレヒト様に、そんな酷いことをさせられるか! 抗えるなら抗うつもりだった!」
ラウルはアルベルトを神妙な面持ちで見据えた。
「……彼女を、レンを愛しているのでしょう?」
「何……?」
「それでも、レンを愛し続けられますか?」
「こんな時に何なんだ! おい、話を逸らすなら……」
「大事なことです!」
ラウルは尚も訴える。
「アルブレヒト様はレンを殺しても、その想いは揺らぎませんか」
アルベルトは何も答えなかった。答えられなかった。
追い打ちをかけるように、ラウルの言葉が悲しき里へ響いていく。
「お願いします、アルブレヒト様。あいつを、どうか殺してやってください……!」
張り詰めた声であった。
水のコポコポとした音だけが響き渡り、湿った里を静寂が包み込んだ——。




