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第10話「君の中で生きているもの」

第9話まで読んでいただき、ありがとうございます!


ついに届いた、橘メグミへ繋がる一通のメッセージ。


指定された場所は――


日曜日、午後2時。


名古屋駅・金時計前。


6年前に残してきた妻に、ようやく会えるかもしれない。


そんな期待を胸に、ハヤテは再び名古屋へ向かいます。


しかし、そこで待っていたのはメグミ本人ではなく、彼女の過去を知る一人の女性でした。


そして語られる、橘タクミの死後。


臓器提供。


ハヤテの胸に残る手術痕。


同じ日に起きた二つの事故。


これまで別々に存在していた謎が、少しずつ一つに繋がり始めます。


第一章、最終話。


第10話「君の中で生きているもの」


よろしくお願いします。

日曜日。


午後1時48分。


俺は、名古屋駅にいた。


「…………」


人。


人。


人。


相変わらず多い。


旅行客。


家族連れ。


カップル。


待ち合わせをしている学生。


大きなキャリーケースを引く人。


その人混みの向こう。


俺は、金色に輝く大きな時計を見上げた。


――金時計。


待ち合わせ場所。


午後2時。


あと12分。


「……早く来すぎたな」


いや。


家で待っていられなかっただけだ。


昨夜は、ほとんど眠れなかった。


スマートフォンを見る。


正体不明のアカウント。


最後に届いたメッセージ。


『日曜日、午後2時』


『名古屋駅、金時計前』


『一人で来てください』


それ以降、何を送っても返事はなかった。


「…………」


怪しい。


どう考えても怪しい。


それは分かっている。


それでも来た。


理由は、たった一つ。


橘メグミ。


俺の妻。


6年前。


俺が死んだあと、この世界に残してきた人。


「…………」


金時計の下。


待ち合わせをする人々を、一人ずつ見る。


もしかしたら、メグミ本人が来るかもしれない。


そんな期待を、どうしても捨てきれなかった。


30代。


40代。


女性を見るたび、心臓が跳ねる。


違う。


次。


違う。


「……6年か」


俺の中にあるメグミは、2020年で止まっている。


あの日の朝。


キッチンに立っていた後ろ姿。


少し伸びた髪。


いつもの部屋着。


声もかけずに、俺は家を出た。


あれから6年。


当然、見た目だって変わっている。


髪型も。


服装も。


もしかしたら、雰囲気も。


「俺……」


思わず呟く。


「ちゃんと見つけられんのかな」


いや。


分かる。


絶対に。


何年経ったって。


何十年経ったって。


メグミを見間違えるはずがない。


……多分。


俺は、そう信じたかった。


午後1時55分。


心臓が速い。


1時58分。


スマートフォンを見る。


2時。


「…………」


来ない。


金時計の周辺を見回す。


誰だ。


誰が俺に連絡してきた?


そのとき。


「天野ハヤテ君?」


背後から、女の声がした。


心臓が大きく跳ねた。


振り返る。


「…………」


知らない人だ。


40歳前後だろうか。


肩ほどまでの黒髪。


落ち着いた服装。


俺を警戒するような目で見ている。


メグミではない。


一瞬、分かりやすく落胆してしまった。


「……あなたが?」


「メッセージを送った者です」


女性が言った。


「水野沙織」


「水野……」


記憶を探る。


...知らない。


いや。


待て。


水野?


どこかで――。


「…………」


俺は女性の顔を見つめる。


そして、6年前の記憶。


妻のスマートフォン。


飲み会。


写真。


「……沙織?」


口から、自然に名前が出た。


女性の表情が固まった。


しまった。


「…………」


数秒。


沙織は、何も言わなかった。


「なんで」


声が低くなる。


「なんで私を、そう呼んだの?」


「いや」


「会ったことないよね?」


「…………」


ある。


正確には。


俺――橘タクミは、


この人に会ったことがある。


何度か。


メグミの友人。


昔、家にも来た。


でも。


天野ハヤテは、会ったことがない。


「写真で」


俺は答えた。


「写真?」


「メグミさんの昔の写真で見ました」


苦しい。


「…………」


沙織は、明らかに疑っている。


「そう」


それだけ言う。


そして。


「ここだと人が多いから」


「はい」


「少し移動しましょう」



駅近くのカフェ。


向かい合わせ。


俺と沙織。


高校生と40代くらいの女性。


傍から見れば、何の組み合わせだ。


沙織はコーヒー。


俺はアイスティー。


「それで」


沙織が言った。


「どうしてメグミを探してるの?」


「…………」


予想していた質問。


でも、答えられない。


妻だから。


そんなことは言えない。


「昔……」


俺は言った。


「世話になった人なんです」


「天野君」


「はい」


「あなた17歳でしょ?」


「…………」


「6年前なら11歳」


やっぱり。


そうなるよな。


「メグミとは、どこで知り合ったの?」


「…………」


答えられない。


「何で家を知ってたの?」


「…………」


「昔の勤務先まで調べてた」


「なんでそれを」


「あなた」


沙織が俺を見る。


「結構あちこちに連絡したでしょ」


「……はい」


ここ数日。


手掛かりになりそうな古いSNS。


昔の知人と思われるアカウント。


何件か、メッセージを送っていた。


返事なんてほとんど来なかった。


「そのうちの一人が私の知り合いだった」


「なるほど」


それで、俺のことを知ったのか。


「普通なら」


沙織が言う。


「無視した」


「…………」


「知らない高校生が、友達の住所を探してるんだから」


そりゃそうだ。


「むしろ警察に相談しようと思った」


「すみません」


「でも」


沙織がスマートフォンを取り出す。


「あなたのメッセージ」


画面を見せつけられる。


俺が送った文章。


『橘メグミさんが現在元気にしているかだけでも知りたいです』


『迷惑をかけるつもりはありません』


『直接会えなくても構いません』


『生きていることが分かればそれでいいです』


「これ読んで、少し気になった」


沙織が言った。


「…………」


「高校生が書く文章に見えなかった」


「それで今日呼んだんですか?」


「そう」


沙織はコーヒーを一口飲む。


そして。


「最初に答えるね」


俺の身体が、僅かに前へ出る。


「メグミは」


一瞬、時間が止まる。


「生きてる」


「…………」


音が、消えた気がした。


店内の声。


食器の音。


音楽。


全部が遠くなる。


「……本当に?」


自分の声が、震えていた。


「本当」


「元気……なんですか?」


沙織は、少し迷った。


「今はね」


今は。


その言葉が、引っかかった。


「今は?」


「…………」


「6年前」


沙織の表情が変わる。


「タクミさんが亡くなったあと」


俺の名前。


久しぶりに、他人の口から聞いた。


『橘タクミ』


それが、俺の名前だった。


「メグミは、かなり酷い状態だった」


「…………」


「ほとんど食べない」


「……はい」


「眠れない」


「…………」


「仕事にも行けなくなった」


胸が痛い。


俺は、何も知らなかった。


当たり前だ。


死んでいたんだから。


「ずっと」


沙織が続ける。


「自分を責めてた」


「なんで」


思わず聞いた。


「メグミが悪いことなんて――」


沙織の目が、鋭く俺を見る。


しまった。


「……なんで、そう思うの?」


「…………」


「あなた」


沙織が、ゆっくり言う。


「タクミさんとメグミの関係を、どこまで知ってるの?」


「…………」


俺は答えられない。


「二人は...」


沙織が言う。


「亡くなる前、夫婦仲良くなかったの」


「……知ってます」


「どうして?」


「…………」


「そんなこと、外の人間はほとんど知らない」


まずい。


言えば言うほど。


「メグミから……」


「あなたが11歳のとき?」


「…………」


駄目だ。


無理がある。


沙織は、俺をじっと見ている。


「天野君」


「はい」


「あなた、何者?」


「…………」


俺は、拳を握った。


言うか?


俺は橘タクミです。


6年前、交通事故で死にました。


気づいたら高校生になってました。


信じるわけがない。


「……すみません」


それしか言えなかった。


「今は言えません」


「今は?」


「でも」


俺は顔を上げた。


「メグミさんに危害を加えるつもりは、絶対にありません」


「…………」


「それだけは信じてください」


沙織は、しばらく俺を見ていた。


「あなた」


沙織が口を開き、少し間を置いて言う。


「メグミを見るときのタクミさんと、同じ目するね」


「…………」


一瞬、心臓の鼓動が大きく聞こえる。


ドクン。


「...そんなわけないか」


沙織が、自嘲するように笑った。


「ごめん。変なこと言った」


「…………」


俺は、何も言えなかった。



少ししてから。


俺は聞いた。


「メグミさんは今も、名古屋に?」


「いる」


やっぱり。


「どこですか?」


「それは言えない」


「…………」


「本人の許可なしに、住所を教える気はない」


正しい。


分かってる。


でも。


「一度だけ」


俺は言った。


「会わせてもらえませんか」


「無理」


即答。


「どうして」


「だから」


沙織が少し強い口調になる。


「あなたが何者か分からないから」


「…………」


「昔の家を調べて」


「…………」


「会社も調べて」


「…………」


「私たちしか知らないようなことまで知ってる」


反論できない。


「怖いの」


「……ですよね」


分かってる。


立場が逆なら、俺だって怖い。


「でも」


沙織が言う。


「一つだけ」


「?」


「あなたが本当に、悪意なくメグミのことを調べてるなら」


「はい」


「知っておいた方がいいことがある」


空気が変わった。


「何ですか?」


沙織が、ゆっくりコーヒーカップを置く。


「タクミさんが亡くなった夜」


「…………」


「私も病院にいた」


俺は、息を止めた。



6年前。


2020年9月16日。


俺は、車に撥ねられた。


救急搬送。


そして...死亡。


俺が覚えているのは、道路まで。


その先を、俺は知らない。


「病院からメグミに連絡が入って」


沙織が言う。


「私にも電話が来た」


「……はい」


「一人じゃ無理って」


俺の手が、震える。


メグミ。


「病院に着いたとき」


「…………」


「タクミさんは、もう意識がなかった」


聞きたくない。


でも、聞かなきゃいけない。


「先生から説明されて」


沙織の声も、少しずつ震えていく。


「助からない可能性が高いって」


「…………」


「メグミ、ずっと手握ってた」


俺は、テーブルの下で拳を握った。


何も感じなかった。


俺は何も知らなかった。


「それで」


沙織が言う。


「亡くなったあと」


少し間。


「病院から、ある話をされた」


嫌な予感。


いや。


もう。


分かってしまった。


ドクン。


「……臓器提供」


俺が言った。


沙織の目が、大きくなる。


「どうして」


「…………」


「どうして知ってるの?」


「…………」


「天野君?」


沙織を見る。


「タクミさんは」


俺の声が、震える。


「ドナーだったんですよね」


長い沈黙。


そして、沙織が頷いた。


「……そう」


――ドクン。


心臓が。


また異様に強く鳴った。


「タクミさん」


沙織が言う。


「生前、臓器提供の意思表示してたの」


「…………」


知らなかった。


いや。


正確には、忘れていた。


昔。


免許証。


保険証。


何かで、意思表示をした記憶。


深く考えたことなんてなかった。


「でも」


沙織が言う。


「最終的に話を聞いて、その意思を尊重したのは」


「…………」


「メグミ」


俺の呼吸が止まりそうになる。


「メグミ……が?」


「うん」


「…………」


「最初は、嫌だって言った」


胸が...痛い。


「身体までなくなるみたいで嫌だって」


「…………」


「でも先生に」


沙織が、言葉を選びながら続ける。


「タクミさんの臓器で、助かる可能性のある人がいるって説明されて」


「…………」


「ずっと泣いてた」


俺は、何も言えない。


「最後にメグミが言ったの」


沙織を見る。


「何て?」


沙織は、少しだけ笑った。


悲しい笑顔。


「この人なら、そうすると思いますって」


「…………」


視界が、滲んだ。


やめろ。


泣くな。


「曲がったことが嫌いで」


沙織が続ける。


「困ってる人を見ると、放っておけなくて」


「…………」


「メグミは、何度もそう言ってた」


俺のことだ。


「だから」


沙織の声が、震える。


「タクミさんの心臓も」


――ドクン。


「肝臓も」


――ドクン。


「腎臓も」


――ドクン。


「いくつかの臓器が」


俺は無意識に。


自分の胸を押さえていた。


「別の人のところへ行った」


「…………」


ドクン。


ドクン。


ドクン。


音が、うるさい。


偶然。


そんなわけない。


俺が死んだ日。


天野ハヤテが事故に遭った日。


11歳。


胸部重傷。


臓器移植。


心臓。


俺の心臓。


「…………!」


胸が、苦しい。


「天野君?」


沙織の声。


遠い。


『ドナーが見つかりました』


記憶が蘇る。


白い天井。


泣いている、


ハヤテの母親。


『心臓が――』


機械音。


そして。


俺の事故。


道路。


血。


二つの光景。


別々だったものが。


「……まさか」


繋がる。


「天野君?」


「すみません」


俺は、立ち上がった。


「ちょっと……トイレ」


「顔真っ青だよ?」


「大丈夫です」


大丈夫じゃない。



洗面台。


俺は、鏡の前に立っていた。


天野ハヤテ。


17歳。


知らない少年。


俺は、制服の胸元を掴む。


その下に傷。


「…………」


心臓。


俺は、恐る恐る胸へ手を当てる。


ドクン。


ドクン。


「これ……」


そんな。


ありえるか?


転生。


ずっと。


そう思っていた。


俺は死んだ。


魂が、この高校生の身体へ入った。


そう思っていた。


でも。


もし。


違うなら?


俺は。


天野ハヤテの身体に、転生したんじゃない。


俺の――


「心臓……?」


6年前。


橘タクミの身体から取り出された心臓。


それが。


11歳の天野ハヤテへ移植されていたとしたら。


じゃあ。


6年間。


この心臓は。


ハヤテの中で。


ずっと。


「生きてた……?」


鏡の中の少年を見る。


「じゃあ」


俺は。


誰だ?


橘タクミ?


天野ハヤテ?


それとも。


「…………」


吐き気がする。


頭がおかしくなりそうだった。


いや。


待て。


まだ確定じゃない。


ドナーは複数いる。


同じ日だからって。


俺の心臓とは限らない。


証拠がない。


「落ち着け」


自分に言う。


「まだ……分かんねえ」


でも、胸は。


答えを知っているように。


ドクン。


ドクン。


鳴り続けていた。



席へ戻る。


沙織は、心配そうに俺を見ていた。


「本当に大丈夫?」


「はい」


俺は座る。


「すみません」


「病院行く?」


「大丈夫です」


今病院なんか行ったら、別の意味で入院させられそうだ。


「水野さん」


「何?」


「一つだけ」


俺は聞いた。


「提供された心臓」


「…………」


「誰に移植されたか、知ってますか?」


「知らない」


即答。


「やっぱり」


「教えてもらえない」


「年齢とか」


「…………」


沙織は、


少し考えた。


「当時」


俺の身体に、緊張が走る。


「詳しくは聞いてないけど」


「はい」


「後から、移植が成功したって連絡はあった」


「……成功」


「うん」


「それだけ?」


「それだけ」


分からない。


でも。


一つだけ。


俺の中にある心臓は。


6年前、誰かから貰ったもの。


そして。


橘タクミの心臓も。


6年前、誰かに移植された。


「…………」


沙織が俺を見る。


「天野君」


「はい」


「さっきから」


視線が俺の胸に向く。


「どうして、ずっと胸押さえてるの?」


「…………」


手を離す。


「癖です」


「嘘」


「…………」


鋭い。


「あなた」


沙織が言う。


「何か知ってるでしょ」


「…………」


「タクミさんの臓器提供と、あなたに何の関係があるの?」


答えられない。


まだ。


自分でも。


「すみません」


俺は頭を下げた。


「今は」


「またそれ?」


「いつか」


俺は、沙織を見る。


「ちゃんと話します」


「…………」


「だからその時まで...」


一度、息を吸う。


「メグミさんには、俺のことを言わないでもらえませんか」


沙織の眉が動く。


「どうして?」


「怖いから」


「何が?」


「会うのが」


本音だった。


さっきまでは、会いたくて仕方なかった。


でも、今。


怖い。


もし。


この心臓が、本当に俺のものだったら。


俺は。


メグミの前に、何者として立てばいい?


夫?


高校生?


臓器を貰った少年?


「…………」


沙織は、しばらく俺を見つめた。


「分かった」


「え?」


「今は言わない」


「ありがとうございます」


「ただし」


「はい」


「次に会うときは」


沙織が、真剣な目で俺を見る。


「あなたが何者なのか」


「…………」


「ちゃんと教えて」


俺は、ゆっくり頷いた。


「……はい」



店を出る。


名古屋駅。


人混み。


数時間前と、何も変わっていない。


でも。


俺の世界は、完全に変わっていた。


金時計を見上げる。


「メグミ……」


生きている。


それが分かった。


本当なら。


喜ぶだけのはずだった。


なのに。


それ以上に。


大きな謎が、俺の中に生まれてしまった。


俺が死んだあと。


メグミは、俺の臓器提供を受け入れた。


そして。


その心臓は、誰かの中で生き続けた。


俺は、胸に手を当てる。


「…………」


その誰かが。


俺だったら?


いや。


天野ハヤテだったら?


「……意味わかんねえよ」


空を見上げる。


泣きそうだった。


笑いそうでもあった。


何なんだ。


この人生。


いや。


これは、本当に...俺の人生なのか?



同じ頃。


岐阜市内。


佐藤ミキは、自宅の机に座っていた。


パソコンの画面に表示されているのは、6年前の記事。


何度も。


何度も。


見返していた。


「…………」


名古屋市。


交通事故。


死亡。


橘タクミ、32歳。


そして。


臓器提供。


心臓。


移植先。


東海地方在住、11歳男児。


別の記事。


岐阜市。


同日。


乗用車同士の事故。


11歳男児、意識不明の重体。


胸部に重傷。


そして。


長期入院。


「…………」


偶然。


偶然。


偶然。


何度そう考えても。


無理がある。


ミキは、ノートに書く。


『橘タクミ 死亡』


矢印。


『心臓提供』


矢印。


『11歳男児』


矢印。


『天野ハヤテ?』


「…………」


ここまでは、


説明できる。


移植。


医学。


現実。


でも、次。


ミキのペンが止まる。


2026年9月16日


その日。


天野ハヤテが、突然変わった。


性格。


話し方。


仕草。


そして、名古屋へ行った。


6年前の知り合いを探すために。


「…………」


ありえない。


移植した心臓に、人間の記憶が残る?


そんな。


漫画みたいな。


でも。


ミキは検索する。


心臓移植。


人格変化。


記憶。


いくつもの記事。


医学的に証明されていない。


体験談。


嗜好が変わった。


性格が変わった。


知らない記憶。


科学的根拠は乏しい。


「……そんなの」


ミキは、画面を閉じようとする。


でも。


指が止まる。


もし。


もしも。


今の天野ハヤテが。


「…………」


ミキは、以前のハヤテを思い出す。


静か。


臆病。


人と目を合わせない。


そして。


今。


困っている人を放っておけない。


大人びている。


時々、高校生ではないような言葉を使う。


そして。


名古屋で誰かを探している。


「橘……タクミ」


名前を口にする。


背筋が、ぞくりとした。


そのとき、スマートフォンの通知が鳴る。


メッセージ。


ハヤテからだ。


『佐藤』


ミキの心臓が跳ねた。


『明日、話したいことがある』


「…………」


続いて。


『6年前の事故のこと』


ミキは、画面を見つめる。


そして、ゆっくり返信する。


『分かった』


送信。


少し迷ってから。


もう一つ。


『私も、話したいことがある』


既読。


ハヤテから。


『何か分かった?』


ミキは、ノートを見る。


橘タクミ。


心臓。


天野ハヤテ。


「…………」


返信。


『うん』


そして。


少し迷い。


『多分、すごく大事なこと』


送信。


ミキは、胸騒ぎを感じていた。


明日。


今まで、決して繋がるはずのなかった二つの人生が。


初めて。


同じ机の上に、並ぶ。



その頃。


岐阜市郊外。


人気のない倉庫。


薄暗い照明。


煙草の煙。


何人もの男。


そして。


床には、一人の少年が座らされていた。


俺があの時倒した不良の一人。


頬は腫れ。


怯えた目で、目の前の男を見る。


「……で?」


男が言った。


低い。


静かな声。


「5人で行って」


「…………」


「高校二年のガキ一人に負けた?」


「す……すみません」


男が笑う。


「謝るなよ」


「…………」


「別に怒ってねえから」


そう言って。


煙草を灰皿へ押しつける。


20代前半。


整った顔。


だが。


目だけが、異様に冷たい。


男の名前は。


久世龍臣。


「名前」


「え?」


「そいつ」


「…………」


「高校生」


「天野……」


男が震える声で答える。


「天野ハヤテです」


「天野ハヤテ」


久世が、その名前を繰り返す。


「へえ」


少し笑う。


「面白えじゃん」


「…………」


「黒川も」


久世が言う。


「そいつに会ったんだって?」


「はい」


「カレンも絡んでる」


「……はい」


久世の笑みが、少し深くなる。


「どんな奴?」


「え?」


「天野ハヤテ」


「…………」


「強いの?」


男は、少し考えてから。


「いや」


答えた。


「……強くはないです」


久世の眉が動く。


「じゃあなんで負けた?」


「何回殴っても」


男の声が、震える。


「立つんです」


「…………」


「普通なら逃げるのに」


「…………」


「あいつ……」


男は、あの日の俺を思い出す。


「怖がってたのに」


「…………」


「ずっと立ち向かってきたんです」


久世は、しばらく何も言わなかった。


そして、楽しそうに笑った。


「それ」


「え?」


「一番面白いタイプじゃん」


立ち上がる。


「久世さん?」


「会ってみたいな」


「…………」


「天野ハヤテ」


男が、倉庫の出口を見る。


「正義の味方ごっこしてる高校生が」


その目に、冷たい光。


「どこまで殴ったら」


口元が歪む。


「逃げるようになるのか」



帰りの電車。


名古屋から。


岐阜へ。


俺は、窓の外を眺めていた。


6年前。


橘タクミは死んだ。


その身体から、


臓器が提供された。


同じ日。


天野ハヤテは、死にかけた。


そして。


大きな手術を受けて、生き残った。


6年後。


俺は、天野ハヤテとして目を覚ました。


「…………」


転生。


ずっと。


そう思っていた。


でも。


本当にそうなのか?


もし、この胸の中で鳴っている心臓が。


6年前まで。


橘タクミの胸の中にあったものだとしたら。


俺は。


生まれ変わったんじゃない。


ただ。


ここに残っていただけなのか?


ドクン。


ドクン。


心臓が鳴る。


俺は、胸に手を当てた。


「なあ……」


誰に話しかけているのか。


自分でも分からない。


「天野ハヤテ」


この身体の持ち主。


「お前は」


一体。


どこにいる?


そして。


俺は。


橘タクミは。


一体。


何なんだ?


窓に映る、17歳の少年。


でも。


その胸の奥には。


6年前に死んだ、32歳の男の心臓が。


もしかしたら。


今も、動いている。


「…………」


妻は生きていた。


橘メグミは。


今も、この世界にいる。


だから。


いつか、必ず会う。


でも。


その前に。


知らなければならない。


俺自身が。


何者なのか。


橘タクミは、死んだ。


天野ハヤテは、生き残った。


なら。


今ここにいる俺は、一体どっちなんだ?


電車は、岐阜へ向かって走っていく。


俺の知らないところで。


新しい出会い。


新しい敵。


新しい感情。


そして。


もう一つの真実が、俺を待っているとも知らずに。


6年前。


一人の男の人生は終わった。


しかし。


その命は、終わっていなかった。


一つの心臓が、二つの人生を繋いだ。


これは。


死んだ男が、高校生へ転生した物語ではない。


まだ。


誰も知らない。


もう一つの命の物語。


――第一章 完。




第二章 暴走族編へ

第10話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


これにて、第一章完結です。


32歳の橘タクミとして事故死し、6年後に17歳の天野ハヤテとして目を覚ました「俺」。


ずっと転生したのだと思っていた。


しかし今回、ついにその前提そのものが揺らぎ始めました。


橘タクミは、死後に臓器提供をしていた。


そして同じ日、11歳だった天野ハヤテは大事故に遭い、心臓移植を受けていた。


もし――。


ハヤテの胸で今も動いている心臓が、橘タクミのものだとしたら。


「俺」は本当に転生したのでしょうか。


それとも。


6年前からずっと、この少年の中で生き続けていただけなのでしょうか。


そしてもう一つ。


妻・橘メグミは生きていました。


まだ再会はできていません。


それでも、ついに「会えるかもしれない場所」まで辿り着くことができました。


しかし。


ハヤテの知らないところでは、新たな男も動き始めています。


久世龍臣。


ハヤテが倒した不良たちのさらに上にいる、危険な存在。


「怖がっているのに、それでも立ち向かってくる高校生」


そんなハヤテに、久世は興味を持ち始めました。


次章から、物語は新しい局面へ入ります。


第二章――暴走族編。


喧嘩が強いわけじゃない。


怖くないわけでもない。


殴られれば痛いし、逃げたいと思う。


それでも誰かを守るために前へ出る。


天野ハヤテはこれから、肉体的にも精神的にも少しずつ「強さ」というものを知っていくことになります。


そして。


暴走族との戦いの裏で、


ミナミとの関係。


ミキが追う6年前の真実。


ユキナが覚えている本当のハヤテ。


カレンと蓮司。


そして、橘メグミとの再会。


それぞれの物語も少しずつ動き続けます。


ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。


第二章も、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。

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