㊱-5 往きつく先
白銀の髪。
白い肌。
金色の瞳。
背の低い、小柄な女性。
彼女がアルビノになったのは、世界を守るために毒を食らったからだ。
記憶に封印を掛けたとしても、彼女の事だけは忘れたくなかった。
いとも簡単に忘れ去り、今日まで来てしまった。
レンはずっと待ち続けていた。その事実が、アルベルトの心を突き刺した。
アルベルトは瞳を赤く光らせ、浅い呼吸を繰り返した。アドニスだけが嗤っていた。
レオンは、アルベルトの手を取った。
「……君を止められるのは、もはやレンだけだった。レンはその身を君に焼かれながら、なんとか君を正気に戻した」
「思い出して下さい。彼女の名を……」
ティナの問いかけに、アルベルトは呟くように言った。
何かが頭の中を駆け巡っていくかのように、その言葉は漏れ出た。
「レン・ケーニヒスベルク……」
彼女の名だ。
レン・ケーニヒスベルク。
彼女はケーニヒスベルク山脈の化身であり、セシュール国の守護獣だ。
アルブレヒトが皇子として生まれ変わったことを知りながら、人として暮らす邪魔をしたくなかった。
そう、彼女は寂しそうに語っていた。
聳え立つケーニヒスベルク山脈。
青紫色の空。
花の咲き乱れる草原。
長い銀髪。
金色の瞳。
草原を嬉しそうに走る、彼女の笑顔。
「あ、ああ……」
アルベルトは涙を溜めていた。
流れ出た涙を、ティナの指がそっとすくい取った。
「……皇子であった、あの時のアルブレヒト様にも、記憶はありませんでした。封印していたわけではなかったため、レンと再会したことで、記憶を思い出されたのです」
「それでも、焼け野原になったフェルド平原を、シャルロッテ庭園を見て、君は罪の大きさを嫌というほど思い知ってしまった」
「同時にアルブレヒト様は、古の時代に地球から連れ帰った人々を地球へ帰還させようと考えました。それが、レンとの約束だったそうです」
何度か浅い呼吸を繰り返すと、アルベルトは言った。
「地球への帰還作戦……」
「そうです。……私の弟であるラウルも、その船に乗船しました」
「ラウル……」
人懐っこい笑みを浮かべる青年だった。
眼帯こそしていないものの、姿形はあのラウルそのものだ。
「そんな……。あいつが、ラウル……?」
アルベルトは記憶を思い出しているようだった。
そんなアルベルトを見つめながら、レオンは静かに頷いた。
「……思い出せた記憶は、断片的なものに過ぎません。……懐中時計に残る、竜としてのエーテルに触れさえすれば、全てを思い出し、力を継承出来るでしょう」
…………………………。
——懐中時計。
緋竜の加護を掛けるだけではなく、長期間でも劣化しないようにと魔法も掛けた。
対で二つ作り、同じ文様を描いた。
何を描いたのかは、自分と彼女しか分からないだろう。
懐中時計を作ったのには、理由があった。
アルブレヒトは、長い旅路となる船へ乗船しなくてはならない。
彼女は酷い火傷を負っていた。
負わせたのは、竜として暴走したアルブレヒト自身だ。
長い間、彼女を待たせることになるが、連れて行くわけにはいかなかった。
彼女は涙を堪えながら、船を見送ってくれた。
哀しそうに微笑む彼女の顔を、忘れていたというのか。
…………………………。
呆然とするアルベルトの瞳は、尚も赤く光っている。
マリアは思い返した。
アルベルトと出会った時、レンは瞳が青色であることに疑問を抱いていたことを。
——赤き緋竜。
その言葉は、マリアにとって初めて聞く言葉だった。
竜という響きに、心の何かが引っかかった。
しかし、それが何であるかは分からない。
押し黙るマリアがぼんやりとしていることに、誰一人として気付く者はいなかった。
アドニスは、アルベルトを睨みつけていた。
「早く懐中時計に触れ、思う存分後悔すればいいのです! そして、罪を抱えるべきだ! 何千年も待たせた、レン様のことを!」
ティナはゆっくりとアルベルトの前へ屈んだ。
「……ティニア化が進行していたレンは——私の躯体を使う以上、ウイルスに侵されている可能性が考えられます」
「何?」
「私が四散したのは、自爆したのは、ウイルスによってとある命令が下っていたからです。その命令は、皇帝令で、貴方を……。アルブレヒト様を、殺せと……」
その場に居る者全てが、息を飲んだ。
「ティニア化していたレンにも、同じように命令が下っている可能性があります」
「なんだって……!?」
ティナの言葉を聞いたヴァルクは、思い出したように呟いた。
「レンは、ずっと何かに抗っているようでした」
「うん。レンお母さんは、記憶が上書きされているだけじゃなくて、何かを怯えていたんです」
「その度に、レンは懐中時計を眺めていました」
アルベルトは、フリージアの持つ懐中時計を見つめた。
今度は覚えがあった。
…………………………。
——戻ってきたら、話したいことがある。
——グリフォンを描いた、二人しかわからない懐中時計を手渡した。
…………………………。
まるで走馬灯のように、記憶が流れ込んでくるかのようだった。
「あ、ああ。レン、レン…………!」
「アルお兄ちゃん!」
「レン、ああレン……。どうして、どうして君を置いていった……」
嗚咽交じりの呼び声は、里の泡に搔き消されていった。
普段は背景の泡音が、大きな音を立てて空へと登って行く。
マリアは目を閉じた。
アルベルトはレスティン・フェレスからやって来た緋竜だった。
そして、マリア自身も関係しているのだろう。紫がかった空の夢を見るのだから。
マリアは、レスティン・フェレスの世界に思いを馳せた——。




