2-1 新たな旅の道連れ
兵士たちは港と平原側から挟むように町を襲ったようだった。だけどマナハは入り組んだところが多いから、土地勘のある人間の多くが逃げ延びることができたようだ。私とアーシジルも地味な外套を手に入れて頭まですっぽり隠れて避難民たちに紛れている。
私の赤毛もアーシジルの銀髪も目立ちすぎる。若い女と美少女の組み合わせはどんな危険があるかわからない。早めにこの避難民たちからも離脱しないと、アーシジルにリディナのことも話せない。声を出したら女と子供だとばれてしまう。
黙っているうちに死んでしまうようなことはもう嫌だから、彼に私の知っていることを洗いざらい話すつもりだった。アーシジルは私よりも頭がいいから、私の駄目なところも全部理解するだろう。
マナハの町を襲った兵士たち、町を壊すことに夢中でまだ人々を探したりはしていない。でもこれだけ多くの人が集まっていたら、すぐに気付かれてしまう。
「……ソリス」
背後にいた人間から名を呼ばれた。さっとアーシジルが私と背後の人間の間に入る。私がアーシジルを守りたいのに、最近は守られてしまっている。
「イチ?」
「ああ、お前たちが無事でよかった。だけどこのままじゃ危ない。ここから離れたほうがいい」
アーシジルを潰しそうなほど私に身を寄せて、イチが囁いた。ずっと誰も頼らずに生きてきた彼の、危険を察知する能力は高い。
「イチがいなかったら子供たちはどうするの」
イチは孤児たちの兄のような存在だ。周りを見ても誰も連れていない。だから、彼が近くにいることに気付かなかった。
「あいつらは……。最初に焼かれたんだ、おれたちの家が。おれは町に出ていて、気付くのが遅れた」
両親が、弟が殺されていた光景を思い出した。けだもの達は、弱いものを狙っていく。卑怯で、効率のいいやり方だ。
思わずイチの頭を抱き寄せた。私の身体にはイチから守ろうというようにアーシジルが抱きついていて、三人でぎゅうぎゅうに固まってしまう。
「はは……大丈夫だよ。俺は。戦が起きたらよくあることだ。……ソリス意外に優しいなぁ。まあそういうことで、おれもここにはいたくないんだ。とりあえず一緒に抜けようぜ」
「うん。私は夜目がきくから、夜に」
「わかった。おれも暗闇は得意だ」
幼い頃には無自覚だったアーシジルも、自分の容姿について特殊だと理解している。何もしていなくても美しいのに、いまはリディナに髪の先まで磨かれて光り輝くようだ。まだ幼いからこその、肉感ではない作り物のような美しさだ。
イチの容姿だって悪くない。他人から見られた時に薄汚れて弱そうでは舐められるから、気を付けていると言っていた。最底辺の暮らしを余儀なくされていたのに、己の力だけで生きてきた強さが滲み出ている。だからこそ、彼がいてくれたら心強い。
誰かに頼るつもりはなかったけれど、私だけでは厳しいのは確かだ。大人になればもっと強く自由になると信じていたけれど、今は子供二人だけだった時とは違う危険がある。アーシジルも状況を理解しているから、ものすごく嫌そうにしているけれど黙っている。頭のいい彼が本当に嫌なら徹底的に抵抗するだろう。イチが傍にいることが私たちにとって利にしかならないとわかっているのだ。
私たちは夜になるのを待って抜け出した。
幸いにも月のない夜だった。アーシジルは何も見えないようだったから、私が手を引いて、イチが前に進んだ。
「……獣も魔物も出ないな」
「そうね」
闇は私に優しい。光のない深すぎるほどの闇は、あの洞窟の中と同じように優しい。
私にとって当たり前なことも、イチにとっては異常な事態だったようだ。たしかに、避難民たちも兵士に怯えていてもこちらには逃げていない。人間よりも恐ろしいものが跋扈している荒野だと知っているからだ。
「ソリスには怖い守り神がついているから。イチがおかしなことをしたらすぐに喰われておしまいだよ」
「それってお前のことじゃねぇの」
他人がいなくなったことで、今まで黙っていた反動のようにアーシジルがイチに突っかかっている。元気そうでいいけれど、まだ隠れて行動しているんだから騒ぐのは良くない。
「二人とも、まだ安全かどうかわからないんだから、あんまり騒がないで」
「ごめんなさい、ソリス」
「へーい」
私に叱られたと思ったアーシジルが繋いだ手に力を入れる。
イチは私たちの前を歩いていく。正面から見たらイチに隠れて私とアーシジルは見えないだろう。こんな風に守られて旅をする時が来るなんて、思ってもみなかった。
女だから、どれだけ技術や力をつけようとしても限界がある。女を武器にすればいいのに、嫌だと思ってしまうのも私の駄目なところだ。女扱いされることが悔しいのに、自分で限界だなんて言って。
リディナのような覚悟もない。
「ソリス、だいじょうぶ?」
「どうした?」
リディナのことを思い出したら涙が出てきてしまった。アーシジルのほうが悲しいはずなのに、私が泣いてどうするの。
「街からかなり離れたし、ちょうど隠れられそうな場所もある。休むぞ」
「イチ、大丈夫だから」
「ぼく疲れた。休みたい」
「アー」
「もう歩きたくない!」
アーシジルがごろんと草地に仰向けに転がって、幼子のように手足をバタバタさせる。本当に幼い頃にもこんなことをしなかったから、戸惑いが強い。
「ほら、アーも休みたいって言ってんだから休むぞ。ソリス、荷物よこせ」
「……ん」
嫌になる。二人に気を遣わせて。私が二人を率いているつもりだったのに、二人に守られてしまっているじゃないの。
平原に転がる大岩に身を寄せて息をつくと、街が炎に包まれたことが脳裏に蘇ってきた。親のない孤児たち、娼館のみんな……顔を知っていた人たちはみんな死んでしまった。私は戦うこともできずに、ただ逃げてばかりだ。
「悔しい……。私は何も守れない」
「ソリスは、いつも僕を守ってくれる。イチだって、ソリスと一緒に来たから死なずに済んだ」
「イチは死なないでしょ?」
アーシジルは何を言っているのだろう。イチは目端が利くのだから、一人で逃げることも簡単だろう。私たちと言う足手まといを引き受ける、ただのお人よしだ。誰かを助けて死んだかもしれないということだろうか。
「アー」
「あの時、ソリスに会わなかったら、兵士に向かっていったでしょう?」
「……ああ」
「イチじゃ兵士にすぐ殺されてたよ」
「クソガキ」
「事実だ」
ああ、イチだって仲間たちが殺されたことを何も思わないわけじゃないんだ。私たちを守ることで、復讐心に蓋をしたということか。アーシジルは最初からすべて分かっていた……。
「ソリスは存在が尊いんだから、気にしなくていいんだよ。ソリスがいるから僕たちは生きてる。僕だっていい加減助けになれるよね?」
「……っ、すごく、助かってる」
「嬉しい」
「アー、イチ……ありがと」
耐えられずに、アーシジルの肩口に顔を埋めた。いつの間にかずいぶん大きくなっている。少し前まで私の顔を引き受けられるほどの大きさがなかったのに。
「お前、アー、いいとこ持って行きやがって」
「ソリスに手を出したらどんな手を使ってもちょん切ってやるから」
「えげつねぇ……」
美少女にしか見えないアーシジルが下品な身振りとともに、イチに冷ややかな声で告げるのが可笑しかった。
永遠に私が守るつもりでいたアーシジルに守られようとしていることが、くすぐったくて嬉しかった。