第一話 天文二十三年十一月二十五日 村上通康死す!?
「うっそ……だろぉ?」
巨星墜つ──いや、はたから見ると実際はそこまで大袈裟なものではないかもしれない。
しかしその男、齢十九の村上武吉にとっては、容易くは超えられそうもない、まさしく巨大な星であった。
武吉が生まれるはるか前から行われていたという能島村上一族の内乱は、三年前に武吉が当主となることでようやく落ち着き、終結とあいなる。
その際、能島村上氏の当主となった武吉にとっては和睦するまでの仇敵であり、現在は義父となった村上通康の、突然の訃報。
隣に座る花も自分の気持ちを言葉にできないようで、大きな目をさらに見開いたまま、硬直していた。
「か、家督は……来島村上の家督は、誰が……」
妻が震える声をなんとか絞り出して、通康の死を能島に内々に持ってきた男──来島村上の一族であり、まだ若いが通康の右腕である重臣の村上義継に問いかけた。
「そのことなのですが、現在殿の死は、ごく身近な者たち以外には伏せられております……その、殿の血を引く御子息は、通隆様しかおられませぬ故……」
「あ、あの子は絶対に駄目です!」
妻の剣幕に、ぎょっと今度は武吉が目を見開いた。
活発でハッキリとしたものを言う質ではあるが、筋はしっかり通すし、個人の好き嫌いを理由に理不尽に癇癪を起こすような性格の女ではない。
「あの子は……弟は、当主の器ではありません! あの子が……海神に呪われたあの子が来島の当主になるならば……」
震える妻を宥めるよう、背後から武吉は妻を抱きしめる。
しかし、涙で頬を濡らしながら、花は恐ろしい言葉を口にした。
「村上三家全てが滅びます!」
◆◇◆
瀬戸内海は本州、四国、九州に挟まれた閉鎖性の高い水域である。
一年を通して雨が少なく温暖な気候ではあるものの、岩礁含めると三千以上にもなる島が存在し、そこから複雑な海流が生まれ、難所となる急流が各所に存在していた。
後世の歴史書や物語において、その独特な海域で『村上水軍は通行料と引き換えに海運の警護や水先案内人を引き受け、関を強行突破する者に対しては容赦なく襲った』などと記載されており、まさに日本の海賊のイメージ代表──となってはいるが、実は能島村上氏がその駄別安堵料を大内氏お墨付で徴収し始めたのは、大雑把ではあるが大体この数年から数十年の間の話である。
(海神の呪い、ねえ……)
早朝、珍しく小雪のちらついた天文二十三年十一月二十五日。
そんな海に生きる村上家にとって、『海神の呪い』とは少々聞き捨てならない。
武吉だって大三島の大山祇神には度々詣でて寄進しているし、家臣や民たちの信仰も厚い。
しかし。
(ガキの時に一度会った時は、そんな話全くなかった気がするけどなぁ……)
村上通隆。幼名牛丸。
村上通康唯一の息子で、武吉の二つ年下──。
(まぁ、俺もぼんやりとしか覚えてないけどよぉ……)
内乱時の親同士の立場ももちろんあるし、武吉がその内乱を避けて幼い頃肥前に避難し、そこで成長したために、通隆とはそんなに頻繁に会える間柄ではなかったのだが。
(そういえば具合が悪いとかで、二度とも祝言の時は居なかったな……)
実は武吉にとって、花は二人目の妻である。
最初の妻である梅は、花と父母を同じくする実の姉であったが、長男の太郎を産んでまもなく、産後の肥立が悪く亡くなった経緯がある。
つまり、妻は二人とも村上通康の娘だった。
「武吉殿。こちらになります」
考え事の最中だったが、案内役の義継に促されて武吉は花と一緒に部屋の敷居をまたいだ。
来島城の奥の間。敷かれた筵の上に横たえられた通康の遺体。そしてそれをぐるりと囲むように、数名の家臣と通康の正妻と思われる一人の女性。そして彼女の背後に、七、八歳の娘が乳母に付き添われて、ちょこんと座っている。
(これは……)
被せられた着物をめくった武吉は、思わず顔を顰めた。
背が高く大柄で、それでいて端正だった生前の姿は見る影もなく、全体的に肌は真っ白でふやけ、ぶよぶよにシワが寄っている。
全員口には出さないが、通康の明らかな死因──それは、溺死だろう。
(海賊の頭領が──ザマァないな)
再度着物を遺体に被せ、武吉は再度周囲をぐるりと見回した。
と、あることに気づく。
「義継殿。通隆殿の姿が無いようだが」
途端、通康の細君が、ヒステリックに叫んだ。
「あ、あんな者! 彼奴をこの場に連れてくるなぞ、不吉の極みじゃ!」
花と同様の反応に、ぎょっと武吉は目を見開く。
「そ、そうじゃ……奴の祟りよ。奴が殿を恨み、祟ったに決まっておる!」
そのまま細君は大声をあげて泣き出した。
他の者たちも視線を伏せて、武吉の問いに対して、明確に答える者はいない。
申し上げます。と義継が武吉に近づいた。
「殿の……通康様のご意向、いえ、ご遺言にございまする」
そして義継はそのまま武吉に恭しく跪き、続ける。
「通康様の身に何かあった時は、娘婿である武吉殿に来島村上の家督をお譲りする……と」
「………………はぁぁぁぁぁ?」
素っ頓狂な声をあげ、武吉は思わずへたり込んだ。
◆◇◆
埒があかないため、武吉は早々に退出し、義継に通隆に会わせるよう詰め寄った。
最初は渋い表情を浮かべていた義継だったが、観念したように武吉を案内する。
なお、やはり妻は腹違いとはいえ、実の弟と顔を合わせることを渋ったため、置いてきたのだが──。
(コレ、どう考えても隠し通路……だよなぁ……)
来島城の地下に広がる細い通路。
途中何度も分かれ道があり、まるで迷宮のようである。
どこからか冷たい海風が吹き込んできているのか湿度が高く、狭く細い地下道を進むにつれて、琴のような琵琶のような──なんともいえない音が響いていた。
「こちらでございますが……その、少しお待ちいただけますか?」
義継が歩を止め、武吉に向き直った。
「通隆様はとても繊細なお方でして……普段父君の通康様としかお会いになりませんでしたので、私もお会いできるかどうか……まずは様子を見てまいります。こちらにてお待ちください」
たぶんこのご様子だと、今なら大丈夫だとは思いますが。と義継は目を瞑り、楽器の音に耳を澄ます。
「この音は、通隆殿か?」
「はい。三線という珍しい南国の楽器にて、ご機嫌がよろしい時はよく爪弾かれております」
義継は頷くと、再び音のする方へ歩を進めた。
しばらくして、楽器の音がぴたりと止まり、微かではあるが声が響いて聞こえる。
「また一人で此処にきて、父上に叱られても知らないよ? 助右衛門尉」
低くよく通る声に対し、やや舌足らずで幼い言葉遣い。
助右衛門尉と呼ばれた義継は、通隆らしきその声に声はやさしく、そして短くあっさりと要件を伝えた。
「太兵衛様に、お客様が参られております」
客? 訝しむ通隆の声。
「俺に? 父上はお許しになられたの?」
「いえ。その、お父上は……」
言い淀む義継に、通隆はあっさり。
「父上がご存知でないのなら会わない。お客様にはお帰りになってもらって」
イラァ──思わず武吉の頬がひきつった。
一言、二言目には逐一、父上、父上、父上と……。
「お前の親父は死んだよ。通隆」
気づいた時にはすでに遅し。武吉は二人の前に飛び出してしまった。
それはまるで牢のような──義継の奥にある、扉の開いた木製の格子の向こうに、少し顔を伏せて座る一人の青年が見える。
髪を結うことなくざんばらのまま下ろしているせいでその表情は見えず、身に纏う白い小袖はまるで死装束のよう。
異様な状況に一瞬躊躇したものの、ええいままよ! と、そのまま武吉は二人に近づいた。
「いけません! 武吉殿!」
慌てる義継。彼の顔が、みるみる青ざめていく。
「死んだ……? 父上が……?」
青年が首を傾げつつ、武吉を見つめた。焦点の合わない虚な視線が、それでもじっと武吉を見つめた。
「人の世の……役目を終へて……帰るのみ」
手に持つ見慣れぬ楽器を床に置き、ゆらりと揺れながら通隆は立ち上がる。
じゃらりという金属音に、武吉は目を見開いた。
いくらかゆとりがあり、完全に自由を封じられているようではなかったが、彼の両腕だけではなく両足にも、太く重たい鎖のついた枷がはめられている。
「わが名は海に……」
「太兵衛様ッ!」
突然通隆が駆け出し、引き止めようとする義継の手をかいくぐって牢から飛び出した。
足枷の太い鎖に引っかかることもなく、まさかの身軽さに武吉も思わず息を呑む。
二人は通隆の背を追いかけて、迷宮を走った。
武吉たちが通ってきた道から途中外れたようで、冷たい空気と潮の香りが強くなり、薄暗い通路の先が、ぼんやりとあかるく照らされる。
「心は空へ!」
辞世の句かよッ! 武吉が気づいた時には既に遅し。
パァンッ! 通隆が眩しい日の下に飛び出したと同時、突然の銃声と共に通隆の体が崩れた。
駆け寄る二人の手をすり抜けるよう、その体はそのまま崖下に落ちていった。




