㊳-1 貴女を知るために
船の一室でマリアは一人、腕を組んだまま椅子に腰かけていた。
一人になりたかった。
レンのことを考えたかった。
不意に、マリアは天井を見上げた。部屋はどことなく、アウローラの拠点によく似ている。
殺風景な部屋に対し、懐かしささえ覚えた。
その懐かしさの中にある、寂しさ。
マリアは椅子を揺らした。
アドニスはレンを守るためとはいえ、アルベルトを保護したかったように見えた。
例えレンがアルベルトを殺してしまっても、ティニア化したレンが止まるわけではない。
このセシュールの隠れ里が知られるまで、レンのエーテルが尽きるまで、どれほどの時間が残っているのかは分からない。
早く対処しなければならないことだけが、はっきりとしていた。
レンはラウルと共にいる。そして、今もヴェルローラと闘い続けている。
その間にも、レンは自身の魂のエネルギー——エーテルを使っているのだろうか。
本当に時間がない。
焦りと不安は、マリアの思考を鈍らせた。
アルベルトが緋竜に覚醒したとして、リスクは変わらないだろう。アドニスが言うように、彼がレンを壊せるとは思えなかった。
だとするのなら、方法は一つしか無いだろう。
だが、分からないことだらけだ。闇を掴むように動くことで、解決できるとは思えない。
「レンだったらどうするかしら。ううん、レンのことを知らなくちゃ……」
マリアはそう言うと、部屋を後にした。
◇◇◇
ノックをしようとした瞬間、カシュンと軽い音が鳴り自動で扉が開いた。
部屋では、丁度アルベルトが着替えを終えたのか、上着を羽織るところだった。
「ご、ごめんなさい、着替えているときに。ここのドアって、ノックする前に開いちゃうのね……」
「何か開いて困るようなことがあれば、勝手に感知して開かなくなる。カメラがあるわけじゃないがな。もう着替えは済んでたから」
船内の設備のことだろうか。アルベルトの記憶は、殆ど戻っているのかもしれない。
アルベルトの表情には疲れが見て取れ、昨日の食事量も少なかった。昨晩は早くに部屋へ籠ったが、それは眠るためではなかったのだろう。
「アルベルト、ちゃんと眠れているの?」
「ああ、大丈夫だ」
「レオン先生がいるから、眠れないなら診てもらってよね」
アルベルトは顔を上げたが、その視線は落ち着かず、すぐに逸れていった。
「そうだな。……そういえば、フリージアがマリアと寝てみたいと言っていた」
「そうなの?」
「無理だろうか」
「え。……ううん、悪くないわ。そっか。誰かと眠るなんて久しぶりだから。というか、アルベルトはフリージアと寝ていたのね」
自然と笑みが零れたが、アルベルトは口元しか笑っていない。
フリージアは年の割に大人びているように見えた。それは隠れ里に暮らす少年ヴァルクとコルネリアにも言えるだろう。
過酷な環境下が、フリージアたちをそうさせてしまったのだろう。
マリア自身、幼少期はまともとは言えない。
どうして子供にとって、幸せな日々を送ることはこんなにも難しいのか。
「……フリージアも、ヴァルクも、コルネリアも、背伸びしなくていいのにね。一緒に寝たいとか、素直に言ってくれるととても嬉しいもの。寂しかったら寂しいって言って、泣きたかったら泣いて、思いっきり笑える時に備えなきゃだわ」
「そうだな……」
「うーん。というか、アルベルトもそうすべきよね」
アルベルトは前髪をカリカリと掻いた。
「それより、何か用事があって来たんじゃないのか?」
「……うん。もしも辛かったら、止めるから」
「あいつのことか」
「うん。……初めてあの子と会った時のこと、覚えてる?」
「え? ああ……。スイスで、っていうことか」
アルベルトは一瞬だけ苦しげな笑みを浮かべたが、それはすぐに消え去った。
「あれは春だったな。……1945年の教会で」
「待って。五年も前の話なの?」
「そうだが、聞いてないのか……?」
——五年前。
五年前といえば、マリアはどうしていただろうか。
スイスに到着してすぐの頃は、マリアは心の病と足の不調から、寝たきりになっていた時期がある。
ふと、思い返した。
レンと暮らし始めたのは、何年前だっただろうか。
時間の感覚が、鈍くなっているような気がした。
自分のことを考えている余裕などない。
マリアは雑念を振り切った。
「……聞いてないわ。初耳よ」
「そうか。俺は教会——アドニスの教会には、その時初めて行ったんだ。あいつは孤児院で作ったクッキーを売ってたな」
「……ああ。そういえば、そんな時期もあったわね」
「まああいつを見かけたのは、それよりもずっと前だ。あいつがいると知って、教会にいったくらいだしな」
更に前から追いかけていたのか、という言葉をマリアは飲み込んだ。
「俺にも子供が寄ってきて、クッキーを薦められたんだ。それでクッキーを買って、あいつに話しかけようとしたら、いつの間にか居なくなっていた。子供たちが困っていたよ。あの時シャトーさんは居なかったな」
「それ、意図的に避けていたということよね」
「今思えばそうだよな。アドニスが出禁とか言い出すまで、教会に通ってはいたんだが」
「……それでも行くところを見ると、出禁になっても仕方ないかもしれないわね」
「毎日ってわけじゃないぞ」
相変わらず、彼の話は突っ込みどころが多い。
アルベルトは、レンの話をしているのにも関わらず、動揺したようには見えなかった。
彼女との思い出を、彼女との日々を思い返すように、懐かしそうに語っていた。
記憶が戻ったことで、アルベルトの中で何かが変わったのだろうか。
「それが、どうしたんだ」
「アルベルトが誰なのか、当然レンは知っていたわけでしょう? なのに避けるっていうのには、何かあるのかなって」
「……ウイルスのせいじゃないのか?」
「フリージアが言ってたんだけど、レンはティニアの姿でアルベルトと会うのが嫌だったのかもしれないって……」
「怯えて、泣くくらいか? 俺が誰だか分かっていたのなら、俺を殺せっていう命令に抗っていただけかもしれない」
アルベルトの言う通り、レンはただ抗っていたのだろうか。
フリージアの言う通り、姿の違う状態で再会したくなかったのだろうか。
レンはあの時どういう気持ちだったのか。
レンだったら、どう考えていただろうか。
あんなに近くに居たのに、何一つ分からなかった。




