45話 やり直しのウルバス
◇◇◇◇
ウルバスは「せぇのっ!」と自分で気合を入れて、扉に体当たりする。
ドンっと衝撃は肩から背中へ伝わってくるが、びくともしない。
(鍵だけじゃないな、これ)
近衛兵たちは、マリア・リアの指示通り、ウルバスとアルテイシアをこの部屋に閉じ込め、修道院の香油とろうそくを使って火を放った。
当初、火がつけられてもバルコニーから逃げ出せるともくろんでいたが、あろうことかそのバルコニーに通じる壁に火をつけられた。
カーテンが激しく燃え、窓枠に火がつき、壁紙を炎が舐める。
剣で脅され、それを黙って眺めるしかなかったが、近衛が立ち去った瞬間、ウルバスは扉にむかって駆けた。
相変わらず手は拘束されている。
扉を飛び蹴りした。
最初の一撃では、扉がたわんだのだが「押さえろ!」「閉めろ!」と廊下側で近衛たちが必死になっている声が聞こえる。
すぐに二撃目を蹴りつけたのだが、もう扉は動かなくなってしまった。
扉に耳をつけるが、近衛の気配もしない。
ということは、施錠して逃げたのだ。
ウルバスはドアノブを集中的に蹴りつけ、ドアノブがもげた。
それでも扉は動かない。
閂でも仕掛けていきやがったかと、さっきから体当たりを繰り返すが、動きからみて、そうではない。
はあ、と息をつく。
吸い込んだ空気が熱い。煙臭い。
振り返る。
扉と向かいになるバルコニーに通じる観音扉。
すでに赤で埋め尽くされている。
気泡のように盛り上がる炎は、壁伝いに徐々に天井を飲み込み始めていた。
「取れた!」
すぐそばで、場違いに明るい声が上がる。
肩で息をしながら視線を向けた。
向けて、ギョッとする。
「あんた、なにしてんの!」
アリが両手を血まみれにしてガッツボーズをしていたのだ。
「両手が使えるほうがいいかと思いまして!」
彼女がなにかを捨てる。硬質な音がし、炎の色を映して跳ねた。
(鏡?)
とっさに、壁を見る。
装飾用の鏡が一枚、割られていた。その破片で拘束されていた縄を切ったらしい。
当然ナイフのように片刃ではないので、千切る途中で自分の腕も激しく怪我したに違いない。
「待っててください!」
アリは言い、ウルバスに手を伸ばした。
両手を拘束するロープに爪を立てた。
揺すったり引っ張ったり。時に歯で噛みつく。
(……なんとか、この娘だけは助けなくちゃ)
上部だけにとどまっていた白煙が、次第におりてくる。
必死にウルバスの縄をほどこうとするアリも、幾度となくせき込んでいる。
炎が床を侵食するのもすぐだ。
「とれた!」
アリが声を上げる。そしてすぐにせき込んだ。
「ありがとう!」
ウルバスは腕を振って縄を放り出し、手早くベストを脱いだ。
アリは両膝に手をつき、腰をかがめてせき込んでいる。熱いのだろう。ウルバスが渡した上着を脱ごうとするから、彼女の頭にベストをかぶせた。
「上着脱ぐな、火傷する! ベストもかぶってて!」
ついで、シャツを雑に引っ張り出し、背中に手を回す。
ベルトに挿していた短銃は近衛たちに没収されたが、裸にまでされて身体検査されたわけじゃない。腰と背中に密着させ、ベストで隠していた短銃の方には気づかれなかった。
「二度も火事で死ぬのはごめんだ!」
ウルバスは片眼鏡をもぎ取り、トラウザーズのポケットにねじ込む。
そして、短銃で扉の蝶番を撃つ。
激しい音は、室内で火が爆ぜる音に消える。
ウルバスは扉の下部を蹴りつけた。
扉が一枚の板と化し、ゆっくりと室内に向けて倒れてくる。
ウルバスはアリの手を掴んで引き寄せ、舌打ちした。
「余計なもん置きやがって!」
扉が動かないはずだ。
その向こうには、扉より大きな箪笥が立ちふさがっている。
「せーの、で体当たりしましょう!」
アリが言う。
ウルバスはうなずき、「せーの!」と声をかけた。
同時に肩から体当たりする。
手ごたえがあった。
目の前で箪笥が仰向けに倒れていく。
「やった!」
アリが喜んだのもつかの間だ。
盛大にむせる。
ウルバスも肘で口元を覆った。
二階廊下が煙っている。吸った空気に熱がある。
修道院自体が燃えている。
「あいつら……!」
ウルバスは奥歯を噛む。
室内に火をつけただけじゃなく、修道院全体に火を放ったのだ。
(……結局、ぼくは火に飲まれて死ぬのか)
天井を伝っていく白煙を眺め、そんなことを考えた。背後では、ごう、と炎が風を産む音がする。
6年前のあのときのように。
(いや、でも今回はぼくひとりだ)
あのときは、男爵が側にいた。
女を奪われ、屋敷に火を放たれ……。
ふたりとも、燃え盛る屋内で息絶えた。
(やっぱり、ぼくの選択は間違っていなかった)
侯爵は『ミリオシア王に渡す』とあの日言った。
6年前もそうだった。
その女をミリオシア王に渡すのだ、と。
だから、ウルバスは逆を張ったのだ。
この女を欲しがるもうひとりの男《王太子》へ、手渡したのだ。
(きっと男爵はこれで大丈夫。きっともう……)
ほ、と息を吐く。
途端に、熱い空気が肺まで入り、せき込んだ。
「こっちです、ウルバスさん!」
仰向けに倒れた箪笥を踏みつけ、アリが廊下に出る。
手を握っていたはずなのに、いつの間にか、彼女に手を握られていた。
「まだ2階まで火は回っていません! 窓だってあります! いまのうちです!」
彼女の青い目に射すくめられた。
頭からウルバスのベストをかぶり、ぶかぶかの上着を羽織り、その下は寝間着の彼女。
だけどその瞳は高貴な宝石のようで。
瞳の奥では「絶対に死なせない」と強い意志がきらめいている。
「レオハルトさまが来てくれています! 一緒に行くんです!」
ああ、そうだ。
ウルバスの口元に笑みが戻る。
あの狙撃。
近衛を撃った後、自分も撃たれるんじゃないかと思った。
「そうだね。君を男爵のところに返さなきゃ」
ウルバスは言うと、「よいしょ」と箪笥を踏み越え、室内の外に出た。
手をつなぎ、2階の廊下を走る。
まだ火は及んでいないが、煙がひどい。どんどん視界が悪くなる。
「これ、一階は火の海じゃね?」
「出口は必ずあります。なにしろわたし、一度ここを脱走してますから」
そう言ってアリがいたずらっぽく笑う。
ウルバスを励ましているのだと気づいて、なんだか自分が情けなくなってきた。
「まったく、頼もしい限りだよ」
苦笑いし、階段を駆け下りる。
「あっつ!」
1階に下りた瞬間、その温度の違いにうつむいた。
片眼鏡をはずしていて正解だ。あのままだと、加熱で怪我するところだった。
「方向が……煙で」
アリの方は、熱さというより煙にやられているようだ。ゲホゲホと咳を繰り返し、戸惑うように首を巡らせている。
階段を降りてみればさらに煙は濃くなり、しかもすぐそばで火が爆ぜる。
たんぱく質の焦げる匂いがして、ウルバスはうんざりした気分で自分の髪を手で払う。
「地下への抜け道があるんですが」
「どこに」
「うーんと……。教会堂がこっちで」
「あっちじゃない?」
「え、こっちでしょう? だから、正面玄関が……」
言いながら、せき込む。
大きく風が動き、白煙が渦を巻いて上昇したからだ。
とっさにウルバスは片腕で顔を覆う。熱で頬が焦げそうだ。
「アリ! ウルバス!」
そのとき、声が聞こえた。
互いにせき込みながらも、ウルバスとアリは顔を見合わせる。
アリの顔は煤だらけ。きっと自分もそうだろう。
だけど、喜色満面の笑みを浮かべている。
そしてそれは自分も同じだ。
「男爵!」
「レオハルトさま!」
喚き、そしてまたせき込む。
「そこか⁉ 待ってろ!」
声が近づいてくる。
白煙のなかを、長身の影が陽炎のように立ち上る。
レオハルトだ。
ふたりを見つけ、彼は一瞬立ち止まった。
そして安堵したようにとび色の瞳を緩めた。
ウルバスも肩の力が抜けた。
よかった。
彼も、そしてアリも無事だ。
これで。
これでよかった。
(運命が……)
変わった。
そう思ったのに。
レオハルトの顔が瞬時にこわばる。
ウルバスは目をまたたせた。
同時に、雷鳴のような音が耳をつんざく。
顎を上げた。
梁が。
炎をまとった梁が、天井から落ちてくる。




