㊱-1 螺旋していく運命①
それは、夢か幻か——。
沈黙は長く感じられた。
ボコボコと立ち上る泡の音が空から零れ、張り詰めた緊張感が空間を満たしていた。
注がれる光によって、様々な色をしたボーデン湖の底。
今が夜なのか、昼なのかも分からない。
天井を見上げたアドニスは、大きな溜息をついた。
「君はレスティン・フェレスで転生を繰り返しながら、長い時を生きていた。そしてある時、とある目的のために、地球へとやって来たのです」
「——俺、が……? いや、そんな筈……。俺は、何も知らない……」
擦れた声。
その反応を見るや、アドニスは大袈裟に首を横に振ると、不気味な笑みを浮かべた。
「レスティン・フェレスは悲劇の星。遠く遠い、異世界です。魔法が当たり前の世界であり、そして高度な機械技術が存在していた——」
「待ってよ! アルベルトは何も知らないって言ってるじゃない!」
「……君は、本当に何も覚えていないのですか? 本当に? 紫の空を覚えているのに——」
「いい加減にしてくれ!」
叫んだのはレオンだった。
レオンはティナの支えを得ながら、アドニスとアルベルトの間へと割って入った。
「アドニスさん……。アルに記憶がないのは、記憶を封印したからではありませんか……?」
「ええ、そうでしょうね」
「無理やり記憶を引っ張り出そうとすれば、魂に亀裂が走ることになる。そうなってしまったら、アルの命がどうなるか……!」
「ははは。彼の魂は、そんな柔ではありませんよ」
レオンの言葉の半分も理解できなかったマリアだったが、言葉の節々から危険であることが推察できた。
レオンの言動からは、彼自身も当事者のように感じられた。
「それでは時間がないのでは? ゲオルクとしての君も、分かっている筈です」
「そ、それは……」
「……なあ、レオン。俺は真実が知りたい。あいつのことも、自分のことも……。俺が一体何だと言うんだ……?」
アルベルトの発言を聞き、アドニスは笑った。
レオンは奥歯を噛み締めると、アルベルトに振り返った。
「……アル。君に何かあれば……」
「俺は大丈夫だ。レオンの分かる範囲で構わない。教えてくれ。俺は何なんだ」
レオンは一拍置くと、避けていたアルベルトと視線を合わせた。
「——君の名はアルブレヒト。それが、君の前世での名です」
——アルブレヒト。
その言葉を聞き、アルベルトは身体を強張らせた。
有り触れた呼び名で、少し古風なだけだ。
何も初めて聞く名では無い。
記憶を混濁させたレンも、『アルブレヒト様』と呼んでいた。
アルベルトの脳裏では、色の反転した映像が駆け巡っていた。
それぞれが一瞬で映し出されては消えていく。
アルブレヒトという名は、まるで、昔から呼ばれていたかのように、アルベルトの心へと沈んだ。
途端にアルベルトの力が抜け、足にしがみ付くフリージアごと、その場に崩れ落ちた。
レンは、アルベルトがアルブレヒトだと、最初から気付いていたのだろうか。
アルブレヒトという名も、彼がレスティン・フェレスから来たことも。
マリアはミランダ達から聞いた話を思い返していた。
もし、アドニスの話と整合するのであれば——。
紫の空は、レスティン・フェレスの世界の象徴なのだろう。
そのレスティン・フェレスから、船が発った。船にはタウ族たちだけではなく、レンの想い人を乗せていたという。
想い人は地球で亡くなり、レンはそれを知らずに待ち続けていた。
——想い人。
そんなにも思い焦がれる存在と再会できたのであれば、レンの反応には違和感がある。
「レンだって、何も言わなかったじゃない……」
マリアはそう呟いた。
アドニスはアルベルトを見下ろしたまま、視線だけをマリアへ向けた。
「人形であろうがなかろうが、ずっと共に暮らしてきた貴女には分かるでしょう? 途方もなく長い時を孤独に過ごし、アルブレヒトとの再会を待ち続けていたのですよ!」
「……ッ! レンの想い人がアルベルトだったなんて、知らなかったのよ……! アルベルトだって、知らなかったことでしょう?」
「想い人? 何を勘違いしているのですか。レン様にとって、アルブレヒトは親友なのですよ?」
アドニスは、アルベルトを怪訝そうに見下ろした。
「レン様が大切にしている懐中時計……。あれは何だと思いますか?」
嫌な予感がした。
フリージアは手に持つ懐中時計を握りしめた。
「あの懐中時計は、対になっています。アルブレヒトが二つ作り、その内の一つをレン様へ贈ったものです。あれは、友情の証なのですよ」
「な……ッ!?」
「……アルベルト。君は何て言いました? レン様が持つ銀の懐中時計を前に!」
アルベルトの顔から、血の気が引いていった。




