第13話「逃げることも、強さだ」
第12話まで読んでいただき、ありがとうございます!
「強くなりたい」
そう決意したハヤテに、黒川蓮司が教え始めたのは――
喧嘩に勝つ方法ではありませんでした。
逃げること。
周囲を見ること。
危険を察知すること。
そして、何より生き残ること。
これまでのハヤテは、誰かが傷つけられていれば後先考えずに飛び出していました。
それは橘タクミが昔から持っていた正義感でもあります。
しかし、本当にそれだけで誰かを守れるのでしょうか。
怖いから逃げる。
怖いから考える。
怖いから助けを求める。
それもまた、一つの「強さ」なのかもしれません。
そんなハヤテの身体と心が、少しずつ変わり始めます。
しかし――。
久世龍臣は、その成長さえ楽しむように遠くから見つめていました。
第13話「逃げることも、強さだ」
よろしくお願いします。
翌朝。
午前6時。
河川敷にて。
「…………」
俺はもう、帰りたかった。
「遅えぞ」
黒川蓮司が、腕を組んで立っている。
「昨日も走りましたよね?」
「走った」
「今日もですか?」
「走る」
「…………」
「何その顔」
「人間って毎日走らないと死ぬんですか?」
「逆」
「?」
「走らないと弱いまま」
「…………」
正論。
腹立つ。
俺はジャージ姿で、軽く屈伸する。
昨日の筋肉痛。
太腿、ふくらはぎ、腹。
全部痛い。
「いってぇ……」
「その程度で?」
「32歳の身体ならもっとキツかったな」
「は?」
「何でもないです」
危ない。
最近、油断すると前世の年齢が口から出る。
「今日は」
蓮司が言う。
「ただ走るだけじゃねえ」
「やっと格闘実践ですか?」
「違う」
「じゃあ何ですか?」
「逃げる練習」
「…………」
俺は、数秒黙った。
「それ必要ですか?」
「昨日の話もう忘れたのか?」
「...いや」
「お前」
蓮司が俺を見る。
「勝てない相手に囲まれたらどうする」
「戦う」
「馬鹿」
「即答で罵倒しないでください」
「正解は逃げる」
「…………」
「相手が三人」
「はい」
「一人はナイフ」
「…………」
「一人は鉄パイプ」
「…………」
「一人は素手」
「…………」
「お前ならどうする?」
少し考える。
「ナイフの奴から倒します」
「死にたいの?」
「いや」
「だから逃げろって」
「…………」
蓮司が、ため息をつく。
「天野」
「はい」
「お前さ」
「…………」
「正義感と無謀を同じにすんな」
胸が少し痛い。
「誰か守るために残るのと、何も考えずに突っ込むのは別物だ」
「…………」
「自分が潰れたら」
少し間。
「守れるもんも守れねえ」
その言葉が、昨日より重く聞こえた。
「分かりました」
俺は答えた。
「よし」
蓮司がスマートフォンを取り出し、タイマーをセットする。
「じゃ、俺から逃げろ」
「え?」
蓮司が笑う。
嫌な笑顔だ。
「30秒」
「待ってください」
「29」
「ルール説明は!?」
「28」
「...クソッ!!」
俺は走った。
◇
結果。
あっけなく捕まった。
1分19秒。
「…………」
地面に仰向けになる。
「...無理」
息が苦しい。
「速すぎ」
蓮司は息一つ乱れてない。
「お前遅すぎ」
「俺、最近まで本ばっか読んでた身体なんですけど」
「誰の身体だって?」
「…………」
...本当に。
誰の身体なんだろうな。
「もう一回だ」
「...鬼ですね」
「今度は」
蓮司が指を一本立てる。
「逃げながら周りを見ろ」
「周り?」
「人」
「はい」
「車」
「はい」
「コンビニ」
「はい」
「交番」
「…………」
なるほど。
「ただ逃げるんじゃない、助かる場所へ逃げろ」
蓮司が言う。
俺は少し納得した。
「それなら」
「?」
「学校で教えた方がいいんじゃないですか」
「何を」
「普通に役立つ知識だし」
「俺を何だと思ってんだ」
「暴走族の安全教室」
「殴るぞ」
「それ教えちゃダメでしょ」
蓮司が笑う。
◇
学校にて。
一時間目の授業中。
「天野君」
ミキが小声で話しかけてくる。
「何?」
「眠そう」
「朝から走ってた」
「また?」
「うん」
「黒川さんと?」
「うん」
「…………」
ミキが、少し心配そうな顔をする。
「大丈夫?」
「大丈夫」
言って気づく。
この言葉。
最近、何回使ってる?
本当は大丈夫じゃない時にも、だ。
「……いや」
俺は言い直した。
「結構キツい」
ミキが、少し驚く。
「筋肉痛ヤバい」
「…………」
「走るの向いてない」
ミキが笑った。
「でも続けるんでしょ?」
「ああ」
「どうして?」
分かってる。
その答えは。
「守りたいから」
ミキの目が、少し揺れる。
「誰を?」
「…………」
難しい質問だ。
一人じゃない。
ミナミ。
ミキ。
ユキナ。
ソウタ。
カレン。
メグミ。
そして。
この身体の持ち主。
天野ハヤテ。
「……周りの奴」
俺は答えた。
ミキが小さく笑う。
「天野君らしい」
「どっちの?」
と言ってから。
しまった、と思った。
でも、ミキなら分かる。
「…………」
ミキが、一瞬だけ俺を見る。
そして。
「今の天野君」
そう答えた。
胸が少し、温かくなった。
◇
昼休み。
俺とソウタは屋上手前の階段で、パンを食べている。
「で?」
ソウタが言う。
「何?」
「最近朝何してんの」
「運動」
「...お前が?」
「何その反応」
「天野ハヤテと運動って」
「相性悪い?」
「水と油」
「そこまで?」
「体育で毎回死んでたじゃん」
「マジか」
「マジかってお前」
ソウタが怪しい目で俺を見る。
「本当に記憶飛んでんの?」
「…………」
ドキッ。
「まあ」
俺は誤魔化す。
「色々変わったんだよ」
「事故でもした?」
「...6年前にね」
「それは知ってる」
「…………」
ソウタも知ってる。
当然か。
同じ学校で同じ世代。
「あの事故さ」
俺が聞く。
「何?」
「お前、何か知ってる?」
「いや」
ソウタが、パンを食べながら言う。
「小学校違うし」
「そっか」
「でも」
「?」
「天野って」
ソウタが言う。
「中学入った頃から、体弱いって噂あったよな」
「…………」
「体育も見学多かったし」
「今は?」
「今?」
「今の俺」
ソウタが俺を見る。
「最近むしろ動きすぎ」
「…………」
確かに。
走る。
殴られる。
また走る。
この心臓は本当に、大丈夫なのか?
「病院」
「?」
「一回行った方がいいかもな」
俺が言う。
「自分で言う?」
「健康診断」
「高校生が?」
「いや大事だろ」
ソウタが笑う。
「お前最近やっぱジジくさい」
「…………」
32歳だ。
ジジイではない。
◇
放課後の教室。
「ハヤテ!」
ミナミが俺を呼ぶ。
「何?」
「今日一緒に帰ろ」
「いいよ」
即答。
ミナミは少し驚く。
「何?」
「いや」
「?」
「断られると思ってた」
「…………」
痛い。
俺はそんなに、周りを避けてたか?
「ごめん」
「何で謝るの」
「いや」
俺は鞄を持つ。
「帰ろ」
「うん」
◇
夕陽で赤くなっている街を、二人で歩く。
「そういえば」
ミナミが俺を見る。
「朝走ってるんだって?」
「誰情報?」
「ソウタ」
「早えな」
「何で走ってるの?」
「体力作り」
「喧嘩のため?」
「…………」
鋭い。
「違う」
俺は答える。
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ何」
少し考える。
「逃げるため」
「…………」
ミナミが立ち止まる。
「え?」
俺も立ち止まる。
「黒川さんに教えてもらってる」
「逃げ方?」
「ああ」
「何それ」
「俺も最初そう思った」
ミナミは、少し笑った。
「でも」
俺が言う。
「逃げるのって」
「うん」
「結構大事らしい」
「当たり前じゃん」
「いや」
「?」
「俺」
少し恥ずかしい。
「逃げたら負けだと思ってた」
「…………」
ミナミは真顔になる。
「ハヤテ」
「何」
「前から思ってたけど」
「うん」
「変なところで子供だよね」
「身体は17歳だから」
「何それ」
「何でもない」
ミナミは、また歩きだす。
「私は」
「?」
「逃げてほしいけどね」
「…………」
「喧嘩になったら」
「うん」
「逃げて」
「うん」
「私置いてってもいいから」
「それは無理」
即答する。
ミナミはまた立ち止まる。
「……何で?」
「何でって」
当たり前だ。
「お前置いて逃げれるわけないだろ」
「…………」
ミナミの顔が赤い。
「何?」
「……バカ」
「最近それしか言わんな」
「バカだから」
「酷い」
再び歩きだす。
ただ俺は、気づいていなかった。
少し離れた場所に、一台の車。
その中で俺たちを見ている、男二人に。
◇
夜。
倉庫にて。
久世龍臣がソファに座っている。
目の前に数人。
「黒川が」
久世が、口に咥えた煙草に火をつける。
「天野を鍛えてるって?」
「はい」
「朝から」
「はい」
「律儀だねえ」
久世は笑う。
「蓮司らしい」
男は聞く。
「どうします?」
「何もしなくていい」
「...でも」
「焦るなよ」
久世は煙を吐く。
「人間って」
「?」
「育ってから壊した方が」
口元が笑う。
「面白いんだよ」
沈黙。
「それに」
久世が写真を見る。
ハヤテの隣にミナミが写っている。
「こいつ誰?」
「藤田ミナミです」
「彼女?」
「幼馴染です」
「へえ」
「…………」
少し嫌な空気になる。
「久世さん」
「何」
「一般人は」
「分かってるよ」
久世は笑う。
「手ぇ出さねえよ」
「…………」
その言葉、信用できない。
「ただ」
久世は、写真を指で軽く叩く。
「人間」
「…………」
「守りたいもん増えるほど」
目が冷たい。
「弱くなるからさ」
◇
翌朝。
河川敷。
「今日は」
蓮司は、手袋をしている。
「殴り方を教える」
「おぉ」
「でも、まず」
蓮司は俺の肩を軽く押す。
「受ける」
「...え?」
「殴られる練習」
「待ってください」
「構えろ」
「いや...ちょおまっ」
「構えろ」
「説明――」
拳が飛んでくる。
「うわっ!」
避けれなかった。
「痛っ!」
「今のは軽い」
「嘘だ!」
「マジ」
「殺す気ですか?」
蓮司は真顔になる。
「天野」
「…………」
「殴られることに慣れろとは言わねえ」
「じゃあ」
「怖がれ」
「…………」
意外だ。
「怖いと思え」
「…………」
「痛いと思え」
「…………」
「危ないと思え」
「…………」
「その上で」
蓮司は構える。
「頭止めんな」
俺は少しだけ理解した。
「喧嘩は怖くなると、視野が狭くなる」
「…………」
「相手の拳しか見えなくなる」
「…………」
「でも」
蓮司が後ろを指差す。
「逃げ道、敵の数、武器、全部見ろ」
なるほど。
「強い奴って、怖くないんじゃないんですか」
俺は聞く。
蓮司は笑って言う。
「そんな奴、ただの馬鹿だ」
「…………」
「怖いから考える」
「…………」
「怖いから避ける」
「…………」
「怖いから、生き残る」
ドクン。
生き残る。
また、その言葉。
「……分かりました」
俺は構える。
正直怖い。
逃げたい。
でも、真っ直ぐに蓮司を見る。
「...お願いします!」
蓮司は笑う。
「...その顔だ」
◇
数日間。
走る、転ぶ、立つ。
避ける、ガード。
腹に食う。
痛い。
また、走る。
学校の授業は眠い。
ミナミは怒る。
ユキナは傷見る。
ミキは例の件を調べる。
ソウタは笑う。
そしてまた、河川敷。
少しずつ。
本当に。
少しずつ。
俺の身体は、変わり始めた。
息が、前より続く。
足は前より、動く。
拳は、前より見える。
それでもまだ、弱い。
蓮司には、一発もまともに当たらない。
「遅え」
「くそ!」
「手止めんな!」
「はい!」
拳を避ける。
「お」
「今避けれた!」
「一回で喜ぶな」
「成長してるでしょ!」
「次来るぞ」
「え」
腹に食う。
「ぐっ!」
俺は地面に転がる。
「だから喜ぶなって」
「鬼……」
でも俺は。
少し、楽しかった。
強くなる、というより。
昨日の自分に一つ、勝つ。
それが、嬉しかった。
◇
金曜日の放課後。
俺とソウタ、ミキは校門を出た。
「今日ゲーセン行かね?」
ソウタが言う。
「...俺?」
「お前」
「いいな」
最近、普通の高校生らしいことは何もしてない。
「佐藤もどう?」
ソウタに聞かれ、ミキは少し迷う。
「私は...」
「行こうぜ」
俺が言う。
「調べ物ばっかしてても疲れるだろ」
「…………」
ミキな小さく笑う。
「じゃあ」
三人で歩き出す。
その時、俺のポケットの中のスマートフォンが震える。
取り出して見ると、知らない番号からだ。
「…………」
「天野?」
しばらくその番号を見つめていると、ソウタが聞く。
「誰?」
「知らん」
電話に出る。
「はい」
数秒間、無言。
「もしもし?」
『天野ハヤテ?』
男の声。
知らない。
「そうですけど」
『久世さんが』
心臓が少し、速くなる。
『お前と話したいって』
「...断ります」
即答。
『あ?』
「用ないんで」
電話を切る。
ソウタが聞く。
「誰だった?」
「間違い電話」
嘘だ。
ミキが俺を見る。
気づいてる。
また電話が鳴る。
同じ番号。
無視する。
また鳴る。
無視。
そして、メッセージ。
「…………」
開いてみると、俺の指が止まる。
写真だ。
今日の放課後の俺、ソウタ、ミキの後ろ姿。
「何それ」
ソウタが覗く。
次にメッセージが来る。
『逃げるのは正解』
『でも』
写真がまた送られてくる。
数日前、俺、ミナミが二人で歩いている姿。
血の気が引く。
『自分だけ逃げても意味ないよな』
「…………」
ミキが俺の顔を覗き込む。
「天野君?」
ソウタが言う。
「何だよそれ」
俺は何も、答えられない。
ドクン。
ドクン。
怖い。
今まで、俺だけだった。
狙われてるのは。
そう、思ってた。
でも違う。
こいつら、俺の周りを見てる。
「…………」
蓮司の言葉を思い出す。
『守りたいもん増えるほど』
いや。
それは久世の言葉だと俺はまだ知らない。
ただ、分かった。
逃げるのは簡単、俺一人なら。
でも、もし。
相手が俺じゃなく、周りを狙ったら。
俺のスマートフォンを握る手は、震えてる。
怖い。
でも今。
一番やっちゃいけないこと。
それは一人で動くこと。
俺は、ミナミとの約束を思い出した。
一人ではやらない。
「佐藤、ソウタ」
「何?」
「悪い」
俺は、二人を見る。
「ちょっと」
息を吸う。
「助けてほしい」
二人は驚く。
以前の俺なら、多分。
言わなかった。
ひとりで全部、背負った。
でも蓮司に、教わった。
逃げること。
怖がること。
助けを求めること。
それは弱さじゃない。
「黒川さんに」
俺は言う。
「連絡する」
この時、初めて俺は理解し始めていた。
強くなるっていうのは、一人で全部できるようになることじゃない。
一人では無理だと、認められることも。
きっと、強さの一つなんだ。
第13話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今回、ハヤテが学び始めたのは「勝つための喧嘩」ではなく、「生き残るための強さ」でした。
逃げる。
怖がる。
危険を見る。
助けを求める。
以前の橘タクミなら、「自分が何とかしなければ」と一人で飛び出していたかもしれません。
でも、それでは本当に大切な人を守れない。
そして何より、自分自身が倒れてしまえば、その先はありません。
蓮司の言葉。
『怖いから考える』
『怖いから避ける』
『怖いから生き残る』
ハヤテはまだ弱いです。
走ればすぐに息が上がる。
蓮司の攻撃もほとんど避けられない。
それでも、一日前の自分よりほんの少しだけ前へ進んでいる。
第二章では、そんな小さな成長を積み重ねていきたいと思っています。
そして今回、もう一つ動き始めたのがミナミとの関係。
『私置いてってもいいから』
『それは無理』
本人は何気なく答えていますが――ミナミにとっては、そう簡単に聞き流せる言葉ではなかったようです。
一方で、久世龍臣はハヤテだけを見ているわけではありませんでした。
ミナミ。
ミキ。
ソウタ。
ハヤテの周囲にいる人間まで、少しずつ調べ始めています。
そして届いた写真。
『逃げるのは正解』
『でも』
『自分だけ逃げても意味ないよな』
ここでハヤテが選んだのは、一人で久世のもとへ向かうことではありませんでした。
『ちょっと、助けてほしい』
それはある意味、殴り合いで勝つこと以上に、ハヤテにとって大きな一歩だったのかもしれません。
しかし――。
久世龍臣が本当に欲しいのは、ハヤテとの単純な喧嘩ではありません。
なぜ蓮司は久世をあれほど警戒しているのか。
二人の過去に何があったのか。
そして、久世が所属する巨大な暴走族とは一体どんな集団なのか。
次回、第14話。
ハヤテから写真を見せられた蓮司の表情が変わります。
そしてついに、黒川蓮司の口から――
久世龍臣と暴走族の過去が語られます。
次話も読んでいただけたら嬉しいです。




