44話 マリア・リアは命じる
「あなたのせいで、魔境が……」
そう。
この数年、ミリオシア王国は聖女不在の状態だった。
代わりに。
聖モンテーニュ侯国には、まだ聖女の力を宿したままのアルテイシアがいた。
魔獣はその気配に、異変を感じ取ったのだろう。怖気てミリオシア王国に移動した。
だが、ミリオシア王国には、魔獣を倒せる聖騎士もいない。
結果的に。
ミリオシア王国の魔境が広がった。
「きっと、おねえさまは聖女の力を独占しているのよ」
マリア・リアはわずかに目を細め、アルテイシアを見つめた。
「それは歴代聖女から受け継いだもので……。おねえさまはそれを独り占めしているんだわ」
「そんなものは、ありはしない。すべてはあなたの努力不足よ。あなたが手順を踏んで聖女として生活していたら、わたしから……いえ、歴代聖女から、その力は受け継いでいたはず」
「いいえ。おねえさまがわたくしに渡したくないだけ」
マリア・リアは首を横に振り、嫣然と笑った。
「だから、おねえさまの命が潰えたら、わたくしにその聖女の力が継がれるに違いないわ」
アルテイシアは絶句する。
わずかに口を開いたまま、実妹を見つめた。
(まるで違う生き物みたい……)
幼い頃に別れた妹。
愛らしく、ほほえましく。両親や周囲から惜しみない愛情を与えられて育ち、王太子にまで欲された娘。
だが。
「ねぇ、そうでしょう。王太子殿下」
「マリア・リアが言うのならそうだろう」
微笑みあう二人は、魔獣よりも恐ろしい。
「近衛。そう、あなたよ」
マリア・リアはバルコニーの隅で待機する近衛のひとりを指さした。
「この逃亡した偽聖女の首を刎ねなさい」
「え」
さすがの近衛もあっけにとられた顔でマリア・リアを見る。
彼女は美しい笑みを浮かべたままうなずいた。
「首を刎ねるの。その腰の剣は偽物? 違うでしょう?」
近衛はおじけたように一歩退く。そして、助けを求めるように王太子を見た。
「なにをしている。マリア・リアの言う通りに」
だがどこか愉快そうにユーウッド王太子が告げる。
近衛は周囲の同僚にすがるような眼を向ける。
意を汲んだのか。
それとも、王太子の命に背き、罰せられることを気にしたのか。
別の近衛が進み出て、抜刀した。
アルテイシアは身体をこわばらせ、近づいてくる近衛を見る。
「知らないぞ」
ウルバスが唐突に口を開いた。
「ぼくはこのお嬢ちゃんを間近で見てきた。彼女には不思議な力がある。聖女かもしれないのに殺したら、祟られるのはあんただぜ?」
抜刀したものの、近衛は明らかにひるんだ。
「なにをしている。早くしろ」
王太子が舌打ちする。
近衛は大きく息を吸い込み、刀を振り上げた。
曇天の下、刀身がわずかな光を孕んできらめく。
アルテイシアは息を止めた。
同時に、パンっとなにかが破裂するような音がする。目を見開いた瞬間、ウルバスに横から体当たりされ、バルコニーに倒れこんだ。
悲鳴が上がる。
顔を起こした。
刀を振り上げていた近衛の腕から血が噴き出し、痛みにのたうちまわっている。
パンっ。
二度目の破裂音。
地面に横たわるアルテイシアに近づこうとした近衛が吹っ飛んだ。
「狙撃だ!」
アルテイシアを突き飛ばし、自身も床に倒れたままのウルバスが怒鳴る。
「撃たれるぞ!」
ウルバスの言葉はまるで予言のようだ。
倒れた近衛が這う。その数センチ先に火花が散る。
「殿下をお守りしろ!」
「聖女を中に!」
近衛たちは王太子とマリア・リアに覆いかぶさるように護衛すると、屋内へと誘導する。
「その者たちを逃がさないで!」
マリア・リアがアルテイシアをにらみつけて叫ぶ。
「連れてくるのよ! 早く!」
怒鳴られ、近衛がふたり、アルテイシアとウルバスを引き起こす。
その近衛の頬に血が飛ぶ。
的確に狙撃されている。
「ひ……!」
近衛は迸りそうな悲鳴を飲み込み、アルテイシアを盾にした。
「うへぇ……男爵、来たんだぁ……」
同じように盾にされたウルバスが、うんざりした声を漏らす。
「男爵? レオハルトさま?」
盾にされながらも、屋内に引きずられるアルテイシアが尋ねる。
「ほかに誰がいるのさ。こんなに的確に狙撃できる人がさ」
あーあ、とウルバスがため息をもらした。
(レオハルトさまが本当に……?)
助けに、来てくれたのだろうか。
とくり、と心臓が高鳴る。
「早く来い!」
糸杉のほうに視線を向けたが、すぐに近衛たちに囲まれ、修道院の中に連れ込まれた。
「大変です!」
客室に飛び込んできたのは、修道士たちだ。
「この修道院を王立陸軍が取り囲んでいて……!」
「こ、この書筒を投げ込んでまいりました!」
「王立陸軍⁉」
王太子ユーウッドが目を怒らせ、筒缶を奪い取る。
中から丸められた文書を取り出し、確認をした。
「なにが書いてあるのですか?」
マリア・リアがいぶかし気に問う。
「……父上がお怒りらしい」
地面に文書を叩きつけ、靴で踏みにじる。
「数年前の体調不良に、わたしがかかわっているのではないかと。すぐに王城に来て説明せよ、とのことだ」
アルテイシアは目を瞠る。
そう。
アルテイシアが偽聖女と断罪されたあたりのことだ。
急激に王が体調を崩したことがあった。
(あれはまさか……)
王太子が毒を盛ったのか?
追及しようとしたとき、廊下からたくさんの足音が響いてきた。
「なにをしている!」
近衛の一人が扉を開き、廊下に怒鳴る。
アルテイシアも首を伸ばして廊下の様子を伺い見た。
修道士たちが一斉に、逃げているのだ。
近衛兵が修道士を捕まえ、「どうしたのだ」と尋ねる。
「と、投降するようにいま、王立陸軍が呼びかけています! いまなら攻撃はしない、と!」
「大砲が来ております!」
「我々は神に仕える身! あなたがたとはなんの関係もございません!」
そういって腕を振り払い、僧服をひるがえして1階のほうに駆けていく。
「いかがいたしますか、王太子」
さすがに大砲と聞き、近衛兵たちも青ざめている。
「……出るぞ」
ぼそり、とユーウッドが言う。
「いいか。ここには王太子などいなかった。痕跡はひとつも残すな」
「承知しました」
ホッとした表情で近衛たちはうなずき、部屋を出ようとしたのだが。
「待って」
マリア・リアが制した。
「このふたりは閉じ込めて」
細く、しなやかな指でアルテイシアとウルバスを指さす。
「そして火を放って」
にっこりと微笑んだ。




