㊲-1 朝の瞬き
その光景は、この世のものとは思えぬほど、美しいと評されるであろう。
青い水面は波紋を、そして泡は螺旋状に渦を描く。それが、セシュールの隠れ里にとっての空だ。
空から注ぐ金色の光は、荒れ果てた大地を淡く照らしていた。
アルビノの少女フリージアは朝日が見えないものかと、苔の生えた岩場から天井に映る空——ボーデン湖の底を眺めていた。
「見えない……」
「だから言ったじゃん。朝日はここからじゃ見えないよ」
ヴァルクという少年がフリージアをからかうように冷たくあしらった。フリージアはむくれるとヴァルクを睨みつけた。
「見えなくても構いません。朝日の下で祈れたらそれでいいので」
フリージアは朝日を思い浮かべ、手を組んだまま祈りを捧げだした。
足場が悪かったのか、フリージアはよろけると、ヴァルクに体を支えられた。
「わわ」
「眼を閉じると、方向感覚がおかしくなるって、レンが言ってたよ」
ヴァルクの言葉に、フリージアは黙り込んだ。
「……レンって呼びにくいのか?」
「うん。私にとっては、ティニア様だから……」
「ふうん。本人が嫌がってる名前で呼びたいなら、仕方ないけど」
「違うもん」
フリージアは更にムッとした表情を浮かべると、ヴァルクを睨みつけた。頬をふくらませた表情は愛らしく、怒っているようには感じられない。
「違うって何が?」
「あたしは、ティナおねえちゃんの前世の名を呼んでいるのではありません。ティニア様を呼んでるから、ティニア様なの」
「ええ? ティナって人の前世がティニアなんだから、ティニアって呼べばティナの前世のことだろ?」
「違います!」
フリージアは更に頬を膨らませる。
「ティニア様だから、ティニア様なの!」
「なんだよ、あだ名みたいなものか?」
「違うのに……。ティニア様はティニア様だもん……」
フリージアの瞳は煌めきを増した。ヴァルクは慌てて少女を宥めだした。
「うわ、悪かったよ。あんたにとって、レンはティニア様なんだろ」
「……分かっているなら、どうして意地悪を言うのですか? ひどいよ、ヴァルクくん」
「わ、悪かったって。だから泣くなよ」
「泣いてません……」
「あんた泣かせたなんて知られたら、アルベルトさんになんて言われるか……」
フリージアは溢れ出そうになる涙を拭った。
「それはアルお兄ちゃんが、皇子だから? それとも、竜だから?」
「そういうわけじゃないよ。ご先祖様は緋竜様を慕って地球を目指した、帰還組なんだ。先祖が信じた人の生まれ変わりを卑下に扱ったら罰が当たるよ」
「罰……」
「昨日話してただろ? 俺たちは、すんげえ昔にレスティン・フェレスからやってきた奴らの末裔だからな」
「……ヴァルクくんが、アルお兄ちゃんを慕ってるわけではないのですね」
「先祖はそうでも、俺はまだ知り合ってそんなに経ってないからな」
ヴァルクはそう言うと、突然黙り込んだ。何かに気付いたように、何度も頷いた。
「ああそうか。あんたがティニア様っていうのと、そんなに変わらないんだな」
「え?」
フリージアは首を傾げた。
「自分にとって、どういう存在かってことなんじゃないのか? あんたにとって、レンはティニア様なんだ。単なる呼び方じゃないってことだろ」
「はい、そうです」
「なるほどなあ。それなら俺にも分かるよ。俺にとっては緋竜アルブレヒト様じゃなくて、ただのアルベルトさんだしな」
「ただのアルベルト……」
「だってそうだろ? レンを困らせてただけにも見えるしな」
「ただのアルベルト…………」
「な、なんだよ。怒ってんのか?」
フリージアは思わず噴き出した。ヴァルクにとって初めて見る笑い顔だった。
「泣いてると思ったら笑いだすし、何なんだよお前!」
「……面白くて。ごめんね、ふふふ」
「何が面白いんだよ。忙しい奴だな」
「ただのアルおにいちゃん、ぷはは!」
「そんな面白いかなあ」
ずっと笑っているフリージアに釣られ、ヴァルクもついに笑い出してしまった。
「俺らにとっては、竜だの皇子だの言われても、アルベルトさんはただのアルベルトさんじゃん!」
「ほんとね! アルおにいちゃんにそう言ってくるよ」
「言えるもんなら……、え? ちょっと待って! それはやめてくれよ!」
フリージアは涙を流しながら笑った。
「身体、支えてくれてありがとう! ヴァルクくん!」
「ああ、うん……」
フリージアは手を振りながら、船へと戻っていった。
一人残されたヴァルクは、首を横に振った。
「何なんだよ! あいつ、可愛く笑うじゃん!」
少年はうな垂れると、大きなため息をついた。そして、ボーデン湖の底である天井を見つめた。
「レンは今頃、どうしているんだろうな……」




