㊳-2 広がっていく距離
マリアは目を閉じた。
レンの笑顔がすぐに浮かんだ。
彼女の口癖や、お道化ていたことを思い返した。
何年も前のことのように感じられたことに、寂しさを覚えた。
そんなレンが怯えていた。やっとの思いで再会を果たしたのにも関わらず。
レンはアルベルトのことが分からないようだった。それがマリアの心には引っかかった。
「……あの時、レンはアルベルトの出身が孤児だってこと、知らなかったみたいなの。あれは演技じゃないと思う。情報を掴めなかったか、あるいは……、あえて調べなかったのかも」
「……確かに、それは妙だな。俺の情報は軍には筒抜けだった。レンやアドニスなら、最初から知っていそうだ」
「その割に、アルベルトのことは理解していたみたいなの。それは、アルベルトの前世を知っていたからなんだとしたら……。レンは、今のアルベルトのことを後から知ったのかもしれないわ」
「ヴェルローラに察知されぬように、あえて俺の情報に触れなかったのかもしれないな」
「そうね。その可能性は高いと思う。……私ね、レンがどういう気持ちで居たのか、この状況をレンならどうするのかを知りたいの。家に泊まりに来たじゃない。その前に、レンとは教会であったのよね? その時のことを聞かせて欲しいわ」
一瞬間があったが、すぐにアルベルトは話し出した。それは迷いか、或いは思い出に浸ったのか。
「確かに、教会に押し掛けたよ。あいつは隠れていたが、ポツダムに、1936年のポツダムに居たのか教えて欲しいと言ったら、出てきてくれたんだ」
「隠れていたということは、明確に接触を避けていたのかもしれないわね」
「ああ」
「それで? その後急に仲良くなって家まで来たわけじゃないんでしょ?」
マリアはアルベルトが詳細に会話を覚えていることに驚きながら、彼の記憶に感謝した。それだけ、大切な出会いだったのであろう。胸が締め付けられるのは、マリアだけではない。
「俺の名前を聞いて、スペルを聞いてきた。スパイじゃないかと疑っていたと思っていたが……」
「そうなんだ。他には?」
「……その」
「なに?」
「いや…………」
アルベルトは気まずそうにマリアを見つめた。
「なに? すぐに口説いちゃったの?」
「……違う」
「なりふり構わずに口説いたのかと思っていたわ」
「……あ、アンナって人が言ってたんだ。ティニアは見た目通りの冷たい印象じゃなく、無邪気に微笑むって。だから、偽って演技をしているのではないかと、ティニアに尋ねたんだ。あいつは冷たくあしらうような素振りをしていたから……」
レンではなく、ティニアという呼び名。
アルベルトにとって、レンはどういう存在なのだろうか。
ヴァルクの言っていたように、自分にとってどういう存在なのかが重要だ。
「あいつは、偽っているのは俺の方だと言ったんだ。ほら、最初の俺は紳士的に振舞っていただろう? だから、本性がバレたんだと思って」
「本性って……?」
「いや、だから紳士的な振舞いが、嘘くさいって。そういうことだ。で、ティニアは探している人じゃないと否定した上で、俺の対応が気持ち悪いからすぐ止めろって……」
アルベルトの話が本当であれば、レンの対応に違和感はない。むしろ、いつものペースの彼女だ。
「あいつに名前を尋ねたら、ティニアだって名乗るから……」
「うーん。レンは、自分自身の姿じゃないから、アルベルトを警戒していたのかな。でも、怯えていた点が引っ掛かるのよね」
マリアの言葉に、アルベルトがすぐに頷く。が、すぐに表情が歪む。
「…………いや、でも……」
その時、控えめなノックの音が部屋へ響いた。
「開けていいぞ」
アルベルトは誰かにそう告げた。
「話し込んでいたから、Iが扉を開けなかったみたいだな」
「何よ、そのアイって?」
「あー。この船のメイン頭脳だよ。普段は扉の開閉の管理から、部屋の照明まで全てを担っている。えーっと、船の脳みそみたいなもので……。いや、今は中に通そう。あとで話すよ」
カシュンと音を立て、ドアが開いた。
ドアの前には、不安そうなヴァルクが立っていた。
「アルベルトさん、起きられましたか」
「どうしたんだ? 後、敬語は無理しなくていいぞ」
「……わかった。皇子のアルブレヒトさんも気さくな人だって、伝え聞いてるよ」
「伝え聞いてることって、他にもあるの?」
「おい、マリア」
ヴァルクの後ろから、ひょっこりと顔を出したのはフリージアだった。白銀の髪は、ツインテールに結われており、大きく揺れた。
「それ、あたしも聞きたいです」
「そうだな、例えば——」
「ヴァルク。なんか用事があったんじゃないのか」
「ああ、用事はこいつが」
「フリージア? どうしたんだ」
フリージアはおずおずと前へ出ると、両手を見せてきた。手のひらには、大切そうに懐中時計が乗っていた。
グリフォンの描かれた、大きな傷の入った懐中時計だ。
「お兄ちゃんのだから、返そうと思ったんです」
「俺も、コルネリアからもらってきた。これも、アルベルトさんに渡しておくよ」
アルベルトの顔が歪んでいく。涙を、泣くのを堪えているのだろう。
「ねえ、アルベルト。確かにこの懐中時計は、レンの持っていたものだと思うわ。改めて見て、どう?」
「……懐中時計は俺が作ったものだ。この世に二つしか存在していない。これは紛れもなく、俺とあいつの懐中時計だ」
アルベルトはそう言うと、懐中時計へ震える手を伸ばした。
何度も躊躇しながら、その懐中時計に触れ、すくい上げた。
「ティニア…………」
アルベルトはレンではなく、ティニアと呼んだ。それに対し、マリアは何も言えなかった。
アルベルトが彼女を何と呼ぼうとも、彼女を呼んでいることに変わりない。
「これは、アルベルトさんが持ってなきゃいけない気がしたんだ」
「……レオン先生が言ってたわね。懐中時計にあるエーテルに触れると、力が戻るかもって」
「手をかざし、俺かあいつのエーテルと同調させることで、懐中時計は開くんだ。ただ持っているだけなら、何も反応しないし、開くこともない」
アルベルトは、レンの懐中時計を見つめた。細かな傷があるものの、そこには年月の長さが感じられた。
レンは大切に持っていたのだろう。
その傷や重みはまるで、レンの心そのものに見えた。
地球へ単身で渡り、自らの死を知り、それでも尚歩き続けた彼女の生涯。
再会を願っていた彼女に突き付けられたのは、アルベルトの前世の死だった。
アスカニア家と共に生きた、その生き様は1882年にその生涯が閉じられるまで、続いていたという。
彼女の生涯と悲しみ、その芯の強さが重く圧し掛かってくるようだった。
アルベルトはその銀の懐中時計を胸へそっと抱き寄せる。その姿はあまりに痛々しい。
人を、誰かを深く愛するということは、こんなにも苦しむことなのだろうか。
マリアはこれまで、誰かを深く愛したことはない。
アルベルトはマリアや子供たちが居るのを憚らず、その懐中時計を優しく抱きしめた。




